本辞典の前身である『朝鮮語辞典』は1993年に刊行され,「使う人の立場に立った分かりやすい辞典」として幸い高い評価をいただき,25年の長きにわたって学習者の方々に受け入れられてきました.その間,ITに代表されるような社会の激しい変化やグローバル化にともない,政治・経済・文化の面でも数多くの新語・新語義が生まれました.そこで,新しい時代の新しい読者のニーズに応えるべく,『朝鮮語辞典』を改訂し,装いも新たに『小学館 韓日辞典』として刊行することにしました.
読者の中には,書名が「朝鮮語辞典」から「韓日辞典」にかわり,「朝鮮語」と「韓国語」はどう違うのかと疑問をもたれた方もいらっしゃるかもしれません.しかし,元々は同じ言語であり,英語ではKorean languageと呼ばれているものが,一方では「韓国語」,他方では「朝鮮語」と呼ばれています.以前から日本ではこの言語に対して「朝鮮語」という名称が使われてきましたが,日本と韓国の国交が正常化した1965年以降,日本からの留学生のほとんどが韓国に留学したこともあり,「韓国語」という名称を使用する人が少しずつ増えてきました.また,2002年度から大学入試センター試験に「韓国語」が導入されて以降,現在では「韓国語」という名称が広く使われるようになってきています.
さて,今回の改訂作業にあたっては,この25年間に『朝鮮語辞典』に寄せられた読者の方々からの多数のご意見・ご指摘も参考に,全文を見直しながら新語・新語義を追加し,『朝鮮語辞典』の長所を生かす形で作業を進めました.その結果,次のような特長をもつ辞典に生まれ変わりました.
また,おもに朝鮮民主主義人民共和国で用いられる語彙も400語収録してあります.
最後になりましたが,作業にご協力いただいた執筆者・校閲者の方々,また,『朝鮮語辞典』を長年ご愛用くださり,貴重なご意見・ご指摘を寄せられた読者の方々に感謝申し上げます.辞典というものは使われるほどにその内容を充実させ,完成度を高めていくと信じていますので,今後とも読者の皆様の厳しいご批判,温かいご叱正などお聞かせいただければ幸いです.
2018年8月
編集委員
我々の社会には,朝鮮語を母なる言葉として学ぶ人々がいる.その一方,外国語として学ぶ日本人もいる.海外に目を転じれば,大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国以外にも,中国・アメリカ・中央アジア・ロシアなどに,この言語を母語とする人々の営みがあり,そしてまた,我々と同じように朝鮮語を外国語として学ぶ人々が世界中にいる.同じ朝鮮語でもその表情はさまざまである.
日本社会における朝鮮語は,残念ながら冷遇され続けてきた.その表情はお世辞にも明るくのびやかだとは言いがたい.隣国の言葉であり,我が国と長い歴史的関係を持ちながら,はたまた多くの在日韓国・朝鮮人と供に暮らしていながら,彼らが口にする挨拶をひとつも知らないという不思議な状況が長い間続いてきたのである.しかし近年,テレビ・ラジオで「ハングル講座」が開設されたこともあって,様相が少しずつ変わりつつあるようだ.幸いなことに,朝鮮語を学ぶ人が増えている.朝鮮語が本来持っている,ダイナミックでそれでいて優しい表情を,日本でも普通に目にすることができたら,どんなにすばらしいことだろう.
ところが,いざ朝鮮語を学び始めても,残念なことに,1,2か月で挫折する人が少なくない.その最大の理由は,「朝鮮語は日本人にとって最も学びやすい外国語だ」という謳い文句ほどには朝鮮語が簡単ではないからであろう.まず第一に文字と発音を覚えなければならない.母音も子音も日本語より遙かに多いし,しかも複雑な音変化がある.文字は一見単純だが,基本要素が単純なだけに,一点一画のほんの僅かな違いが,とんでもない誤解を生むこともある.증상を중상と見間違えたり,되다を뒤다と発音する学生が後を絶たないし,イメージスキャナによるハングルの読み取りでは을と울の誤読率が最も高い.
ようやくにして文字と発音を修得すると,形態素分析が待ち構えている.個々の語形が長ければ,多少変則的な変化をしていても辞書の見出し語と一致する部分が長いので,目指す単語を辞書で見つけだすことはさほど困難ではないが,朝鮮語は短い形態素が次々と連なって見かけ上長くなっていることが多いので,それを文法的に辻褄が合うように分解したうえ,更に変化している部分は元の形に復元して辞書を調べなければならないという煩わしさがある.しかもその分解の仕方が一通りに決まるのならまだしも,二通りも三通りもの可能性があるとなると,初学者が文章を読みこなすのは至難の技である.
こうした背景の中で,本辞典のそもそもの母体となったのは,ソウルオリンピックを数年後に控えたころに韓国の金星出版社から小学館へ共同編集の形で提供された原稿であった.しかしながら,その原稿は「韓国人が使う辞典」という立場で編集されており,「日本人ないしは日本語話者のための朝鮮語辞典」という観点から見た場合,不備な点が多かった.我々が元原稿の手直しという形で小学館から編集参画の依頼を受けたとき,最初に考えたことは可もなく不可もなくといった辞典ではなく,多少の勇み足があろうとも,使う人の立場に立った,分かりやすい辞典にしようということであった.そこでいたずらに語数の多さを誇るのではなく,朝鮮語を学び使う人にとって必要十分な語彙を選び抜くことにした.我々が真っ先に削除の対象としたのは,古色蒼然とした四文字漢語や,滅多に目にすることのないような外来語である.次に,二文字漢語を組み合わせれば自動的に分かるような四文字漢語も削除したり用例に組み入れたりした.例えば,경제 동맹は경제(経済)と 동맹(同盟) が分かりさえすれば見出し語になくても差し支えないので削除することにした.
そのようにして余ったスペースを利用して,従来の朝鮮語辞典では見られなかったような様々な工夫を凝らした.会話や読み物に現れる形から体言や用言の基本形が求めにくいものについては,それらを変化形見出し語としてできるだけ多く収録することに努めた.
また,辞典を引きこなせるようになる一番の近道は,主要な助詞・語尾とその接続のタイプを覚えてしまうことであるが,本辞典が随所に立項した変化形見出し語を利用すれば,記憶の負担がかなり緩和されるだろう.変化形見出し語のきめこまかな立項以外にも,語幹と語尾の接続の仕方やその単語が用いられる条件など,文法解説を詳しくしたり,類義語の使い分けや日本語と朝鮮語における語彙体系の違いに関する説明などにも心を砕き,読んで楽しい辞典,学習上役に立つ辞典となることを目指した.すべての用言には活用番号を付し,巻末に用言活用表を付けたこともその一環であり,こうした工夫は朝鮮語辞典としては初めての試みであろう.その他,本辞典の細かい使い方については「この辞典の使い方」に詳しく記しておいたので,十分理解したうえで,効果的に活用していただきたい.
最後になったが,本辞典がここまでの水準に到達するに際しては,編集部のスタッフを始めとして,生きた用例や正確な訳語の表現に長期にわたり力を傾けてくださったインフォーマントの方々や編集の諸作業をしてくださった方々など,多数の人々の協力があった.仕事とはいえ,夜遅くまで会社に残って編集に携わっておられる姿に接するとき,自ずと頭が下がる思いがしたものであり,編者と同列に共に表に掲げたいくらいの重要な役割を果たしていただいた.記して感謝の意を表する次第である.また,初期の段階で編集に参画されながら,我々と一緒に仕事をする機会がないまま編集から手を引かれ,病のために幽明界を異にされた長璋吉氏に慎んで哀悼の意を表したい.ご存命ならば貴重な助言をいただけたことであろう.
上でも述べたように,本辞典には様々な創意が盛り込まれているが,必ずしも当初の意図が完璧に果たせたわけではない.今後は,読者と識者の方々のご批判とご指摘を仰ぎつつ,より優れたものにしていきたいと考えている.本辞典が朝鮮語の学習者および研究者に多少なりとも裨益するところがあれば幸いである.
1992年8月
油谷幸利
門脇誠一
松尾 勇
高島淑郎