「栽培品種」というメタ言語
Series11-1
『日本国語大辞典』の見出し「あきなす」と「あきなすび」とをまず引用する。
あきなす【秋茄子】
〔名〕
ナスの栽培品種。秋の末に結実して、種子が少なく、美味。あきなすび。《季・秋》
*咄本・笑長者〔1780〕秋茄子「秋なすで匂ひがあって、大ぶうまいとて、まい日まい日にてくふ」
*雑俳・柳多留‐三二〔1805〕「秋茄子はしうとの留守にばかり喰」
あきなすび【秋茄子】
〔名〕
(1)秋の末に結実したナス。
(2)「あきなす(秋茄子)」に同じ。《季・秋》
*随筆・独寝〔1724頃〕上・二九「あすの夜はたが嫁ならん秋なすび」
*俳諧・七柏集〔1781〕「秋茄子わさしの粕に貯て〈麦車〉 寄麗に管の簾からつく〈水長〉」
見出し「あきなす」の語釈において「栽培品種」という語が使われている。見出し「あきなすび」の語釈は(1)と(2)の二つに分かれている。(1)には「秋の末に結実したナス」とあり、これは説明通り、秋の末になっているナスということで、「品種」にはかかわらないことになる。「長ナス」だろうが「米ナス」だろうが、秋の末になっていれば、「アキナスビ」と呼んでいいことになる。この「あきなすび」の語釈(1)と対照すると、「あきなす」の語釈には「栽培品種」とあり、かつ「種子が少なく、美味」とあって、特定の「品種」を指しているようによめる。しかしまた、「あきなすび」の語釈(2)には「「あきなす(秋茄子)」に同じ」とあるので、結局「あきなす」または「あきなすび」と呼ばれる「栽培品種」があるとよめる。
この二つの見出しをよんで、筆者はよくわからなくなってきた。「あきなす」の使用例として「咄本・笑長者〔1780〕秋茄子」があげられている。「秋茄子」という題なのだから、疑うなかれ、ということかもしれない。19世紀の「柳多留」の例もあげられている。こちらも「秋茄子は」とあるのだから、「秋茄子」という語の使用例であることは疑いない。しかし、「あきなす」が単に「秋の末に結実したナス」ではなくて、「栽培品種」であるとしたら、この咄本と柳多留の「秋茄子」が『日本国語大辞典』が説明している「栽培品種」であることがどうしてわかったのだろうか。
この時点で、筆者は「栽培品種」という語から、野生の植物があって、それを栽培用に改良したものが「栽培品種」だろうと漠然と思っていた。品種だから、野生のものの学名はこれこれ、「栽培品種」の学名はこれこれ、というような関係を勝手に思い浮かべていた。
ジャパンナレッジで「栽培品種」を検索語にして、「日本国語大辞典」の「全文(見出し+本文)」で検索をすると、語釈中に「栽培品種」が使われている見出しがヒットする。例えば見出し「あかかのこゆり」には次のようにある。
あかかのこゆり【赤鹿子百合】
〔名〕
カノコユリの栽培品種。葉は楕円形。花弁の端は白く、中央に至るに従って鮮紅色となり、紅褐色の斑点が、鹿の子斑(まだら)のように散在するもの。
「Lilium speciosum」(美しいユリ)という学名をもつ「カノコユリ」というユリがある。日本では九州や四国に自生し、台湾北部や中国江西省にも自生しているとのことだ。江戸時代にシーボルトが球根を持ち出したことも知られている。ユリ根として食べているのがこのカノコユリの球根だ。カノコユリの「栽培品種」が「アカカノコユリ」ということであるが、インターネットで調べてみても、「アカカノコユリ」の学名がすぐにはわからない。このあたりから、「?」が増殖してくる。
あまざくろ【甘石榴】
〔名〕
石榴の栽培品種。花は紅色、単弁。果実は鮮紅色で、種子は淡紅色を帯び、味は甘い。あまざく。
*本草色葉抄〔1284〕「天漿(〈注〉アマサクロ)」
*日葡辞書〔1603~04〕「Amazacuro (アマザクロ)〈訳〉甘い柘榴」
*俳諧・誘心集〔1673〕「花盛人にはつげよあまざくろ〈豊冬〉」
「ザクロ」(学名:Punica granatum)があり、その「栽培品種」に「アマザクロ」がある。「アマザクロ」の場合、『本草色葉抄』や『日葡辞書』において「アマサクロ/アマザクロ」という語形が確認できる。「語形」とはいうまでもなく、語の形で、「アマサクロ/アマザクロ」という語が存在していたことが確認できるということだ。「アマサクロ/アマザクロ」という語は「日本語の言語宇宙」に位置をしめている。
「アマザクロ」の語釈「花は紅色、単弁。果実は鮮紅色で、種子は淡紅色を帯び、味は甘い」はきわめて具体的だ。食べてみなければ、「味は甘い」ということは確認できない。では、『本草色葉抄』が「アマサクロ」と呼んでいたものを、現代人が実際に食べてみたのだろうか。そんなことはできない。『日葡辞書』は「甘い柘榴」と説明しているのだから、甘いのだろうが、『日葡辞書』の見出し「Amazacuro」が指しているものを現代人が食べたわけではないだろう。『日本国語大辞典』の具体的な語釈は、ある特定のモノを指していることを思わせる。筆者はそのモノが何かを現時点ではつきとめていない。しかし、具体的なモノを指していることは疑いない。具体的なモノは「現実世界」にあるはずだ。
つまり「日本語の言語宇宙」に存在している語と、「現実世界」にある「具体的なモノ」とが、『日本国語大辞典』の見出し中で「同居」していないだろうか、ということが筆者の疑問だ。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は1月20日(水)、今野真二さんの担当です。
ジャパンナレッジの「日国」の使い方を今野ゼミの学生たちが【動画】で配信中!
“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
『日国』に未収録の用例・新項目を募集中!
会員登録をしてぜひ投稿してみてください。
辞書・日本語のすぐれた著書を刊行する著者が、日本最大の国語辞典『日本国語大辞典第二版』全13巻を巻頭から巻末まで精読。この巨大辞典の解剖学的な分析、辞書や日本語の様々な話題や批評を展開。