国際連合(以下国連と略称)は、国際連盟The League of Nationsの後を受けて、第二次世界大戦直後に設立され、国際平和と安全の維持をおもな目的とする、普遍的な平和機構である。一般的には、この名称は、国連憲章Charter of the United Nationsに基づいて設立された国連機構(本部)をさすが、憲章で定められた手続に従ってこの機構と連携関係をもつ専門機関をも含めた国連ファミリー全体をさすこともある。国連は、全世界に開かれ目的が多岐にわたるいわゆる普遍的一般的国際機構であるが、同時に主権国家の集合体であり、各加盟国の主権は平等である。したがって、国連は世界国家のような強い統制力をもった機構ではない。そして、その発足以降における国際環境の進展と変貌 (へんぼう)のため、その機構も機能も逐次拡大するとともに著しい変容を遂げた。
成立
1943年10月、モスクワで開かれたアメリカ、イギリス、ソ連三国外相会議において第二次世界大戦後の平和維持機構設立問題が正式に取り上げられた。その結果、この3か国に中国を加えた4か国が、「国際平和と安全の維持のために、すべての平和愛好国の主権平等の原則に基づく世界的国際機構の設立を必要と認める」とうたったモスクワ共同宣言を発して、新機構設立の連合国の意向を明らかにした。翌1944年、アメリカのダンバートン・オークスで開かれた前述4か国代表の会議において新機構に関する具体案が練られ、その結果ダンバートン・オークス提案が生まれた。これが「一般的国際機関の設立に関する提案」で、この提案は今日の国連憲章の原案となったものである。
さらに翌年の1945年2月の米英ソ三国首脳によるヤルタ会談において、安全保障理事会の表決方法や信託統治制度など未決事項についての合意が成立し、同年4月、連合国の全体会議が50か国の代表を集めてサンフランシスコで開かれ、2か月にわたる審議を経て、前記ダンバートン・オークス提案を修正・追加して憲章草案ができあがった。この草案は同年6月26日、参加国全部の50か国によって署名され、10月24日、所定の批准数を満たしたので、国際連合が正式に発足することとなった。毎年10月24日は「国連の日」(国連デー)として記念され、世界各国で各種行事が催されている。発足時に加盟国となった国を原加盟国とよぶ。ポーランドは、新政府が成立していなかったので会議に出席できなかったが、原加盟国に加えられ、全部で51か国となった。中立国、日本を含む旧敵国、旧敵国の援助を受けていた政権の支配するスペインなどはそのなかに入れられなかった。以上の経緯をたどって成立した国連は、大戦中の五大国(アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランス)のイニシアティブと特権のうえに築かれ、1946年1月1日、その第1回総会をロンドンで開催した。
発足時の特徴
国連の特徴の最大のものは、旧連合国重視ということである。発足時には、前述のごとく、多くの国が原加盟国たることから排除され、旧連合国から成立していた。そのなかでも五大国は、常任理事国としての特権(拒否権)を与えられ、特別扱いされた。第二の特徴は、それにもかかわらず、51か国という多数の国が加盟し、そのなかにはアメリカ、ソ連を含む五大国がいずれも最初から参加していたことである。そして第三の特徴は、国際連盟の教訓を尊重して、その欠点であったヨーロッパ的性格、すなわち加盟国のヨーロッパ中心主義、活動にあたっての法律主義や手続偏重を排し、普遍的加盟、実際的処理を重視し、全会一致制を変えて多数決制を原則としたことである。最後に、国際連盟が平和と安全の維持を目的としたことに加え、国連は経済、社会、人権などの分野における国際協力を独立してその目的のなかに加えたことがあげられる。
主要機関
国連は六つの主要機関からなっている。総会、安全保障、経済社会および信託統治の3理事会、国際司法裁判所ならびに事務局がそれである(憲章第7条)。国連は、これらの主要機関のほかに補助機関を設けることができることになっている。
〔1〕総会General Assembly 主要機関のうちで最高の機関は総会で、国連機能の全般にわたって討議し、加盟国、安全保障理事会に対して勧告を行うことができる。総会は全国連加盟国(2011年8月時点で193か国)で構成する。また総会の決定は、出席しかつ投票する構成国の過半数により、重要問題については3分の2の多数によって行われる。
総会(通常会期)は毎年1回(9月の第3火曜日から)開かれることになっているが、必要があれば特別総会Special Sessionを開くことができる(憲章第20条)。また、安全保障理事会が国際の平和と安全の維持に関する主要な責任の遂行に失敗したときには、国際の平和と安全を維持しまたは回復するための集団的措置を加盟国に勧告するために、総会の会期中でないときには、安全保障理事会の要請(9理事国の多数によって)か、加盟国の要請(過半数によって)があってから24時間以内に、緊急特別総会Emergency Special Sessionを開くことができる(1951年11月3日に成立した「平和のための統合決議」による)。
〔2〕安全保障理事会Security Council 安全保障理事会は、国際の平和と安全の維持に関して第一次的責任を負う機関である。国連加盟国は、安全保障理事会の決定を受諾し履行しなければならないから、この責任遂行のために、総会よりも強い権限を有しているわけである。理事会は、常任理事国5か国(アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、中国)と非常任理事国(発足当初は6か国。1965年に4か国増員され、2010年時点で10か国となった。任期は2年だが引き続いて再選されない)で構成する。また理事会の決定は、手続事項については9理事国(いかなる理事国であってもよい)の賛成投票によって、その他の事項の決定については、常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる。したがって、実質事項の決定では常任理事国の反対投票は拒否権vetoの行使となる(ただし常任理事国の棄権や欠席は拒否権の行使と認められないことが慣行として確立している)。
〔3〕経済社会理事会Economic and Social Council 経済社会理事会は、経済的、社会的、文化的、教育的および保健的国際問題について、研究、報告、発議を行い、総会、国連加盟国および関係専門機関に対し勧告を行うことができる。理事会はこのほかに、専門機関Specialized Agenciesとの連携関係を設定する協定を締結し、その活動の調整を行う。また、NGO(非政府組織)と協議を行い、そのための取決めを行う権限をもっている。理事会は54の加盟国(2010年時点)で構成する。その決定は、出席しかつ投票する理事国の過半数によって行われる。経済・社会問題が錯綜 (さくそう)している今日の国際関係の下で、この理事会の占める役割はきわめて重要であるが、安全保障理事会のような強い権限をもたず、またその補助機関が拡大したことにより活動の調整が困難になっている。今後ますます重要問題の審議と代表者の格上げが要望されており、その改革の早急な成果が期待されている。
〔4〕信託統治理事会Trusteeship Council 信託統治理事会は、信託統治地域について統治国を監督するための機関である。理事会は、(1)信託統治地域の施政を行う加盟国、(2)安全保障理事会の常任理事国で施政権者でない国、(3)総会によって3年の任期で選出されたその他の加盟国で構成される(その数は、理事国の総数を、施政を行う加盟国とこれを行っていないものとの間に均分するのに必要な数)。この理事会は、旧委任統治地域を取り扱うための信託統治協定に基づき活動してきたが、1994年のパラオを最後に管轄下の11の地域すべてが独立したため任務をほぼ終了したものとみなされている。そのため信託統治理事会は手続を改正し、今後は必要が生じた場合のみ会議を開くことになった。
〔5〕国際司法裁判所International Court of Justice 国際司法裁判所は、国際連盟時代の常設国際司法裁判所を引き継いだもので、15人の裁判官(任期9年)よりなる、国連の主要な司法機関である。この裁判所は、国連憲章と不可分の一体をなす国際司法裁判所規程に従ってその任務を行うことになっており、すべての国連加盟国はこの規程の当事国である。また、すべての国連加盟国は、自国が当事者であるいかなる事件においても、その裁判に従わなければならない。総会、安全保障理事会、あるいは、その他の国連機関や専門機関で総会の許可を得るものは、法律問題についてこの裁判所の勧告的意見を求めることができる。この勧告的意見には法的拘束力はない。
〔6〕事務局Secretariat 事務局は、事務総長Secretary General(安全保障理事会の勧告に基づいて総会が任命する)を長とする行政的・事務的機能を果たす機関である。事務総長は、各会議に出席し、委託された任務を遂行し、年次報告を行うなど事務機能を統率しているが、同時に国際の平和と安全の問題について安全保障理事会の注意を促したり、総会に年次報告をするなど、政治的機能も担う重要な機関である。歴代事務総長は、トリグブ・リー以下ダグ・ハマーショルド、ウ・タント、クルト・ワルトハイム、ハビエル・ペレス・デクエヤル、ブートロス・ブートロス・ガリ、コフィ・アナン、潘基文 (ばんきぶん/パンギムン)である。事務局の職員は国際職員で、その身分は憲章によって保証されている。
〔7〕補助機関Subsidiary Organs 総会および各理事会は補助機関を設けることが認められている。総会関係では、人権理事会(UNHRC)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP)、国連環境計画(UNEP)などがあり、安全保障理事会関係では旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)やルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)などがある。また、総会と安全保障理事会の両方の下に、国連平和構築委員会(PBC)がある。経済社会理事会関係では、麻薬委員会や持続可能開発委員会などの機能委員会と、地域委員会(5地域)がある。
〔8〕専門機関Specialized Agencies 専門機関は次の19の国際組織からなる(2010年9月時点)。国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、世界保健機関(WHO)、国際民間航空機関(ICAO)、万国郵便連合(UPU)、国際電気通信連合(ITU)、世界気象機関(WMO)、国際海事機関(IMO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行グループ(国際復興開発銀行=IBRD、国際開発協会=IDA、国際金融公社=IFC、多数国間投資保証機関=MIGA、国際投資紛争解決センター=ICSID)、世界知的所有権機関(WIPO)、国際農業開発基金(IFAD)、国連工業開発機関(UNIDO)、世界観光機関(UNWTO)。なお、国際原子力機関(IAEA)は専門機関に類するものであるが、性質上、経済社会理事会のみならず総会、安全保障理事会とも関係をもっているので専門機関には入らない。また、世界貿易機関(WTO)も専門機関と類似するが、連携協定は締結されていない。
成立以後の歴史と現状
国連はその発足後多くの試練を経て今日に至っているが、その過程を通じて国連憲章の予想したところと異なった方向に変貌 (へんぼう)した。その変貌を招いた基礎は、発足以後の東西関係における対立と協調の交錯であり、また第三世界からの加盟の増大による国連内勢力関係の変化である。その後の冷戦構造の崩壊から今日に至るまで、これらの変化は、国連主要機関の役割の消長を招き、同時に、機構改革の機運の高まりをもたらした。
〔1〕東西関係 第二次世界大戦を通じて保たれた東西間の協調は、国連の発足後まもなく、レバノン、シリア、ギリシアにおける外国軍隊の撤退を主張したソ連の第1回拒否権行使によって動揺を始め、これに対応してなされた1947年のトルーマン・ドクトリン発表やマーシャル・プランの成立のために、冷戦Cold Warによって置き換えられるに至った。この冷戦期間は、1953年のスターリンの死まで続き、東西ともに国連を自己に有利に活用しようとしたが、拒否権の乱発によって国連は麻痺 (まひ)状態になった。スターリンの死後平和共存の時代に入り、さらに米ソ間のいわゆるデタント時代がこれに続くに及び、米ソ両国による国連の共同管理の様相を呈するに至った。
〔2〕第三世界諸国の大量加盟 冷戦構造がなお続く1955年、アジア・アフリカ新興諸国は、バンドン会議における反帝反植民地のスローガンのもとに16か国が一括加盟に成功した。それ以後も第三世界の新加盟が続き、第三世界の全加盟国数に占める比率は、35%(1956年末)、50%(1964年初頭)と増大し、今日では3分の2を超えている。強烈な民族主義と非同盟主義に支えられたアジア・アフリカ勢力の国連における台頭は、当然に西欧体制下の国連の勢力関係に変化をもたらした。そのうえソ連や新しく国連に席を占めた中国はこれを支援し、アメリカをはじめとする西欧諸国は、その数の力にフラストレーションを覚えるようになった。このことは、米ソ両国の主導下にあった国連の勢力関係が多極化し、超大国の自由にならなくなったことを意味した。
〔3〕国連主要機関の役割の消長 東西関係が冷戦下にあった国連史の最初の10年は、安全保障理事会の機能が麻痺して総会の役割が上昇したが、それに続く10年間は安全保障における事務総長の機能を高め、さらにその後の10年間では、第三世界の総会における勢力増大の影響を避けようとする西欧側の態度を反映して、安全保障理事会の比重が高まった時代ということができる。中東問題や南ア問題に関する総会の決議の無視、安全保障理事会におけるアメリカを含む拒否権行使の頻発がその好例である。
〔4〕安全保障理事会の活性化 冷戦後安全保障理事会が機能するようになり、国連は新たな方向へ進んでいる。安全保障理事会は、1990年代初頭の湾岸危機を契機として、国連憲章第7章に基づいて、多国籍軍や地域的機関に強制措置を授権するようになった。また、各地で内戦が頻発し、平和維持活動の派遣件数が飛躍的に増大した。さらに、1992年に国連事務総長ブートロス・ガリによって提出された報告書「平和への課題」では、紛争予防および平和維持活動と並び、紛争後の復興を支援するいわゆる平和構築の重要性が唱えられた。その後平和構築委員会(PBC)が設置され、紛争後の地域においては、平和維持活動以外に国連政治・平和構築ミッションとよばれる新たな活動が展開している。また、紛争後の地域での司法機関による法の秩序の確立として、1990年代に起きたユーゴスラビアとルワンダの内戦において、国際人道法上で違反したものを裁くために、安全保障理事会のもと国際刑事裁判所がそれぞれ設けられた。
〔5〕改革機運の高まり アナン事務総長の在任中(1997~2006年)、世紀の変わり目には「国連ミレニアム宣言」、また国連創立60周年には「世界サミット成果文書」と、大きな節目に重要な文書が採択された。これらにおいて国連の目標や原則が再確認されるとともに、あらゆる活動分野における提案が多く盛り込まれ、アナンは積極的に国連改革を推進した。1997年7月の報告書「国連を刷新する」は、副事務総長の新設、部局の統廃合や職員の大幅な削減など斬新な考えを盛り込み、設立以来もっとも包括的かつ大胆と評された。2002年9月の報告書でうたわれた「国連を強化する」との目的の下に人権理事会の設置が決定され、事務局の改革も提案された。さらに2006年3月には「国連に投資する」と題された報告書で国連改革の枠組みと具体案が提示された。
今日国連は、環境、公衆衛生、人間の安全保障などの分野では、国境を越えた危機や挑戦に直面しており、アナンの後を受けた潘事務総長も改革に着手している。
制度上の発展
複雑な国際環境に直面して機構面でも機能面でも行き詰まったかにみえる国連においても、制度上、種々打開策が試みられてきた。先に挙げた平和のための結集以外に重要なものを次にあげる。
〔1〕意思決定におけるコンセンサス制の採用 国連においては、意思決定は投票によって行われるのが原則である。しかし、投票によるときは、より広い賛同が得られないまま投票に付されるから、賛否が大きく分かれ、のちにしこりを残すばかりでなく、せっかくの決定が実施されない場合が多い。コンセンサス制consensusは、投票によることなく、議長などが、異議がなければこれを採択したいと宣言して表決にかえるのである。コンセンサス案が成立するためには十分な事前協議がなされねばならない。コンセンサスは全員が満足するものとは限らないから、満場一致とは異なるが、反対しないということで総意となったものであるから実施に移しやすく、コンセンサスの次に、よりよい決定が行われることもある。したがって、コンセンサス制は投票にかわる意思決定方式として定着してきたといえる。
〔2〕平和維持活動の展開 国連は、冷戦に拒まれて本来の国連軍を編成することに失敗したが、これにかわる平和維持活動Peace-keeping Operations(PKO)を展開し、平和維持の重要な役割の一端を担わせることができた。PKOは、安全保障理事会または総会の勧告に基づき、武力行使を目的とせずに、紛争当事国間に介在して停戦の確立、治安維持などにあたることにより、戦火の拡大、再発を防止することを任務とする予防的警察行為である。したがって、侵略の防止や軍事制裁などの軍事行動を目的とするものとは異なっている。PKOには、兵器をもって停戦を確保する型と、兵器をもたない監視団のそれとの2種類がある。冷戦後は、1992年にカンボジアに派遣された国連カンボジア暫定機構(UNTAC)のように、従来の兵力引き離しや停戦監視以外の、選挙監視や文民警察機能などを備えた大規模かつ包括的な目的を帯びたPKOが奏功した。他方、1993年に、国連事務総長ガリの報告書「平和への課題」の下でソマリアに派遣された第二次国連ソマリア活動(UNOSOMⅡ)のように、武装しかつ紛争当事者の同意なく介入するものは、失敗に終わった。今日、憲章第7章の下で、自衛力を強化されたPKOが派遣されるようになり、また、スーダンのダルフール地域における国連アフリカ連合合同ミッション(UNAMID)のように地域的機関の軍と連携したハイブリッド型の活動も見受けられ、PKOは新時代を迎えている。
〔3〕NGO活動の重視 主権国家の集合体である国連にとって、NGOの活動は有意義であることが認められ、憲章もそのため1か条を割いている(憲章71条)。NGOが注意を払われるようになったのは、その数のおびただしい増大とともにその政治的重要性が高まったこと、通信技術の発達によって、経済・社会分野における国境を越えての横断的民際活動が活発化したことのためである。国連は、これら組織の特殊な地位を認めて国連活動への協力を望んできた。国連の主要機関の一つである経済社会理事会と協議する関係にあるNGOを一般に国連NGOとよぶ。なお近年の国連では、しばしばNGOのことを市民社会civil societyとよぶ。
安全保障理事会の改革
冷戦後、ソ連からロシアへと安全保障理事会の議席がスムーズに承継され、また、湾岸危機の際、五大国の意見の一致により安全保障理事会が機能するようになった。このことは、他の加盟国に対して、大国による安全保障理事会支配という不信感を喚起し、安全保障理事会の構成を再考する契機となった。1991年の総会で改組の議論が始まり、1993年12月には、安全保障理事会改組作業部会が設置された。改革問題の争点は、主に、(1)安全保障理事会拡大の範囲と(2)拒否権の問題であった。
1997年3月には、作業部会から、安全保障理事会の拡大の幅を常任理事国5か国(そのうち2か国は先進国)とし、新規常任理事国には拒否権を認めないことなどを盛り込んだ提案(議長の名をとって「ラザリ案」とよばれる)が出された。日本とドイツ、さらに地域の大国であるブラジルとインドにとっては、常任理事国入りが目前に迫ったが、同年10月にイタリア、カナダ、エジプト、メキシコ、パキスタンなどの反対により、ラザリ案は採択されなかった。
2001年9月11日にアメリカを襲ったテロを契機とし、2003年9月には、総会でアナン事務総長が国際社会の新たな脅威に対処するための改革を検討する「ハイレベル・パネル」の設置を提唱した。翌年12月には同パネルが報告書を提出した。ここでは、二つの方策、すなわち、常任理事国(拒否権なし)6か国と非常任理事国(2年任期)3か国の増加(A案)と、準常任理事国(任期4年で再選可)8か国と非常任理事国2か国の増加(B案)が提案された。日本、ドイツ、ブラジルおよびインド(G4)は歩調をあわせて、A案を推進すべく、アフリカ連合(AU)との交渉を進めたが時間がかかり、安全保障理事会の改革は、暗礁に乗り上げた。
国連の財政
国連の通常予算は2年ごとに編成する。2010~2011年は、約52億ドルである。国連の経費は加盟国の分担金によってまかなわれる。分担金は、総会が任命し個人資格で勤務する18名の委員から構成される分担金委員会の助言に基づいて、総会が決定する分担率に従って加盟国が支払うことになっている。分担率は、加盟国の国民総所得などに基づいて決められ、原則として3年に1回改定される。2010年の基準では、1位アメリカ(22%)、2位日本(12.5%)、3位ドイツ(8.0%)、4位イギリス(6.6%)、5位フランス(6.1%)であり、安全保障理事会常任理事国の中国は3.1%、ロシアは1.6%である。国連には、通常予算のほかに、自発的拠出金その他の特別勘定または信託基金などがある。なお、PKOの経費は別の分担方式によりまかなわれる。2010年時点で、アメリカが全体の27.1%を負担しており、以下、日本12.5%、イギリス8.1%、ドイツ8.0%、フランス7.5%と続いている。
国連と日本
日本は戦後、独立を回復するとまもなく、1952年(昭和27)6月23日、国連加盟の申請を行った。しかし、米ソ対立の激しいなか、ソ連はアメリカの推す国は日本をはじめどの国の加盟も拒否権をもって阻止した。1955年になって、日本を含む18か国の一括加盟案が上程されたが、国民政府(中華民国)がモンゴル人民共和国の加盟に反対したため、ソ連は日本にのみ拒否権を行使し、モンゴルとともにこのときも日本は加盟の機を逸した。結局日本の加盟は、翌1956年の12月、日ソ国交正常化交渉の成立をまって実現することができた。なお、日本は国連加盟前に、すでに国際司法裁判所とすべての専門機関に加盟していた。
日本は、平和国家として国連重視の立場をとり、今日までその立場を堅持してきた。日本政府は、国連加盟直後、自由と正義に基づく平和の確立と維持という外交の根本目標に従い、外交活動の基調として、国連中心、自由主義諸国との協調、アジアの一員としての立場堅持、の三原則をあげた。今日では、日本は安全保障理事会の非常任理事国、経済社会理事会の理事国にしばしば当選し、また、分担金負担率も逐次増大して、アメリカに次いで高額負担をすることになった。しかし、日本はその憲法のたてまえ上、軍事力の行使を伴う国連活動に参加することができず、PKOにも経費負担以外の協力を控えてきた。1992年のカンボジアへ派遣されたPKO(UNTAC)を機に自衛隊をはじめ要員を派遣するようにはなってきたが、依然、日本の人的貢献度は低い。
ところで、日本に関連する憲章上の問題として、旧敵国条項削除問題がある。国連憲章上には明文の説明はないものの、第二次世界大戦時に連合国と交戦していた旧「敵国」という語が53条、77条1項bおよび107条の3か所にある。これらの規定を総称して旧敵国条項とよぶ。日本は、1970年の愛知揆一 (あいちきいち)外務大臣の総会演説以降、戦後国際社会に復帰した日本にこのような規定の適用の余地はないものとして、一貫してこれら規定の削除を主張した。この問題に関しては、1994年(平成6)の第49回総会で削除の検討を含む国連憲章特別委員会の報告に関する総会決議が賛成多数で可決され、翌年の総会決議では、108条に基づいて、旧敵国条項を削除するための憲章の改正手続を将来のもっとも早い適当な時期に開始する意思が表明された。しかし、時を同じくして安全保障理事会の改革をはじめとする国連改革の議論が始まったことから、将来の国連改革に伴う改正に応じて一括して改正がなされるとみられている。