北大西洋条約に基づく同盟。略称はNATO (ナトー)。1949年にベルギー、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、イギリスの西欧10か国とアメリカ、カナダの全12か国により発足。冷戦後に旧東側の諸国も加わり、2022年4月時点での加盟国数は30か国。本部をブリュッセル(当初はパリ)に置く。
2022年4月19日
冷戦から冷戦後へ
ヨーロッパにおける冷戦が進行するなかで、1949年4月に署名されたのが北大西洋条約(ワシントン条約)であり、アメリカと西欧諸国が同盟を形成することになった。その後、翌1950年の朝鮮戦争勃発に象徴される冷戦の激化を受け、NATOでは統合軍事機構が設置されるなどの機構化が進められた。西欧諸国の防衛とそのための対ソ抑止、米欧協力がNATOの中核であり、その基礎は集団防衛(相互援助)を定めた北大西洋条約第5条であった。冷戦期の長きにわたって、NATOの課題は通常戦力の強化であったが、結局、少なくとも数量的にソ連側と対等になることはなかった。通常兵器における対ソ劣位を埋めるため、冷戦期のNATOでは核戦力に頼る度合いが高まった。小規模な通常侵攻にも核兵器による大規模な反撃を行うとした1950年代の「大量報復戦略」は、通常兵器における劣位という現実から導かれたものである。
冷戦期のNATOは同時に、同盟政治の教科書的事例でもあった。アメリカは本当にヨーロッパを守るのかという拡大抑止の信頼性に関する議論の歴史は、NATO自体の歴史同様に長い。「アメリカはパリを守るために本当にニューヨークを犠牲にするのか」という疑念である。ソ連にいかに対応するかについても、強硬路線と対話の間で、同盟国間での相違が消えることはなかった。また、米欧間のバードン・シェアリング(負担分担)をめぐる問題は、今日まで引き継がれている。NATOは史上最強の同盟とよばれることも多いが、つねに一枚岩だったわけでは決してない。
冷戦後にNATOがヨーロッパにおける中心的な安全保障機構として存続することは、当初かならずしも自明ではなかったものの、冷戦終結に伴う秩序変動期にNATOが安定の砦 (とりで)となったことは事実である。そして、ソ連が崩壊しても新生ロシアの行方は不透明であり、アメリカとの関係が不要になったわけでもなかった。
2018年1月19日
冷戦後の地理的拡大と機能的拡大
冷戦後のNATOの変容を特徴づけるのは第一に地理的拡大であり、これは加盟国およびパートナー諸国の拡大を意味する。1999年にNATOはチェコ、ハンガリー、ポーランドの3か国を加盟国に迎え入れた。旧東側諸国の初めてのNATO加盟であった。その前の1994年には「平和のためのパートナーシップ(PfP)」が発足し、オーストリアやフィンランドといった中立諸国を含めて、NATOとの関係強化が試みられた。NATO加盟を目ざす諸国にとってのPfPは、いわば加盟のための待合室であった。その後の累次の拡大で、2022年4月時点での加盟国数は30か国に膨らんでいる。
第二は機能的拡大である。冷戦期のNATOは領土防衛のための軍事安全保障に特化していたが、冷戦後は、加盟希望国への対策として、軍の民主化や近代化などの支援を実施したのみならず、1990年代なかば以降は、ボスニアを皮切りに平和維持(危機管理)活動にも深く関与することになった。平和維持活動などは、集団防衛とは異なるという意味で、「非5条任務」とよばれてきた。
これらはNATOにとって大きな変化であったが、それでも、1990年代のNATOの活動は、ヨーロッパ内に限られていた。こうした状況を根本から変えたのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件(9・11テロ)である。これにより、国際安全保障上の脅威・挑戦が真にグローバルなものになったことが認識され、アフガニスタンをテロリストの温床にしないことがNATO諸国の安全保障にとって不可欠だという理解が生まれた。加えてNATOは、9・11テロに際して北大西洋条約第5条を歴史上初めて発動し、空中早期警戒管制機(AWACS (エーワックス))の派遣など、アメリカへの支援を行った。「アメリカがヨーロッパを助けるのがNATOである」と考えられてきたため、9・11テロを受けての第5条発動はその逆であったといえるが、互いに支援する相互性こそが同盟の本来の姿である。
2022年4月19日
「グローバルNATO」とその限界
2002年6月にアイスランドの首都レイキャビークで開かれたNATO外相会合は、「必要とあらばどこへでもwherever needed」、部隊を派遣するとの原則を承認した。これが、翌2003年に、アフガニスタンでの国際治安支援部隊(ISAF (アイサッフ):International Security Assistance Force)の指揮をNATOが引き継ぐことにつながっていく。それ以降のNATOでは、ISAFの比重が増し、同盟変革の方向性はアフガニスタンでの経験により規定されていくという状況が生じた。COIN (コイン)(counter-insurgency)とよばれる反乱軍対策、開発と安全保障とのリンク、国際連合や世界銀行、非加盟国、さらには非政府組織(NGO)との協力をも含む「包括的なアプローチ」などは、NATOにとって新たな挑戦であった。
アフガニスタンでの作戦、そしてそこでの日本を含む非加盟国との協力を受け、「グローバルNATO」との言説が盛んになったのも2000年代なかばであった。同盟変革においては、遠征任務に適応できる部隊の構築が主眼となり、さらなる遠征任務の実施に備えて、戦略空輸能力の強化なども優先課題とされたのである。
だからこそ、2008年8月のロシア・ジョージア(グルジア)紛争の発生は大きな衝撃であった。突如として、領域防衛という意味での集団防衛が喫緊の課題として再浮上し、バルト諸国など、ロシアの脅威を身近に感じる諸国には動揺が広がった。「NATOの集団防衛は、有事の際に本当に機能するのか」という、それまで長く省みられることのなかった問いが再浮上したのである。それを受けて2010年11月のリスボンNATO首脳会合で採択されたNATOの最高位の戦略文書である「戦略概念」では、集団防衛が前面に打ち出された。
同時にNATO各国で進んでいたのは、「アフガニスタン疲れ」とでも表現し得る、これ以上の作戦上の負担は忌避したいとする潮流であった。アフガニスタンの安定がNATO諸国自身の安全保障にとって重要であると、加盟各国の政府は主張したものの、やはり一般市民にとっては遠い世界の出来事であった。さらに、ISAFにおいては、各国間で負担の格差が目だち、イギリスのように多くの犠牲者を出していた国は不満を募らせることになった。そして、ISAFのような大規模作戦をふたたび行う意思はほぼ消滅した。
しかし、防衛同盟であるNATOは、戦略的な青写真を描き、それに基づいて行動するような組織ではそもそもない。加盟国の安全保障という目的に照らして必要なことを、(たとえ嫌でも)行うのがNATOの本義である。結果として受け身であり、状況対処的にならざるを得ない。アフガニスタン戦争への厭戦 (えんせん)ムードのなかで実施されたのが、2011年のリビアのカダフィ政権に対する新たな空爆作戦であったことは示唆的である。
2018年1月19日
原点回帰するNATO
9・11テロ後のNATOがグローバル化、すなわち遠征任務重視の方向性を有していたとすれば、それを最終的に葬り去り、集団防衛への「原点回帰」とでもいえる状況をもたらしたのは、2014年春のロシアによるウクライナのクリミア併合、それに続くウクライナ東部への介入であった。2008年のロシア・ジョージア紛争はその予鈴であったともいえるが、ヨーロッパへの地理的な近さと国の大きさから、ウクライナ危機のインパクトは桁 (けた)違いに大きかった。冷戦後、パートナーとして扱ってきたロシアが、NATOに対する直接的な脅威として再浮上したのである。
2014年9月にウェールズで開かれたNATO首脳会合は、「即応性行動計画(RAP:Readiness Action Plan)」を採択し、同盟国への安心供与(assurance)と軍事的適応(adaptation)を柱とする対策に乗り出した。バルト諸国やポーランドといった、ロシアの脅威を強く感じる諸国においてNATOの枠内での多国間の共同訓練・演習を拡大するとともに、従来存在したNATO即応部隊(NRF:NATO Responce Force)の強化版として、高度即応統合任務部隊(VJTF:Very High Readiness Joint Task Force)の創設が合意された。加えてアメリカは独自に「ヨーロッパ安心供与イニシアティブ(ERI:European Reassurance Initiative)」を開始し、バルト諸国やポーランドなどとの共同訓練・演習を実施し、そのための米軍部隊の派遣を進めることになった。
これらを通じて、安心供与に関しては一定の成果があがり、たとえばバルト諸国においては「これでようやく一級のNATO加盟国になった」との評価も聞かれた。しかし、ロシアによるウクライナ東部への介入は継続し、ロシアへの対応はより長期的なものにならざるを得ないとの認識がNATO内で強まることになった。そのため、2016年7月のワルシャワでのNATO首脳会合では、安心供与から対ロ抑止へと、NATOによる措置の力点も変化することになった。
同会合は、バルト諸国とポーランドに対して、「強化された前方プレゼンス(eFP:enhanced Forward Presence)」として、各国に一個大隊規模(約1000人)のNATO多国籍部隊の事実上の常駐を決定した。それでも、それら諸国の対ロ国境地帯における戦力バランスはロシアが圧倒的に優位であり、NATO部隊の役割は、ロシアの正規軍を相手に実際に戦うことというよりは、NATO全体の関与を導くための「引き金」である。そうだとしても、たとえばバルト諸国に介入を試みれば、対象国のみならずNATO全体を相手にすることになるとのメッセージをロシアに発することこそが抑止なのである。
2018年1月19日
トランプ時代のNATO
そうしたなかでアメリカでは2017年1月、大統領選挙期間中にヨーロッパの「安保タダ乗り」批判やNATO軽視発言を繰り返したトランプが大統領に就任した。同年5月にブリュッセルで開かれた非公式NATO首脳会合の場では、ヨーロッパ諸国に対する国防予算増額の要求額ばかりが前面に出たうえに、トランプが北大西洋条約第5条に言及しなかったことから、NATO諸国の間では懸念が深まることになった。NATOは、加盟国に対し国内総生産(GDP)比2パーセントの国防支出という目標値を定めており、2014年9月の首脳会合で、10年以内の達成努力が合意されている。トランプ政権はこれを根拠に、「約束を守れ」と強い圧力をかけているのである。
他方で、eFPに基づく部隊の展開はトランプ政権下でも継続され、また、ERIは「ヨーロッパ抑止イニシアティブ(EDI:European Deterrence Initiative)」と改称されたのみならず、予算も拡大し、2018年度予算(要求額)は日本円換算で5000億円近くになっている。こうした実態面をみる限り、NATOへのコミットメントに関するトランプ政権への懸念は杞憂 (きゆう)であったともいえる。しかし、同政権の予測不能性への警戒感は依然として根強いのがヨーロッパの状況である。バードン・シェアリングが進み、より強力なNATOが誕生する可能性もあるが、加盟国間、とくに米欧間の離反が深まる懸念もあろう。
2018年1月19日