火を扱う技術を一般に火術というが、そのなかでも芸術的な分野をなすものを花火という。すなわち花火は、火薬などが爆発しまたは燃えるときの光、火花、火の粉、音、煙などを巧みに組み合わせて、主として観賞の用に供するもので、その現象そのものをさすこともあれば、その現象を現すようにつくられた品物をさすこともある。花火は公的用語としては「煙火 (えんか)」といわれ、その製造、貯蔵、販売等は火薬類取締法によって規制されている。
歴史
花火の原形に「烽火 (のろし)」がある。これは古くからおもに信号として世界の各地で用いられていた。また、紀元前1190年ごろにはトロイ人が「消えない火」を、678年にはシリア人が「ギリシア火」を用いていたと伝えられる。これらは現在の焼夷 (しょうい)剤であろうと考えられている。しかし「花火」の出現は、黒色火薬の発明(1242)以後のことで、イタリアのフィレンツェを中心として15世紀ころまでにはヨーロッパ各地に広まっていった。もっともそのころの花火は単色であり、現在のような鮮やかな色をもつようになったのは19世紀になってからのことである。
日本の花火の歴史
日本の花火は天正 (てんしょう)年間(1573~1592)に一般の火術とともにオランダ人またはポルトガル人によって伝えられたようであるが、起源ははっきりしない。記録によると『駿府政事録 (すんぷせいじろく)』『宮中秘策』『武徳編年集成』に、1613年(慶長18)8月3日明 (みん)国の商人がイギリス人を案内して駿府に徳川家康を訪ね、鉄砲や望遠鏡などを献上して、その6日には城の二の丸で明人が花火を立て、家康がこれを見物したとある。これが花火についての信頼できるもっとも古い記録であるという。このイギリス人はジョン・セーリスといい、国王ジェームズ1世の使者として国書を持って日本にやってきたのであった。前記の文献に「花火を立てる」とあるから、黒色火薬の薬剤を筒に詰め、これを立てて点火し、その上向きに吹き出す火の粉を観賞したのであろう。1615年には駿府で伊勢 (いせ)踊りが流行し、このとき唐人に花火を頼んで飛ばしたという記録もある(駿府政事録)。こうして初めのうちは外国人に頼んで花火を行っていたが、しだいに日本人が自分でつくるようになり、江戸の町では相当に広まったとみえる。1658年(万治1)初代の鍵 (かぎ)屋が大和 (やまと)国(奈良県)篠原 (しのはら)村(現、五條 (ごじょう)市大塔 (おおとう)町篠原)から江戸へ出てきた。鍵屋は代々篠原弥兵衛 (やへえ)を名のって12代まで続き、現在は天野氏が継いで「宗家 花火鍵屋」(東京都江戸川区)を名のっている。なお、文化 (ぶんか)(1804~1818)のころ鍵屋の番頭清七が分家して玉屋を名のったが、1843年(天保14)4月17日将軍家慶 (いえよし)が日光参拝のため江戸をたつという前日、自家から火事をおこしたため江戸を追われた。現在では千葉県八千代 (やちよ)市の中嶋 (なかじま)氏が「元祖玉屋」を名のっている。
両国川開き花火は1733年(享保18)5月28日に行われたのが最初であるといわれる。その前年には日本全国に享保 (きょうほう)の大飢饉 (ききん)があり、餓死者90余万人に達したといわれ、また江戸にはコロリ病(現在のコレラ病)が流行し、死者は路上に捨てられたという。幕府はその慰霊と悪病退散のため水神祭を行い、次の年からは花火も打ち上げるようになった。ヨーロッパの花火が筒形の玉であったのに対し、日本のものは球形で花の形も丸く均斉のとれたものに発達した。現在、日本の花火の製造、打上げ技術は、世界有数のものになっている。
花火の要素と変化形式――種類
花火として用いられている現象には四つある。光、音、煙、および旗・風船・ビラなどの形のものであり、これらが花火の要素である。
次に現象の変化形式がある。これを曲という。この語源は明らかでないが、曲芸の曲からきたもののようである。花火は絵画などと異なって動くものであるから、変化の仕方が問題になる。もっとも広い意味では花火はすべて曲からなる。しかし普通狭い意味に使い、たとえば打揚げ(打上げ)玉に別の小花火を取り付け、玉が昇る途中で開花するようにした曲導(導は弾道の意)がある。
次に花火の構造と用途による基本的な形式があげられる。普通に花火の種類というのはこの分類法によるものである。
花火の光
歴史的には和火 (わび)と洋火とがある。和火は硝石、硫黄 (いおう)、木炭の混合物、すなわち黒色火薬を主とした日本古来のもので、炭の火の粉を主にしている。洋火は明治以後ヨーロッパから日本へ伝えられた色火剤 (いろびざい)や、アルミニウム、マグネシウムなどの光輝剤が主である。今日ではこれらが長短補って花火を成り立たせている。
科学的にみると花火の光には2種類ある。固体や液体の発光によるものと、気体の発光によるものがこれである。火花や火の粉は前者で、色火(炎)は後者である。固体や液体が高い温度に加熱されると、温度の上昇とともに、赤、赤橙 (せきとう)、黄金、白色へと変わっていく。薬剤の中の炭や金属成分などの種類によっても色調が異なる(すなわち、元素の炎色反応である)。炭の火の粉は一般に赤橙色で弱く光る。これを「引 (ひき)」という。現象が火の粉の尾を引いていくように見えるのでこの名がある。また別名で「菊」ともいう。原料炭としては松炭が用いられる。アルミニウムの火の粉は明るく、その温度によって赤橙色から美しい黄金色になり、さらに高温では黄白色に変わる。この黄金色を「錦 (にしき)」という。従来、この光は短命(2~3秒)であったが、1960年代前半にはチタンなどの新しい原料を用いて黄金色のもっと長い寿命のものもできるようになった。これを「椰子 (やし)」という。高温(約2300℃以上)の気体(炎)の中に特殊な金属蒸気が含まれるようにすると、赤、黄、緑、青などの原色光を出すことができる。このようにつくられた薬剤を色火剤という。塩素酸カリウムまたは過塩素酸カリウムとセラックなどの樹脂を混合し高温の炎を発生するようにし、それに少量の色を出す物質を加える。赤に炭酸ストロンチウム、黄にシュウ酸ナトリウム、緑に硝酸バリウム、青にパリスグリーンまたは酸化銅などが用いられる。明治時代以降、色火剤にマグネシウムを混入することにより炎の温度を約2500~3000℃に上昇させ光をいっそう明るくすることができるようになった。1970年代以降は点滅燃焼をする薬剤も用いられるようになった。
花火の音
これには3種類がある。(1)爆発音(雷 (らい))、(2)唸 (うな)り音(蜂 (はち))、(3)振動燃焼音(笛)、である。
(1)爆発音(雷) 雷は運動会の合図などに用いられるもので、主として過塩素酸カリウムにアルミニウムの微粉を混合した薬剤が使われる。アルミニウムの分量を多くした電光雷、チタンを混入して夜間に残光を出すようにした花雷 (はならい)などがある。この種の薬剤は1包の量が極端に小さくなると爆発しにくくなる。それで、競技の合図や玩具 (がんぐ)に使われるピストルの玉には、塩素酸カリウム、硫黄、赤リンの混合薬が用いられる。この混合薬は非常に鋭敏であり、これをほぐして集めるなどの行いはきわめて危険である。また玩具用花火のかんしゃく玉(クラッカーボール)は塩素酸カリウムと鶏冠石 (けいかんせき)As2S2との薬剤で、これも同様な注意が必要である。
(2)唸り音(蜂) 蜂は黒色火薬をじょうぶな紙筒に固く詰め、燃焼ガスの吹き出し口を非対称にあけてあるため、燃えながら筒が一種の螺旋 (らせん)運動をするために生じる音である。
(3)振動燃焼音(笛) 笛は特殊な薬剤(安息香酸カリウムと過塩素酸カリウムなど)を細長い筒の一端に詰め、5センチメートル程度の空長を残しておく。空長側に点火すると笛に似た鋭い振動音を出すものである。その固有振動数は毎秒3000程度である。笛にはロケットに似た推進作用があり、玩具用花火では笛ロケットとして販売されている。
以上の雷、蜂、笛の三つを適当に組み合わせると一種の音楽花火をつくることができる。しかし、一般に花火はある距離を置いて観賞するものであり、光と音の速度の不一致がある。またリズムと点火技術との関係もあり、将来の課題として残されている。
花火の煙
科学的にみると花火の煙には物理煙と化学煙とがある。物理煙とは、蒸発という物理現象により発生する煙のことである。沸点の高い物質Aと低い物質Bとをいっしょにして加熱すると、両者が蒸発していったんAとBとの均一な混合物になるが、これが冷却する過程でまずAが液体または固体の粒子になって現れ、Bはこの粒子相互の付着を妨げる。したがって細かいAの粒子の煙が得られる。花火ではAとして沸点の高い色素を用いる。赤にローダミンBとパラレッドの混合物、黄にオイルエロー、緑にフタロシアニンブルーとオイルエローの混合物、青にフタロシアニンブルーなどである。Bとしては発熱剤から出る燃焼ガスを利用する。この薬剤は塩素酸カリウムと乳糖などからなり、これと色素とを混合して点火すると低い温度で燃える。その熱によって色素が蒸発すると同時に、自らの燃焼ガスと均一な混合ガスをつくり、これが空中に放出される。ガスは放出口の近くで冷却され、色素が微粒子になって煙として現れる。この粒子の大きさは約2マイクロメートル以下である。化学煙は、物質Aが薬剤の燃焼生成物として化学的にできるもので、たばこの煙と原理は同じである。花火では黒煙などに用いられる。これはアントラセン、硫黄、過塩素酸カリウムの混合薬の燃焼によって生じる炭素の煙である。
旗・風船・ビラなど
おもに薄い紙の製品であり、花火玉に畳み込んで上空で開かせ、観賞や宣伝広告などに用いられる。旗は上を落下傘で吊 (つ)り、下には砂袋などのおもりを下げる。風船や提灯 (ちょうちん)などは袋の形をしていて、空中をふわふわと浮遊する。これらには空気をはらむ穴があいていて、その穴の縁に鉛のおもりなどがつけてある。これらを「袋物」という。
花火の構造
花火には、(1)打上げ花火、(2)仕掛け花火、(3)玩具用花火がある。それらの構造について記述する。
打上げ花火
上空で円形の花形を現す割物 (わりもの)と、単に玉の内容物を放出展開させるだけのポカがある。割物は強い外殻を備え、これを強い割薬で破裂させるのでこの名があり、ポカは弱い外殻を弱い割薬でぽかっと二つに割るので、その破裂音からきた名である。持ち上げてみると割物はずしりと重い手ごたえがあり、ポカはいかにも軽い感じである。前者は後者の約2倍の重さがある。
割物の玉の中には、外側に星(光を出す球形の薬のかたまり)を並べ、その内側に割薬をぎっしりと詰める。また花の心 (しん)が必要なときは同心球状に心星 (しんぼし)を入れる。これを心ものという。二重に心が入ったものを八重 (やえ)心という。星はナタネや穀粒を心とし、その外側に色火剤や引をかけだんだんに太くしたものである。色を変えたいときはそれに相当する薬剤に変えてかける。たとえば「引先紅 (ひきさきべに)」は星の製造の初めに紅剤をかけ、ついで引をかける。開花と同時に星は外側から燃え始めるので、まず引が現れ、ついで赤色が現れる。
ポカは上空で玉の外殻を二つに割る花火の総称であって、その内容物によってさまざまなものに分かれる。しかし構造としては2種類ある。その一つは、玉の内部が燃焼室だけであり、ここで内容物がすべて着火する。他の一つは、玉の内部が燃焼室と防火室とに分かれ、両者は隔壁などで仕切られ、燃焼室には着火しなければならない星などを入れ、防火室には着火してはならない旗や袋物などを入れる。隔壁にはボール紙、綿実、籾殻 (もみがら)、おがくずなどが用いられる。
打上げ花火には、夜の花火と、昼の花火との別があり、夜は光を、昼は煙と旗・袋物などを主体としている。また音は昼夜に共通である。
花火玉の大きさは打上げ筒の内径で表し、寸単位でよばれていた。現在ではメートル法の施行のため、5寸玉を5号玉とよぶなど、寸を号でいいかえるようになった。実際の玉の直径は打上げ筒の内径の9割程度である。現在もっとも大きい玉は40号(4尺)である。割物が円形に開花したときの形を盆 (ぼん)という。その直径は非常にまちまちである。
仕掛け花火
仕掛けとは火薬を使ったある種のからくりをいう。考案によっていろいろなものができるが、火薬などを使った簡易な自動装置によって一つのまとまった効果を現すものである。代表的なものに枠仕掛けや連発(スターマイン)などがある。枠仕掛けは、木枠などに、原図にあわせ、色火剤を詰めた細長い筒(ランス)の列を取り付け、一斉に点火し、景色や人などの像を現す。花火大会でよく見られる「ナイアガラの滝」もこれに入る。連発は、多数の小さな打上げ筒を並べ、これに筒1本に2個程度の玉を装填 (そうてん)し、連続的に打ち上げるもので、打上げ花火の応用である。
日本国内で年間におよそ8500回開催されている花火大会のなかで、毎年10月初旬に茨城県土浦 (つちうら)市で行われる土浦全国花火競技大会や、毎年7月下旬に東京都墨田 (すみだ)区で行われる隅田川 (すみだがわ)花火大会、毎年8月下旬に秋田県大仙 (だいせん)市で行われる大曲 (おおまがり)全国花火競技大会などが全国的に有名である。
玩具用花火
打上げ花火に類似したものが多く種類も雑多である。しかし薬量をきわめて少なくし危険がないようにつくられているのが特徴である。
日本古来の代表的なものに線香花火がある。黒色火薬系の薬剤は燃えてもガスが少なく、薬の6ないし7割が燃えかすとして残る。これには多量の硫化カリウムが含まれていて、丸く縮んで火球をつくり、その表面が空気中の酸素と反応して緩やかに燃える性質がある。木炭の性質は線香花火の原料として重要である。燃えやすい炭(松炭、桐 (きり)炭など)に少量の燃えにくい炭(油煙や松煙など)を混合して用いられる。前者は薬剤の初期の燃焼に必要であり、後者は火球の中に残って、爆発的に火球の表面から松葉火花を発生する。