1. アマルナ文書画像
日本大百科全書
エジプト、カイロの南約312キロメートルにある、第18王朝のアメンヘテプ4世(イクナートン)の都アケト・アテン(アテンの地平線。今日のテル・エル・アマルナ)の王
2. アマルナ文書[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
アッシリア王アッシュール・ウバリト1世が、おそらくエジプト王アメンヘテプ4世にあてたもの。新王国時代(紀元前1353~前1336年ころ) 粘土 7.7×5.5c
3. アマルナ文書
世界大百科事典
中エジプトのアマルナ出土の楔形文字粘土板文書。前14世紀のオリエント世界の国際関係を知る重要な史料である。1887(一説には86)年一農婦によって偶然発見され,
4. アマルナ‐もんじょ【─文書】
日本国語大辞典
(アマルナはAmarna )エジプトのテル‐エル‐アマルナの王宮付属文庫跡で発見されたBC一四世紀の外交書簡、およびその他の文書群。楔形(くさびがた)文字で書か
5. アスカロン
日本大百科全書
当時はカナーン人(アモリ人、フィリスティア人、フェニキア人などの総称)の居住地であった。前14世紀のアマルナ文書にもみえる。前1220年ごろエジプトのラムセス2
6. 『アダパ物語』
世界文学大事典
古代オリエントのアッカド語(バビロニア・アッシリア語諸方言の総称)で書かれた神話文学で,アマルナ文書から1点,ほかから3点の断片でのみ知られている。主人公アダパ
7. アッシリア画像
日本大百科全書
感じたエジプトとヒッタイトは、敵対していたのであるが、一変して対アッシリアのため友好条約を締結するに至った。アマルナ文書において、アッシリア王は「エジプト王の兄
8. アマルナ
日本国語大辞典
アマルナ)。アメンホテップ四世(のちイクナートンと改名)がここに遷都した。→アマルナ時代・アマルナ文書。
9. アマルナ時代
世界大百科事典
王の治世を含めることもある。また古代オリエント史上においては,アマルナ出土の楔形文字文書(アマルナ文書)によってエジプト支配下のシリア,パレスティナをめぐるオリ
10. アメンヘテプ[3世]
世界大百科事典
ッタイト王国やアッシリアを含めてエジプトを軸とする西アジア世界の国際平和を実現,その状況はアマルナ文書に詳しい。贈物,貢納,交易によって諸国の富が大量にエジプト
11. イクナートン
日本大百科全書
しかしアジアの支配地はこの時代に次々と失われた。支配地からの救援要請の手紙をはじめ、外交文書(アマルナ文書(もんじょ))が19世紀末に発見された。酒井傳六
12. ウガリト
世界大百科事典
エジプト人守備隊が駐屯していたこともある。前14世紀中葉に市街は大火によって破壊されたが,アマルナ文書によると再びエジプトの影響下の貿易都市として復興し,前13
13. エジプト画像
世界大百科事典
点に達する。当時のエジプトを軸とするオリエント世界の外交関係の史料が,楔形文字で記された〈アマルナ文書〉である。 しかしこの征服の加護者とされたテーベの守護神ア
14. エルサレム(パレスチナ)画像
日本大百科全書
高橋和夫藤井宏志歴史『旧約聖書』ではイェルシャライムYerushalayim、紀元前1300年代のアマルナ文書ではウルサリムUrsalimとある。ウルサリムは「
15. エルサレム画像
世界大百科事典
~前18世紀のエジプトの〈呪詛文書〉にRushalimumという形で出てくる。前14世紀のアマルナ文書ではUrusalim,ヘブライ語旧約聖書ではYerusha
16. カッシート
世界大百科事典
,在位,前1374-前1360)とブルナブリアシュ2世(第19代?,在位,前1359-前1333)の時代はアマルナ文書の時代に当たり,カッシート王朝下のバビロン
17. カッシート朝
日本大百科全書
、王家の権威が弱く、地方分権的な封建社会であった。封土に立てられたクドゥルー(境界石)は、アマルナ文書に残るカッシート朝の王の手紙とともに、当時を知るうえでの数
18. カナン
世界大百科事典
6)。それはカナン地方が伝統的にはエジプトの東北県とみなされていたからであり,前14世紀のアマルナ文書では〈カナン県〉という名称も使用されており,ガザはその行政
19. カナーン語
日本大百科全書
を代表とし、両言語とも紀元前1000年ごろからの資料を残す。それ以前の姿は、エジプト出土のアマルナ文書(もんじょ)(前14世紀)などから部分的に知られる。音韻面
20. 金石文画像
日本大百科全書
小アジアのヒッタイト人が残したボアズキョイ文書も楔形文字を使用している。1887年エジプトで発見されたアマルナ文書は、前15~前14世紀のころオリエント諸国から
21. 古代オリエント文明画像
日本大百科全書
域のテル・エル・アマルナで発見された370余通のアッカド語で記された楔形文字粘土板文書群(アマルナ文書/書簡)は、その大部分がエジプト王アメンヘテプ3世、同4世
22. サイダ
日本大百科全書
03推計)。シドンの名は、紀元前三千年紀後半のバビロニアの史料にさかのぼり、ウガリト文書、アマルナ文書、『旧約聖書』にみえ、下って『新約聖書』には、イエスが同地
23. 試金
世界大百科事典
試金は,古代オリエントの金細工師が,金を精製して用いるようになるとまもなく始まったようである。前14世紀のアマルナ文書には試金に関する記事があり,《旧約聖書》に
24. シケム
世界大百科事典
た。今日のナーブルスの東側に位置していた。前2千年紀前半のエジプトの呪詛文書や前14世紀のアマルナ文書にも言及がある。古代イスラエル人の定着時代にはカナン人の町
25. シリア画像
世界大百科事典
の特色であった。これらの民族の国家は青銅器時代以来都市国家を中心として分立していたので,〈アマルナ文書〉や旧約聖書に見られるように,エジプト,メソポタミア,ロー
26. テル・エル・アマルナ
日本大百科全書
アケナトンは在位17年で死去し、アマルナ時代も終わった。19世紀末にここで貴重な外交文書(アマルナ文書)が発見された。酒井傳六
27. 粘土板画像
日本大百科全書
古代ペルシア人(アケメネス朝古代ペルシア語、新エラム語)などによって用いられた。またエジプトにまで運ばれ(アマルナ文書)、さらに地中海のクレタ文化、ミケーネ文化
28. 粘土板文書
世界大百科事典
ヒッタイトでは馬術書,ウガリトでは楽譜なども発見された。出土地の名前を冠して呼ばれるエジプトのアマルナ文書,シリアのマリ文書,ウガリト文書,ヌジ文書,アララク文
29. ヒッタイト
世界大百科事典
約聖書のヘテ人(びと)との関連で論議されるようになった。その一方,1887年,エジプトで〈アマルナ文書〉が発見され,ヒッタイト王スッピルリウマがエジプト王にあて
30. フェニキア画像
日本大百科全書
宗教は、これまで『旧約聖書』のなかの断片的な記述による以外ほとんど知られていなかったが、『アマルナ文書』および『ウガリト文書』の発見、解読、研究により、聖書以前
31. フェニキア画像
世界大百科事典
人であるが,この地に到来した時期は不明である。旧約聖書中のカナン人の語源は,前14世紀の〈アマルナ文書〉などにみえるキナフKinaḫḫuであると考えられ,これは
32. ヘブライ語
世界大百科事典
徴を備えていたことが,エジプトやアッカドの音節文字で書かれた記録--とくにアモリ語の人名やアマルナ文書--からうかがわれる。一方,侵入者自身は古アラム語の方言を
33. メギッド
日本大百科全書
ムテセリム。メギッドの名はエジプトの『トゥトメス3世の年代記』(初出)、『タアナク文書』『アマルナ文書』『聖書』に言及されている。発掘調査は、1903~1905
34. リキア
日本大百科全書
で、リキア連合として紀元前6世紀~前2世紀を中心にその地位を確保した。 ボアズキョイ文書、アマルナ文書によると、リキアはルッカとして登場してくる。ヘロドトスの『
35. ヴィンクラー(Winckler, Hugo)
世界人名大辞典
4~1913.4.19〕 ドイツのアッシリア学者.ベルリン大学教授[1904-].エジプトで発見されたアマルナ文書の研究・出版に従事[1887-95].フェニキ