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国際連盟

ジャパンナレッジで閲覧できる『国際連盟』の世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典のサンプルページ

世界大百科事典

国際連盟
こくさいれんめい
League of Nations

国際平和の維持を目的として第1次世界大戦後設立された国際機構。第2次大戦の勃発によって形骸化し,戦後国際連合にその任務をゆずって消滅した。

成立

平和維持のための国際機構という構想は古代ギリシア以来繰り返し提唱されてきた。さまざまな分野の国際協力は国際関係の緊密化とともに19世紀後半以来発展したが,戦争と平和という高度に政治的な問題には及ばなかった。大規模な常設の国際平和維持機構の必要は,第1次大戦の惨禍によって初めて痛感され,1918年1月ウィルソン・アメリカ大統領の〈平和のための14ヵ条〉の中にとりあげられた。かつてのユートピア思想はようやくここに現実の課題となった。戦後開かれたパリ講和会議はウィルソンの主張を基礎に国際連盟憲章を作成し,これをベルサイユ条約その他の講和条約の一部とした。連盟は従って法的には20年1月10日,ベルサイユ条約発効とともに成立した。戦勝国および招請された中立国計42ヵ国が原加盟国となったが,最大の役割を期待されたアメリカが国内における孤立主義の台頭により不参加となり,連盟の力を少なからず弱めることとなった。なお本部所在地はジュネーブ,初代事務総長はイギリスのドラモンドJames Eric Drummond(1876-1951)であった。

任務

連盟の第1の任務はいうまでもなく平和維持であって,その根底には,従来の勢力均衡論に代わって台頭した集団安全保障collective securityの思想,つまり戦争は当事者のみならず連盟全体の重大関心事であり,全員の努力によって防がねばならない,という考えがあった。憲章10,11条はこの思想を宣言し,12~15条は解決困難な紛争は仲裁裁判,司法的解決(このために常設国際司法裁判所を設置),または連盟理事会の審査に付すべきこと,16条は以上に違反して戦争に訴えた国に対して全員が協力して経済制裁(および若干の補助的軍事措置)を加えることを定めている。また紛争を未然に防ぐため,軍縮(8,9条),条約と国際協定との公開(18条)が約された。連盟の第2の任務は,平和維持の前提となる公正な国際関係および人道的諸問題のための国際協力である。憲章の規程は簡単で,人道的な労働条件(このために国際労働機関が設置される),交通の自由,保健衛生などの課題を列挙したにすぎないが(23条),平和維持の分野に比べ,この分野では相当の成果をあげた。そのほか特殊任務として,戦敗国旧植民地等の統治をいくつかの国に委任して監督する委任統治があった。

機関

連盟には中央に総会,理事会,常設事務局があり,さらに自主機関として常設国際司法裁判所と国際労働機関,また補助機関として多くの専門機関と諮問委員会があった。中心は総会と理事会で,若干の分業はあったが,ともに連盟関係事項すべてに及ぶ権限をもった。総会は全加盟国が1国1票で参加し,通常毎年9月に会合した。中小国の意見を反映して,より原則的・理想的であった。理事会は常任理事国と非常任理事国からなり,通常年数回会合し,その機動性を生かしておもに政治問題にとりくんだ。大国の意見を反映して,より現実的・妥協的であった。常任理事国は当初イギリス,フランス,日本,イタリア,のち1926年にドイツ,34年にソ連も連盟加入と同時に就任,33年に日本とドイツが,37年にはイタリアが脱退,39年にソ連が除名された。なお総会,理事会とも原則として決議は全員一致によるが,現実にはとくに総会で相当緩和して運用された。

盛衰

連盟の歴史は4期に分けられる。1923年までは生成期(第1期)であって,連盟主要機関のすべてが整備されたが,ヨーロッパで戦後処理に関する問題が続出し,連盟は十分な威信を確立するに至らなかった。しかし24年以後ヨーロッパも安定に向かい,イギリス,フランス,ドイツは連盟中心外交を唱え,連盟は国際政治の中心となった(第2期)。しかし31年満州事変から36年イタリアのエチオピア併合にかけて,連盟は難局を迎える(第3期)。前者についてはリットン調査団を派遣し,その報告に基づいて事態収拾をはかったが,日本はこれを拒絶して連盟から脱退した。後者については初の経済制裁を実施したものの,石油等の重要物資に及んでおらず,また主要国のイギリス,フランスが消極的であったため侵略を阻止しえず,イタリアの併合宣言後制裁を解いてしまった。これは連盟にとって致命的な打撃となって,以後の第4期には,アジアとヨーロッパで紛争がいっそう拡大したにもかかわらず,連盟に対する期待は著しく弱まり,39年第2次大戦の勃発とともに,連盟の活動は事実上停止された。

連盟と日本

第1次大戦の主戦場から遠く,むしろその受益者であった日本には,平和への強い理想主義的取組みはみられなかった。日本は連盟の構想に対して冷淡であり,日本の行動が制約されることへの懸念から,その不成立ないし機能の限定を望み,次いで連盟中に有利な地位を占めることを目ざしたにすぎなかった。実際,連盟成立過程での日本の関心は,旧ドイツ領赤道以北太平洋諸島の受任統治国となることと,結局失敗に終わった人種平等原則の挿入の二つに限られていた。しかし連盟が成立すると,ヨーロッパに利害の少ない唯一の常任理事国として,第1・2期の活動には比較的公平な立場から貢献したといってよい。理事会における石井菊次郎,事務次長としての新渡戸稲造,杉村陽太郎,常設国際司法裁判所における安達峰一郎らの活動は広い信頼を得た。

 しかし東アジアの問題に関しては,日本はかたくなに連盟の行動を排除して自国の利益を貫こうとした。その結果が満州事変と連盟脱退であり,日本は連盟崩壊の口火を切ることになった。
[北岡 伸一]

[索引語]
League of Nations 平和のための14ヵ条 ドラモンド,J.E. 集団安全保障


日本大百科全書(ニッポニカ)

国際連盟
こくさいれんめい
League of Nations 英語
Société des Nations フランス語
Völkerbund ドイツ語

第一次世界大戦後に創設された史上初の国際平和機構。1920年1月10日に発足し、本部はスイスのジュネーブに置かれた。その設立文書である国際連盟規約は全26か条からなり、ベルサイユ条約、サン・ジェルマン条約など中欧同盟側との講和条約に組み込まれた。連盟は、第一次大戦の未曽有 (みぞう)の惨禍のなかで、この反省を基盤とし、アメリカ大統領ウィルソンのイニシアティブにより国際平和維持を主目的として創設された。すでに19世紀以来、経済、社会、文化面での国際協力は組織されていたが、連盟はこれをもあわせてその任務とした。規約の付属書には、原加盟国として、講和条約署名国(32)と被招請国(13)の計45か国が記載されたが、現実には42か国が参加し、その他の国々については総会の3分の2の多数決をもって加盟が認められた。しかし、アメリカの不参加はその活動に制限を加えた。

[植田隆子]

諸機関

主要執行機関は総会と理事会で、これを補助する常設事務局がジュネーブに置かれた。総会は連盟全加盟国によって構成され、定期総会は通例毎年9月に開かれた。総会の権限は、連盟の全行動範囲または世界平和に影響するいっさいの事項に及んだ。理事会は常任理事国と非常任理事国によって組織され、前者は創設当初イギリス、フランス、イタリア、日本の4か国であったが、ドイツ、ソ連の加盟、日本、ドイツ、イタリアの脱退、さらにソ連の除名による数の変動があった。非常任理事国数は当初の4か国から6か国(1922)、ついで9か国(1926)に増加した。理事会の権限は総会と同様であったが、活動が迅速であったので頻繁に利用され、また軍縮、委任統治、少数民族保護、ザールやダンツィヒ問題について特別な権能をもった。表決方式は、総会、理事会ともに原則的には全会一致制であったが、実際には緩和されて運用された。連盟と有機的に連関した自治的機関として、常設国際司法裁判所、国際労働機関が設置された。このほか、補助機関として、経済財政委員会、交通通過委員会、保健委員会(以上専門機関)、陸海軍問題委員会、知的協力国際委員会、軍縮準備委員会、国際法典編纂 (へんさん)委員会(以上諮問機関)などが置かれた。

[植田隆子]

安全保障

連盟においては、集団内の国家の安全を相互に保障する集団安全保障方式が史上初めて制度化された。連盟は、集団安全保障を国際紛争の平和的解決および軍備縮小と一体化して組織している。戦争または戦争の脅威は連盟全体の利害関係事項とされ、締約国が規約に定められた紛争の処理手続を無視して戦争に訴えた場合、制裁を受けることが規約に規定されている。

[植田隆子]

歴史

1920年代にはギリシア・ブルガリア紛争(1925)などの解決に成功し、国際協力面でも成果をあげた。また、国際紛争平和的処理一般議定書の採択(1928)、侵略戦争の違法化(不戦条約、1928)にみられるような連盟の安全保障強化のための努力が連盟の内外でなされた。しかし、30年代に入り、大国間の国際対立が激化するとともに連盟の平和維持機能は麻痺 (まひ)していった。32年に開催された軍縮本会議は不成功に終わり、連盟は満州事変(1931)の処理、イタリア・エチオピア紛争時の対イタリア経済制裁(1935)に失敗した。日本、ドイツ、イタリアはそれぞれ脱退を宣言し、ソビエト・フィンランド戦争に対しては連盟はソ連を除名(1939)したにすぎない。連盟は弱体化し、有名無実の存在となり、46年4月18日の総会において解散が決議された。その事業は国際連合に継承された。

[植田隆子]



日本国語大辞典

こくさい‐れんめい 【国際連盟・国際聯盟】

解説・用例

{英}The League of Nations の訳語)

第一次世界大戦後、アメリカ合衆国大統領ウィルソンの提唱により、ベルサイユ条約に基づいて設立された国際平和機構。一九二〇年成立。本部ジュネーブ。国際協力の促進と平和確保を目的とし、総会・理事会・事務局などを主要機関とした。第二次世界大戦により機能を失い、四六年廃止。その精神は国際連合に受けつがれた。

*訂正増補新らしい言葉の字引〔1919〕〈服部嘉香・植原路郎〉追加「国際聯盟」

*簑虫と蜘蛛〔1921〕〈寺田寅彦〉「闘争殺戮の世界が美しい花園や庭の木立の間に行はれて居るのである。人間が国際聯盟の夢を見て居る間に」

発音

コクサイレンメ〓

〓[レ]〓[レ]


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