この日本では、どんな小さな書店の棚にも、ふと立ち寄った図書館の書棚にも、趣味または文芸に関する書物として、歳時記が置かれている。暮らしている町であれ、旅先であれ、どの書店や図書館にも同じように置かれているということは、日本のどの地にも俳句愛好者が、そして日本の季節の言葉を愛する人がいる、ということの証しである。けっして目立つことはなくひっそりと、しかしかならず存在している。この根強い人気を支えている理由は何なのだろう。
北海道から沖縄まで、縦に細長い列島の四季には、ひとつの物差しでは計ることのできない固有の気象や自然があり、それらが育んだ動植物の姿があり、さらに、固有の暮らしや文化、祭や行事がある。列島の南北だけではなく、山国と海辺、日本海と太平洋でも気象や暮らしは異なる。
そうした事情を踏まえつつも、なおかつ、この国には、この国をひとまとめにする、来し方よりの文化や生活がある。それらを率いる言葉を分類し整理した歳時記は、日本の季節や風土の原郷を網羅した貴重な書物であるといえるのではないだろうか。
たとえば本書のどの頁でもいい。無作為に開いてみると、そこには、この国で暮らした人であれば、「ああ、懐かしい」と過去に思いを馳せ、「なるほど、そうだったのか」と思わず得心してしまう、そういう気分を引き出す季節の言葉がかならずある。
歳時記は、俳句をつくる人たちの句作のよすがになるだけでなく、政治経済・文化芸術などあらゆる分野において世界の国々と共存共栄してゆかねばならない若い人たちにとって、他国を知る前に自国を知る道標として、かならずや役に立つ一書となる。
なかには、雨の名前や風の名前がたくさんあることに感嘆する人もいるだろう、また、季節の移ろいを愛でる言葉だけでなく、「咳」や「くしゃみ」も季語であることに驚く人もいるはずである。
ことに、季語にふさわしい写真や図版(※)をふんだんに用いた歳時記には、一般の図鑑と同じように見て楽しむ、見て確かめる、という利点がある。その意味からして、歳時記は俳句をつくる特定の方だけが見るものではなく、家族のだれもが手を伸ばせる場所に置いておくとよい書物の筆頭であろう。
人間の暮らしは、昔も今も自然と切り離すことはできない。生活様式が変わり、いまや障子も襖もない家も多いが、たとえば、障子にまつわる「障子洗う」「障子貼る」「障子明り」「春障子」「障子外す」などといった季語が季節に応じてあることを知れば、室内と室外を紙一枚で仕切った生活の中ではぐくまれてきた私たちの先祖の繊細な自然観を、たちまちに理解するととができるだろう。
暮らしの様式がどう変わろうと、日本に四季のあるかぎり、動植物の世界にも人間の暮らしにも、けっして変らない基盤というものがある。そんな環境のなかで、明日に向かって生きてゆく私たちのために編纂されたのが、この『日本の歳時記』である。
未来に向かって、先人の暮らしから紡ぎ出された智恵深きことばを糧とし、心豊かな暮らしを実現していくための書物として、多くの方々の眼に触れることをせつに願っている。
※ジャパンナレッジ版「日本の歳時記」では、写真および図版の掲載はありません。