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NATO(北大西洋条約機構)

ジャパンナレッジで閲覧できる『NATO(北大西洋条約機構)』の日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

北大西洋条約機構
きたたいせいようじょうやくきこう
North Atlantic Treaty Organization

北大西洋条約に基づく同盟。略称はNATO (ナトー)。1949年にベルギー、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、イギリスの西欧10か国とアメリカ、カナダの全12か国により発足。冷戦後に旧東側の諸国も加わり、2022年4月時点での加盟国数は30か国。本部をブリュッセル(当初はパリ)に置く。

[鶴岡路人]2022年4月19日

冷戦から冷戦後へ

ヨーロッパにおける冷戦が進行するなかで、1949年4月に署名されたのが北大西洋条約(ワシントン条約)であり、アメリカと西欧諸国が同盟を形成することになった。その後、翌1950年の朝鮮戦争勃発に象徴される冷戦の激化を受け、NATOでは統合軍事機構が設置されるなどの機構化が進められた。西欧諸国の防衛とそのための対ソ抑止、米欧協力がNATOの中核であり、その基礎は集団防衛(相互援助)を定めた北大西洋条約第5条であった。冷戦期の長きにわたって、NATOの課題は通常戦力の強化であったが、結局、少なくとも数量的にソ連側と対等になることはなかった。通常兵器における対ソ劣位を埋めるため、冷戦期のNATOでは核戦力に頼る度合いが高まった。小規模な通常侵攻にも核兵器による大規模な反撃を行うとした1950年代の「大量報復戦略」は、通常兵器における劣位という現実から導かれたものである。

 冷戦期のNATOは同時に、同盟政治の教科書的事例でもあった。アメリカは本当にヨーロッパを守るのかという拡大抑止の信頼性に関する議論の歴史は、NATO自体の歴史同様に長い。「アメリカはパリを守るために本当にニューヨークを犠牲にするのか」という疑念である。ソ連にいかに対応するかについても、強硬路線と対話の間で、同盟国間での相違が消えることはなかった。また、米欧間のバードン・シェアリング(負担分担)をめぐる問題は、今日まで引き継がれている。NATOは史上最強の同盟とよばれることも多いが、つねに一枚岩だったわけでは決してない。

 冷戦後にNATOがヨーロッパにおける中心的な安全保障機構として存続することは、当初かならずしも自明ではなかったものの、冷戦終結に伴う秩序変動期にNATOが安定の砦 (とりで)となったことは事実である。そして、ソ連が崩壊しても新生ロシアの行方は不透明であり、アメリカとの関係が不要になったわけでもなかった。

[鶴岡路人]2018年1月19日

冷戦後の地理的拡大と機能的拡大

冷戦後のNATOの変容を特徴づけるのは第一に地理的拡大であり、これは加盟国およびパートナー諸国の拡大を意味する。1999年にNATOはチェコ、ハンガリー、ポーランドの3か国を加盟国に迎え入れた。旧東側諸国の初めてのNATO加盟であった。その前の1994年には「平和のためのパートナーシップ(PfP)」が発足し、オーストリアやフィンランドといった中立諸国を含めて、NATOとの関係強化が試みられた。NATO加盟を目ざす諸国にとってのPfPは、いわば加盟のための待合室であった。その後の累次の拡大で、2022年4月時点での加盟国数は30か国に膨らんでいる。

 第二は機能的拡大である。冷戦期のNATOは領土防衛のための軍事安全保障に特化していたが、冷戦後は、加盟希望国への対策として、軍の民主化や近代化などの支援を実施したのみならず、1990年代なかば以降は、ボスニアを皮切りに平和維持(危機管理)活動にも深く関与することになった。平和維持活動などは、集団防衛とは異なるという意味で、「非5条任務」とよばれてきた。

 これらはNATOにとって大きな変化であったが、それでも、1990年代のNATOの活動は、ヨーロッパ内に限られていた。こうした状況を根本から変えたのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件(9・11テロ)である。これにより、国際安全保障上の脅威・挑戦が真にグローバルなものになったことが認識され、アフガニスタンをテロリストの温床にしないことがNATO諸国の安全保障にとって不可欠だという理解が生まれた。加えてNATOは、9・11テロに際して北大西洋条約第5条を歴史上初めて発動し、空中早期警戒管制機(AWACS (エーワックス))の派遣など、アメリカへの支援を行った。「アメリカがヨーロッパを助けるのがNATOである」と考えられてきたため、9・11テロを受けての第5条発動はその逆であったといえるが、互いに支援する相互性こそが同盟の本来の姿である。

[鶴岡路人]2022年4月19日

「グローバルNATO」とその限界

2002年6月にアイスランドの首都レイキャビークで開かれたNATO外相会合は、「必要とあらばどこへでもwherever needed」、部隊を派遣するとの原則を承認した。これが、翌2003年に、アフガニスタンでの国際治安支援部隊(ISAF (アイサッフ):International Security Assistance Force)の指揮をNATOが引き継ぐことにつながっていく。それ以降のNATOでは、ISAFの比重が増し、同盟変革の方向性はアフガニスタンでの経験により規定されていくという状況が生じた。COIN (コイン)(counter-insurgency)とよばれる反乱軍対策、開発と安全保障とのリンク、国際連合や世界銀行、非加盟国、さらには非政府組織(NGO)との協力をも含む「包括的なアプローチ」などは、NATOにとって新たな挑戦であった。

 アフガニスタンでの作戦、そしてそこでの日本を含む非加盟国との協力を受け、「グローバルNATO」との言説が盛んになったのも2000年代なかばであった。同盟変革においては、遠征任務に適応できる部隊の構築が主眼となり、さらなる遠征任務の実施に備えて、戦略空輸能力の強化なども優先課題とされたのである。

 だからこそ、2008年8月のロシア・ジョージア(グルジア)紛争の発生は大きな衝撃であった。突如として、領域防衛という意味での集団防衛が喫緊の課題として再浮上し、バルト諸国など、ロシアの脅威を身近に感じる諸国には動揺が広がった。「NATOの集団防衛は、有事の際に本当に機能するのか」という、それまで長く省みられることのなかった問いが再浮上したのである。それを受けて2010年11月のリスボンNATO首脳会合で採択されたNATOの最高位の戦略文書である「戦略概念」では、集団防衛が前面に打ち出された。

 同時にNATO各国で進んでいたのは、「アフガニスタン疲れ」とでも表現し得る、これ以上の作戦上の負担は忌避したいとする潮流であった。アフガニスタンの安定がNATO諸国自身の安全保障にとって重要であると、加盟各国の政府は主張したものの、やはり一般市民にとっては遠い世界の出来事であった。さらに、ISAFにおいては、各国間で負担の格差が目だち、イギリスのように多くの犠牲者を出していた国は不満を募らせることになった。そして、ISAFのような大規模作戦をふたたび行う意思はほぼ消滅した。

 しかし、防衛同盟であるNATOは、戦略的な青写真を描き、それに基づいて行動するような組織ではそもそもない。加盟国の安全保障という目的に照らして必要なことを、(たとえ嫌でも)行うのがNATOの本義である。結果として受け身であり、状況対処的にならざるを得ない。アフガニスタン戦争への厭戦 (えんせん)ムードのなかで実施されたのが、2011年のリビアのカダフィ政権に対する新たな空爆作戦であったことは示唆的である。

[鶴岡路人]2018年1月19日

原点回帰するNATO

9・11テロ後のNATOがグローバル化、すなわち遠征任務重視の方向性を有していたとすれば、それを最終的に葬り去り、集団防衛への「原点回帰」とでもいえる状況をもたらしたのは、2014年春のロシアによるウクライナのクリミア併合、それに続くウクライナ東部への介入であった。2008年のロシア・ジョージア紛争はその予鈴であったともいえるが、ヨーロッパへの地理的な近さと国の大きさから、ウクライナ危機のインパクトは桁 (けた)違いに大きかった。冷戦後、パートナーとして扱ってきたロシアが、NATOに対する直接的な脅威として再浮上したのである。

 2014年9月にウェールズで開かれたNATO首脳会合は、「即応性行動計画(RAP:Readiness Action Plan)」を採択し、同盟国への安心供与(assurance)と軍事的適応(adaptation)を柱とする対策に乗り出した。バルト諸国やポーランドといった、ロシアの脅威を強く感じる諸国においてNATOの枠内での多国間の共同訓練・演習を拡大するとともに、従来存在したNATO即応部隊(NRF:NATO Responce Force)の強化版として、高度即応統合任務部隊(VJTF:Very High Readiness Joint Task Force)の創設が合意された。加えてアメリカは独自に「ヨーロッパ安心供与イニシアティブ(ERI:European Reassurance Initiative)」を開始し、バルト諸国やポーランドなどとの共同訓練・演習を実施し、そのための米軍部隊の派遣を進めることになった。

 これらを通じて、安心供与に関しては一定の成果があがり、たとえばバルト諸国においては「これでようやく一級のNATO加盟国になった」との評価も聞かれた。しかし、ロシアによるウクライナ東部への介入は継続し、ロシアへの対応はより長期的なものにならざるを得ないとの認識がNATO内で強まることになった。そのため、2016年7月のワルシャワでのNATO首脳会合では、安心供与から対ロ抑止へと、NATOによる措置の力点も変化することになった。

 同会合は、バルト諸国とポーランドに対して、「強化された前方プレゼンス(eFP:enhanced Forward Presence)」として、各国に一個大隊規模(約1000人)のNATO多国籍部隊の事実上の常駐を決定した。それでも、それら諸国の対ロ国境地帯における戦力バランスはロシアが圧倒的に優位であり、NATO部隊の役割は、ロシアの正規軍を相手に実際に戦うことというよりは、NATO全体の関与を導くための「引き金」である。そうだとしても、たとえばバルト諸国に介入を試みれば、対象国のみならずNATO全体を相手にすることになるとのメッセージをロシアに発することこそが抑止なのである。

[鶴岡路人]2018年1月19日

トランプ時代のNATO

そうしたなかでアメリカでは2017年1月、大統領選挙期間中にヨーロッパの「安保タダ乗り」批判やNATO軽視発言を繰り返したトランプが大統領に就任した。同年5月にブリュッセルで開かれた非公式NATO首脳会合の場では、ヨーロッパ諸国に対する国防予算増額の要求額ばかりが前面に出たうえに、トランプが北大西洋条約第5条に言及しなかったことから、NATO諸国の間では懸念が深まることになった。NATOは、加盟国に対し国内総生産(GDP)比2パーセントの国防支出という目標値を定めており、2014年9月の首脳会合で、10年以内の達成努力が合意されている。トランプ政権はこれを根拠に、「約束を守れ」と強い圧力をかけているのである。

 他方で、eFPに基づく部隊の展開はトランプ政権下でも継続され、また、ERIは「ヨーロッパ抑止イニシアティブ(EDI:European Deterrence Initiative)」と改称されたのみならず、予算も拡大し、2018年度予算(要求額)は日本円換算で5000億円近くになっている。こうした実態面をみる限り、NATOへのコミットメントに関するトランプ政権への懸念は杞憂 (きゆう)であったともいえる。しかし、同政権の予測不能性への警戒感は依然として根強いのがヨーロッパの状況である。バードン・シェアリングが進み、より強力なNATOが誕生する可能性もあるが、加盟国間、とくに米欧間の離反が深まる懸念もあろう。

[鶴岡路人]2018年1月19日



世界大百科事典

NATO
ナトー

北大西洋条約機構North Atlantic Treaty Organizationの略称。北大西洋地域の北アメリカ,ヨーロッパ両大陸の西側諸国が調印した北大西洋条約に基づいて設立された集団防衛機構。第2次世界大戦後,東西の冷戦が激化した1949年4月,ベルギー,カナダ,デンマーク,フランス,アイスランド,イタリア,ルクセンブルク,オランダ,ノルウェー,ポルトガル,イギリス,アメリカの12ヵ国は北大西洋条約に調印,同条約は同年8月に発効した。52年にはギリシア,トルコ,55年に西ドイツ,82年にスペインが加盟した。1985年現在の加盟国は16ヵ国で,アメリカを中心とする西側同盟体制の中軸となっている。このうち,フランスは軍事機構から脱退しており,85年現在,スペインは軍事機構に参加していない。一方,ソ連・東欧諸国は1955年にワルシャワ条約機構を設立,集団防衛体制をとっている。

 北大西洋条約のおもな目的は,5条に規定された集団防衛で,加盟国に対する攻撃を全加盟国に対する攻撃とみなして,国連憲章51条によって認められた個別的または集団的自衛権に基づき,軍事力の行使を含む必要な行動をとるという点にある。条約の適用地域はヨーロッパ,北アメリカの加盟国の領域,トルコ領土,北回帰線以北の大西洋地域における加盟国の管轄下にある諸島となっている。

 NATOの最高機関は,加盟国の閣僚で構成される理事会で,年2回開かれる。NATOは超国家機関ではなく,加盟国の主権と独立性を尊重し,すべての決定は全会一致を原則としている。その補助機関として,大使級代表によって構成される常任理事会がベルギーのブリュッセルにおかれている。軍事問題は加盟国の参謀総長で構成される軍事委員会で検討し,理事会に助言する。その補助機関として,将官級代表によって構成される常任軍事委員会がブリュッセルにおかれている。このほか,政治,経済,社会,文化の各分野の問題を検討するため,非軍事分野で18の委員会が設けられている。

NATO軍

NATOは加盟国の軍事力によって,地域別に編成された連合軍(NATO軍)を保有している。主要兵力は,ヨーロッパ全域の防衛にあたるヨーロッパ連合軍(司令部所在地はベルギーのモンス),大西洋の海上防衛にあたる大西洋連合軍(同,アメリカのバージニア州ノーフォーク),英仏海峡一帯の防衛にあたる海峡連合軍(同,イギリスのノースウッド),アメリカ,カナダの防衛計画を担当するカナダ・アメリカ計画グループ(ワシントン)で構成されている。ヨーロッパ連合軍は,北欧,中欧,南欧の各連合軍に分かれている。総兵力は約66個師団相当,アメリカの核弾頭約5000発をもち,司令官は初代のアイゼンハワー(のちアメリカ大統領)以来,アメリカ軍人が任命されている。

 一方,ワルシャワ条約機構は,加盟国の提供する兵力でワルシャワ条約機構統合軍を編成することになっているものの,現在までのところ兵力提供は行われていない。また,モスクワにある統合軍司令部の業務はソ連国防省の指導のもとにソ連幕僚によって行われており,東欧諸国は連絡将校を出しているにすぎない。このためワルシャワ条約機構軍は,NATOのように,加盟国の兵力提供により常時作戦可能な軍ではなく,平時は東欧諸国やソ連西部に展開するソ連軍を主体とした軍事力といえる。ワルシャワ条約機構軍とNATO軍の戦力を比較すると,84年現在総兵力で617万人対502万人,戦車で5万両対2万両,航空機で5800機対1万2000機,艦艇で1300隻対1300隻となる(《ミリタリー・バランス》による)。

NATOの戦略

NATOの戦略は,かつて米核戦力に依存する大量報復戦略をとっていたが,1967年12月以来,柔軟反応戦略を採用している。この戦略は,通常戦争から限定的核戦争,全面的核戦争まであらゆる種類の戦争に有効に対処できる軍事力をもつことによって,侵略の抑止をはかろうとする戦略で,ソ連・東欧からの侵略に対しては国境地帯で防衛する前進防衛態勢をとっている。侵略に対しては,侵略された地域で主として通常兵力で反撃する直接防衛,さらに限定的核使用を含む慎重なエスカレーション,侵略者の戦略能力を破壊する全面的核反撃の3種類の反撃を想定している。

NATOの内部対立

NATOは結成以来,何度か分裂の危機を経験してきた。1955年の西ドイツの再軍備・NATO加盟に対して,フランスが強い警戒心を示し,推進派の米英両国との対立を深めた。その後フランスは,自国の安全をアメリカの核兵器に依存することはできないとして,独自の核戦力保有にのりだし,核拡散防止の立場からフランスの核武装に反対する米英両国との対立がさらに深まった。このためフランスは64年にまず大西洋連合軍,つづいて海峡連合軍から艦艇を引き揚げ,さらに66年7月,NATO軍から全フランス軍を引き揚げ,軍事機構からの離脱を決定した。さらにフランスは,パリにおかれていたヨーロッパ連合軍の国外移転を要求,同司令部はベルギーのモンスに移転した。

 また1974年7月,中東キプロスで軍事クーデタが発生,トルコがギリシアへの併合阻止とトルコ系住民保護を理由にして軍事介入した際,NATOは何ら具体的な解決案を提示できなかった。このためギリシアはこれを不満として同年8月,NATOの軍事機構から脱退した。さらに79年12月,NATOはアメリカの中距離核ミサイル,パーシングⅡ型と巡航ミサイルを83年末からヨーロッパに配備することを決定したが,これに対してヨーロッパ各国で反核運動が起こり,イギリス,西ドイツ,イタリアは配備を支持したのに対し,ベルギー,オランダ両国はあいまいな態度を示し,NATOのヨーロッパ諸国を二分する結果を招いた。

 NATOがこうした複雑な対立をかかえながらも分裂を回避してきたのは,NATOが加盟国の主権と独立性を尊重し,すべての決定を加盟国の自由意思にゆだねるという柔軟性から生まれている。加盟国の意見が対立する際は,NATOは何も決定できないが,その反面,対立があるとしても分裂までには発展しない。さらにNATOは,集団防衛機構であるだけでなく,北大西洋地域の自由主義諸国の政治,経済,社会,文化のあらゆる面にわたって協議を行ってきている。NATOのない西側諸国の協力は考えられない。こうした点が,NATOが内部の対立をはらみながらも分裂しない大きな原因であろう。
[阪中 友久]

NATOをめぐる米欧関係

1981-83年のINF(中距離核戦力)問題は,NATO史上最大の試練となった。この問題の直接の源泉は,1979年12月のNATO二重決議にある。これは,一方でアメリカ製新型中距離核ミサイル計572基の西欧配備を83年末より開始することを決議し,他方でこれを〈てこ〉に西欧諸国に軍事的不安を与えてきたソ連のSS20ミサイルの削減を目的とするINF制限交渉を米ソに促すことを決議したものである。交渉は83年11月まで続けられたが,合意が得られず,中断されるとともに,西ドイツ,イギリス,イタリア,ベルギーへの配備が着手された。反核世論の強いオランダだけは,配備受入れの最終決定ができないままでいる。NATO二重決議が西欧諸国,とくにこの決議のイニシアティブをとったシュミット西ドイツ首相の思惑どおりに運ばなかったのは,1979年末以降の米ソ間の〈新冷戦〉的状況の高進と,安全保障政策についての西欧諸国の国内的コンセンサスの動揺,あるいは崩壊が急速に生じたからであった。ことにNATO核近代化がヨーロッパを舞台にする〈限定〉核戦争につながりかねないとみて二重決議の撤回を要求し,さらには核抑止戦略に頼らない安全保障体制を模索しようとするヨーロッパ各国の市民による反核運動はかつてない規模で高揚し,各国の安全保障政策の根本的な再検討を促したのみか,米ソ関係にも大きな影響を与えた。

 だが,この危機も本質的にはNATOの構造に起因しているといえる。アメリカの核抑止力と在欧米軍への安全保障の依存は,つねに西欧諸国にアメリカの意図と行動に対する不安感を与えてきた。それは,一方でアメリカの慎重を欠いた行動によって世界戦争に巻き込まれかねないとの不安であり,他方では米ソの〈共同支配〉の利益追求のなかで防衛の約束を放棄されかねないという,あるいはヨーロッパを舞台の通常戦争による〈防衛〉という名の破壊という悪夢である。したがって,西欧諸国が経済の復興を遂げてアメリカとの間が相互依存関係に入るや,安全保障面でのアメリカへの依存からの離脱を模索するのは自然であった。ド・ゴールのフランスがアメリカの核抑止の意図に疑義をいだき,自前の核戦力の開発に踏み切り,NATO軍事機構から脱退したことはその例である。またブラントの西ドイツが東方政策を追究し,対ソ・デタント(緊張緩和)を構築したのも,安全保障の問題についての独自のアプローチだったといえよう。INF問題をめぐる米欧ないし各国内世論の亀裂も,西欧諸国のこうしたアンビバレントな心理と論理を反映したものにほかならない。

 こうして西欧諸国の世論の底流にある最近の平和主義ないし中立化志向を,西側同盟の危機とみるアメリカには,ヨーロッパ防衛の主導権と責任をヨーロッパ側に移して,ヨーロッパ防衛体制の根本的な再編成が必要であると主張する有力な声が聞かれるようになった。NATOをめぐる米欧関係は,重大な岐路に立たされているといえる。
[高柳 先男]

NATOの東方への拡大

冷戦の終結とソ連の解体はNATOのあり方を大きく変えることとなった。1991年ワルシャワ条約機構が解体し,99年3月にポーランド,チェコ,ハンガリーがNATOに加盟し,2004年3月にはさらにエストニア,ラトビア,リトアニア,スロベニア,スロバキア,ブルガリア,ルーマニアの7ヵ国が加わって,NATOは26ヵ国体制となり,中・東欧に大きくその領域を広げることとなった。
[編集部]

[索引語]
NATO(ナトー)
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世界大百科事典
→NATO(ナトー)
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国史大辞典
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16. MNNA[欧文略語]
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24. NATO新戦略概念[イミダス編 国際情勢]
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北大西洋条約機構(NATO)の主要任務と戦略を示した公式文書のこと。NATOが創設された1949年の翌年、50年に初めて策定されて以降、その時々の情勢に沿って
25. NATOストラスブール ケール首脳会議[欧文略語]
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26. NATO戦略概念(1999年)[軍縮/平和]
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創設50周年を機に北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議が1999年4月に開催され、21世紀に向けた戦略概念を採択し、大量破壊兵器の拡散やテロリズムを新たな脅
27. NATO戦略概念(2010年)[軍縮/平和]
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北大西洋条約機構(NATO)の防衛と安全保障に関する基本的指針を定めるもので、2010年11月19日に11年ぶりに改められた。大量破壊兵器の拡散およびテロリズ
28. NATO戦略概念[欧文略語]
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[NATO Strategic Concept]北大西洋条約機構(NATO)の21世紀に向けた役割を規定したもの.1999年の首脳会議で採択.
29. NATO即応部隊(NRF)[EU/ヨーロッパ]
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2002年9月のラムズフェルド米国防長官(当時)の提案を受け、02年11月北大西洋条約機構(NATO)のプラハ首脳会議で創設が決定された部隊。NATO理事会の
30. NATO即応部隊[欧文略語]
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[NATO Response Force]【軍事】2002年にNATO(北大西洋条約機構)が創設を決定し,迅速に移動できるハイテク部隊.NRFともいう.
31. NATOの対リビア軍事作戦[EU/ヨーロッパ]
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2011年3月から10月まで北大西洋条約機構(NATO)によって実施された、リビアに対する軍事作戦。11年1月、チュニジアで起こった反体制運動による政権交代の
32. NATOの東方拡大[EU/ヨーロッパ]画像
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東のソビエト連邦(ソ連)圏(当時)に対する集団防衛組織であった北大西洋条約機構(NATO)が、冷戦後に、旧東欧諸国や旧ソ連諸国を取り込んで加盟国を拡大している
33. NATOの非5条任務[EU/ヨーロッパ]
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北大西洋条約機構(NATO)の任務のうち、北大西洋条約第5条で規定されている集団防衛以外の、危機管理任務のこと。冷戦終結後、新しい危険として認識されたのが、加
34. NATOの抑止・防衛態勢見直し[軍縮/平和]
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北大西洋条約機構(NATO)の抑止態勢および防衛態勢を定めるため、2012年5月のNATOシカゴ・サミットにおいて合意された文書。特にヨーロッパに配備されたア
35. NATOブカレスト首脳会合[欧文略語]
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Bucharest Summit]【軍事】【政治】2008年4月にルーマニアの首都ブカレストで行われた北大西洋条約機構(NATO)の首脳会合.アフガニスタンに対
36. NATOミサイル防衛システム[EU/ヨーロッパ]
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2010年、ポルトガルのリスボンで開催された北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で決定された、戦域ミサイル防衛配備計画。06年から、NATOは欧州部隊防護のた
37. NATOミサイル防衛システム[欧文略語]
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[NATO Missile Defence System]【軍事】2010年11月にNATO(北大西洋条約機構)首脳会議で採択された新たなミサイル防衛(MD)計
38. NATO・ロシア間のMD協力協議[EU/ヨーロッパ]
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北大西洋条約機構(NATO)とロシアの間のミサイル防衛(MD)を巡る協力協議。2010年11月のNATOリスボン首脳会議で協力深化の可能性を検討することが合意
39. NATO・ロシア理事会(NRC)[EU/ヨーロッパ]
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2002年5月28日の北大西洋条約機構(NATO)・ロシア首脳会議で採択された「NATO・ロシア関係:新しい質」宣言で創設が決められた新しいメカニズムで、安全
40. NDAC[欧文略語]
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[Nuclear Defense Affairs Committee]NATO(北大西洋条約機構)の核防衛問題委員会.
41. NDN[欧文略語]
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Network]【軍事】【政治】北方供給ネットワーク.アフガニスタンにおけるNATO(北大西洋条約機構)の活動のため,旧ソ連諸国経由で物資を補給する陸上輸送ル
42. PFP[欧文略語]
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(1)[Partnership for Peace]平和のためのパートナーシップ協定.北大西洋条約機構(NATO)諸国と調印国が締結する.1994年に始まる.
43. PJC[欧文略語]
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(2)[Permanent Joint Council]【軍事】【政治】常設合同理事会.NATO(北大西洋条約機構)の決定をロシアに伝える場として1997年に創
44. RAP[欧文略語]
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[Readiness Action Plan]【軍事】【政治】即応性行動計画.NATO(北大西洋条約機構)が2014年に首脳会議で採択.ウクライナ危機を背景にN
45. SACEUR[欧文略語]
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Commander,Europe]【軍事】ヨーロッパ連合軍司令官.ヨーロッパ連合軍は, NATO(北大西洋条約機構)の軍事組織.
46. VJTF[欧文略語]
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[Very High Readiness Joint Task Force]【軍事】北大西洋条約機構(NATO)の即応部隊(NRF)内に創設される初動対処部隊
47. WTO[欧文略語]
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(3)[Warsaw Treaty Organization]【政治】ワトー.ワルシャワ条約機構.北大西洋条約機構 (NATO) に対抗して1955年に結成した
48. アイスランド画像
日本大百科全書
下にある軍事的最重要地点であり、イギリスを含む西側諸国のソ連に対する防衛拠点のNATO(北大西洋条約機構)軍事基地がアイスランドのケプラビークにあったこと、また
49. アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower)
世界大百科事典
昇格。大戦終結後陸軍参謀総長となり,48年には退役,コロンビア大学総長に転じたが,50年北大西洋条約機構(NATO)軍最高司令官に任命されて赴任。52年の大統領
50. アイルランド 135ページ
文庫クセジュ
宣言した国は、大戦以来、一九二一年に行なわれた分割に対し異を唱え続け、そのためにNATO(北大西洋条約機構)に参加することを拒否し、中立の原則に甘んじた。すでに
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国際競技連盟(日本大百科全書・世界大百科事典)
各国の競技団体を国際的に統括する非政府組織。略称IF。各IFはオリンピックや世界選手権などでそれぞれの競技の運営にあたると同時に、国際的に適用する大会参加規定や競技規則(ルール)を独自に制定する。オリンピック実施競技のなかでもっとも古いのは1881年
国際連盟(世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
国際平和の維持を目的として第1次世界大戦後設立された国際機構。第2次大戦の勃発によって形骸化し,戦後国際連合にその任務をゆずって消滅した。成立平和維持のための国際機構という構想は古代ギリシア以来繰り返し提唱されてきた。さまざまな分野の国際協力は国際関
国際連合(日本大百科全書・世界大百科事典)
国際連合(以下国連と略称)は、国際連盟TheLeagueofNationsの後を受けて、第二次世界大戦直後に設立され、国際平和と安全の維持をおもな目的とする、普遍的な平和機構である。一般的には、この名称は、国連憲章Charter of the United Nationsに基づいて設立された
NATO(北大西洋条約機構)(日本大百科全書・世界大百科事典)
北大西洋条約に基づく同盟。略称はNATO(ナトー)。1949年にベルギー、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、イギリスの西欧10か国とアメリカ、カナダの全12か国により発足。冷戦後に旧東側の
独立国家共同体(世界大百科事典)
ソ連崩壊のさなか独立した共和国からできた条約共同体。英語名Commonwealth of Independent States,略称CIS。ロシア語でSodruzhestvo nezavisimykh gosudarstv,略称SNG(エスエヌゲー)。1991年12月8日,ロシア,ウクライナ,ベラルーシの3国によって合意され,ミンスクで誕生した
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中華人民共和国が成立したのは1949年であるが,日本が中国と正常な国交関係を樹立したのは72年の日中共同声明においてであった。新しい中国が誕生してから23年目の国交樹立であり,日本は79番目の中国承認国となった。日中国交回復が遅れていたのは,日本が
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▲総論1917年の革命によってつくられ、正式には1922年に成立して1991年まで存在した、アジアとヨーロッパにまたがる世界最大の多民族国家。その面積2240万2200平方キロメートルは地球の全陸地面積の6分の1弱を占め、アメリカ合衆国の約2.4倍
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ウクライナ南部,黒海の北岸から南に突出した大きな半島。クリム半島とも呼び,面積2万5500km2。そのほぼ全域がウクライナのクリミア自治共和国に属する。北端は幅わずかに8kmのペレコプ地峡によってつながり,ここを道路と南ウクライナ~北クリミア運河が
キエフ・ロシア(世界大百科事典)
ロシアの政治,経済,文化の中心がキエフにあったキエフ時代(ほぼ9世紀半ばから13世紀半ばまで)のロシア。キエフ・ルーシ,キエフ国家ともいう。国家の成立12世紀初めに編さんされたロシア最古の年代記《過ぎし年月の物語》によれば,9世紀半ばには,東スラブ人
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