1. おお‐の‐やすまろ[おほ:]【太安万侶・太安麻呂】
日本国語大辞典
奈良前期の学者。民部卿。和銅四年(七一一)元明天皇の命により、稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦習(文字資料の読み方に習熟すること)した帝紀や本辞を再編して、「古事記 ...
2. 太安麻呂
日本大百科全書
『古事記』や「墓誌銘」に安万侶と記す。壬申(じんしん)の乱の功臣品治(ほむじ)の子。704年(慶雲1)従(じゅ)五位下、711年(和銅4)正五位上、同年9月元明 ...
3. 太安麻呂
世界大百科事典
?-723(養老7) 奈良初期の官人。《古事記》の編纂者。姓(かばね)は朝臣(あそみ)。安万侶とも記す。壬申の乱に天武天皇側で活躍した武将多品治(おおのほむじ) ...
4. おおのやすまろ【太安麻呂】
国史大辞典
?―七二三 奈良時代の官人。名は安万侶とも書く(『古事記』序文・墓誌)。壬申の乱に天武天皇方の武将として功があった多品治(「太」と「多」は通じる)の子という伝 ...
5. おおの-やすまろ【太安麻呂】
日本人名大辞典
?−723 飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏。多品治(おおの-ほむち)の子とつたえられる。和銅4年元明天皇の詔により稗田阿礼(ひえだの-あれ)の口誦(こうしょう) ...
6. 太安麻呂[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:5件 『太朝臣安万呂』志田延義『太安万呂の古事記撰録 訓注および音注を手がかりとして』藤井信男『太安万呂の表記意 ...
7. おお‐の‐やすまろ【太安万侶/太安麻呂】
デジタル大辞泉
[?〜723]奈良前期の文人。民部卿。稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習した旧辞を筆録して、3巻からなる古事記を完成させた。 ...
8. 多氏
世界大百科事典
有名な人物としては,壬申の乱で大海人皇子(おおあまのおうじ)方について活躍した多品治,《古事記》を編纂した太安麻呂,813年(弘仁4)の《日本書紀》講読の講師を ...
9. 太安万侶墓誌
日本大百科全書
『古事記』の撰者(せんじゃ)として著名な太安万侶(太安麻呂)の墓誌。1979年(昭和54)1月、奈良市此瀬(このせ)町の丘陵南斜面に営まれた火葬墓から出土。墓は ...
10. 伽婢子 2 257ページ
東洋文庫
石川麻呂の女。慶雲五年(七〇八)、武蔵国秩父 からの銅の献上により「和銅」と改元、また同五 年に、太安麻呂に『古事記』を撰上させた。六六 一一七一二。光源院↓足 ...
11. 金石文
世界大百科事典
城碑(762)など,当時の地方文化を知る,またとない史料である。墓誌銘には,《古事記》編者の太安麻呂(おおのやすまろ)のものもあり,古代の人物の伝記,官制,漢文 ...
12. げんめいてんのう【元明天皇】
国史大辞典
施行した。和銅二年(七〇九)蝦夷征討の軍を興し、翌三年三月には都を平城京に遷した。同五年正月太安麻呂に命じて『古事記』を撰上させ、翌六年五月に風土記撰進の命を発 ...
13.&nbnbsp;こうがくそうしょ【皇学叢書】
国史大辞典
昭和二年に刊行開始、同六年に完結。所収書目は六十六種に及び、各巻に解題と頭註を付している。 1古事記(太安麻呂)・日本書紀(舎人親王他)・古語拾遺(斎部広成)・ ...
14. こうにんしき【弘仁私記】
国史大辞典
る。この甲本は序と本文とから成る。序は古代史書編纂の経緯を述べ、特に『日本書紀』撰者の一人に太安麻呂の名を掲げ、さらに系譜への強い関心を示す。偽書説もあったが、 ...
15. こくしたいけい【国史大系】
国史大辞典
4日本三代実録(藤原時平他) 5日本紀略 6日本逸史(鴨祐之編)・扶桑略記(皇円) 7古事記(太安麻呂)・先代旧事本紀・神道五部書・釈日本紀(卜部兼方編) 8本 ...
16. 古事記
世界大百科事典
のあれ)に資料となる〈帝紀・旧辞〉を誦習させたが,完成せず,三十数年後,元明天皇の詔をうけて太安麻呂(おおのやすまろ)がこれらを筆録し,712年(和銅5)正月に ...
17. さんじょうむら【三条村】奈良県:奈良市/奈良町
日本歴史地名大系
町・三条添川町付近 三条通の南に立地し、ほぼ左京四条三坊・四坊・五坊を占める。近年発見された太安麻呂墓誌によると、安麻呂は左京四条四坊に住居があった。また保延四 ...
18. nbsp;炭
世界大百科事典
,消炭ではないので,後述の伏焼法か炭窯で製炭されたものと考えられる。また《古事記》を撰進した太安麻呂(おおのやすまろ)の墓の木炭槨は黒炭のカシ炭が主であった。文 ...
19. 道教
世界大百科事典
事記》の記述にも,同じようなことが指摘される。宣長のいわゆる〈ひたぶるの漢文〉で書かれている太安麻呂の《古事記》序の文章に道教の確実な影響のあることは,文中の〈 ...
20. 奈良[県]
世界大百科事典
桜井市),川原寺(かわらでら)址(明日香村)などの寺院址など重要な遺跡は枚挙にいとまがない。太安麻呂墓(奈良市)は墓誌の出土で知られ,金峰山(きんぷせん)経塚( ...
21. 奈良時代
日本大百科全書
てんのう)が稗田阿礼(ひえだのあれ)に誦(よ)み習わせた「帝紀(ていき)」「旧辞(くじ)」を太安麻呂(おおのやすまろ)が筆録し、元明天皇(げんめいてんのう)に献 ...
22. 奈良時代
世界大百科事典
う。 またそのころにおける漢字・漢文の高度な普及は文化の発展を示す指標でもあるが,712年に太安麻呂(おおのやすまろ)が撰進した《古事記》は,稗田阿礼(ひえだの ...
23. 奈良時代(年表)
日本大百科全書
〕元明)閏6月 諸国に挑文師派遣。9月 造都役民に逃亡多い712(和銅5〔天皇〕元明)1月 太安麻呂『古事記』成る713(和銅6〔天皇〕元明)5月 諸国に『風土 ...
24. にほんこてんぜんしゅう【日本古典全集】
国史大辞典
古今和歌集附藤原教長「古今集註」 古今和歌集(紀貫之ら編)・古今和歌集註(藤原教長) 古事記 古事記(太安麻呂) 後撰和歌集附関戸氏片仮名本 後撰和歌集(大中臣 ...
25. にほんこてんぜんしょ【日本古典全書】
国史大辞典
健寿御前日記(建春門院中納言) 古今和歌集 古今和歌集(紀貫之ら編) 古事記(全二冊) 古事記(太安麻呂) 小林一茶集 俳句集・文集(上野の仮住居・水難火難・駆 ...
26. にほんこてんぶんがくたいけい【日本古典文学大系】
国史大辞典
って過言ではない。また索引も詳密で研究者に大きな便益を与えている。 1古事記・祝詞 古事記(太安麻呂) 祝詞 祈年祭・春日祭・広瀬大忌祭・竜田風神祭・平野祭・久 ...
27. にほんしそうたいけい【日本思想大系】
国史大辞典
各巻の収載書目は次のとおりである。→日本古典文学大系(にほんこてんぶんがくたいけい) 1古事記 古事記(太安麻呂) 2聖徳太子集 憲法十七条(聖徳太子)・勝鬘経 ...
28. 日本書紀
世界大百科事典
完成までには40年を要したと認められる。しかし最終段階の編集者は舎人親王以外に明らかでない。太安麻呂(おおのやすまろ)が参加したというのは,子孫の多人長(おおの ...
29. 日本書紀 250ページ
日本古典文学全集
神武天皇皇子神八井耳命の後とする。『和州五郡神社神名帳大略注解』所引の「多神社注進状」には、蒋敷は太安麻呂(太安万侶、『古事記』の撰者)の祖父とする。日本人の女 ...
30. 日本神話
日本大百科全書
結んだ。大林太良日本神話の編纂今日われわれが知っている日本古代神話の体系は、712年(和銅5)に太安麻呂(おおのやすまろ)が著した『古事記』と、720年(養老4 ...
31. にほんぶんがくたいけい【日本文学大系】
国史大辞典
適宜撰択して『(新訂校註)日本文学大系』(昭和三十―三十一年、風間書房)十六冊が刊行されている。 1古事記(太安麻呂)・風土記(常陸国風土記・出雲風土記・播磨国 ...
32. 稗田阿礼
日本大百科全書
その事業はそのままに打ち捨てられたので、元明(げんめい)天皇はこれを惜しみ、711年(和銅4)9月太安麻呂(おおのやすまろ)に詔して、阿礼が誦み習った勅語の旧辞 ...
33. 稗田阿礼
世界大百科事典
を舎人稗田阿礼に〈誦習〉せしめたが,このときは完成しなかった。三十数年後に元明天皇の詔を受け太安麻呂(おおのやすまろ)が完成させたという。 序文に舎人とあるため ...
34. ひえだの-あれ【稗田阿礼】
日本人名大辞典
旧辞(くじ)」を誦習(しょうしゅう)した。三十数年後の和銅5年(712)元明天皇の詔をうけた太安麻呂(おおの-やすまろ)が,その内容を筆録して「古事記」を完成し ...
35. ひえだのあれ【稗田阿礼】
日本架空伝承人名事典
を舎人稗田阿礼に「誦習」せしめたが、このときは完成しなかった。三十数年後に元明天皇の詔を受け太安麻呂(おおのやすまろ)が完成させたという。 序文に舎人とあるため ...
36. 墳墓
世界大百科事典
用いた骨壺が墓に納められる。火葬墓には火葬地をそのまま墓地にした場合と,火葬地と墓地が別な場合がある。太安麻呂(おおのやすまろ)墓や小治田安万侶(おはりだのやす ...
37. ぼうそうそうしょ【房総叢書】
国史大辞典
・東金御鷹場旧記・乙卯歳金原御猟記・嶺岡五牧鏡・漁村維持法(抄)(佐藤信季)・古事記(抄)(太安麻呂)・日本書紀(抄)(舎人親王他)・万葉集(抄)・古語拾遺(抄 ...
38. ぼし【墓誌】
国史大辞典
官人とその家族、および僧侶に限られている。官人の場合、地位は大納言から地方豪族までの幅があり、太安麻呂と小治田安万侶のように、同位階・同時期の官人でも、その製作 ...
39. レトリック
世界大百科事典
《古事記》は〈語り〉のことばを,その口調を生かしたまま漢字で表現するという課題を担っていたのである。その意味で太安麻呂によってくふうされた〈音訓交用〉の表記法は ...