「歴史的仮名遣い」をどう扱うべきか?
Series12-2
前回は、『日本国語大辞典』の「凡例」の「編集方針」の「歴史的仮名遣いについて」に掲げられている1~6のうち6について話題にした。今回は1・4・5について話題にしたい。もう一度、それらを示しておこう。
1 歴史的仮名遣いが見出しの仮名遣いと異なるものについては、見出しのあとの[ ]の中に、その歴史的仮名遣いを示す。
4 和語はひらがな、漢語(字音語)はかたかなで示す。ただし、その区別の決めにくい語のうち、漢字の慣用的表記のあるものは、その漢字の歴史的仮名遣いに従う場合もある。
5 字音語のうち、音変化をきたして今日のかたちになっている語、「観音(クヮンオン→クヮンノン→カンノン)」の類、「天皇(テンワウ→テンノウ)」の類、および、「学校(ガクカウ→ガッコウ)」の類は、便宜上それぞれもとのかたちの「クヮンオン・テンワウ・ガクカウ」を、歴史的仮名遣いとして示す。
見出しをいくつか示してみよう。
あわびりょうり[あはびレウリ]【鮑料理】
あわゆき【泡雪・沫雪】
あわれっぽい[あはれっ‥]【哀─】〔形口〕(「ぽい」は接尾語)
見出し「あわびりょうり」の歴史的仮名遣いが「あはびレウリ」という形で示されている。「あはび」が平仮名で、「レウリ」が片仮名であるのは、4の「和語はひらがな、漢語(字音語)はかたかなで示す」ためだ。見出し「あわゆき」に歴史的仮名遣いが示されていないのは、「アワユキ」の歴史的仮名遣いが「あわゆき」であるためだ。英語「bubble」に対応する和語「アワ」の歴史的仮名遣いは「あわ」で、「アワユキ」は「泡のように溶けやすいやわらかな雪」ということだ。それが後に、〈淡い雪〉と思われるようになる。そうなると〈淡い〉の歴史的仮名遣いは「あはい」なので、「あはゆき」という書き方もみられるようになる。このことをつきつめていくと、〈泡のように溶けやすい雪〉という語義であれば、歴史的仮名遣いは「あわゆき」、〈淡い雪〉という語義であれば、歴史的仮名遣いは「あはゆき」ということになり、話が一段と込み入ってくるので、この話はここまでにする。
さて、見出し「あわれっぽい」の歴史的仮名遣いが「あはれっ‥」と示されている。これが少し気になる。使用例をみてみよう。
(1)他に対し、あわれと思う気持を起こしやすい傾向にある。感情に流されやすい。情にもろい。
*浮雲〔1887~89〕〈二葉亭四迷〉一・二「慈悲深く、憐っぽく、加之(しか)も律義真当(まったう)の気質ゆゑ」
(2)あわれな感じを起こさせる様子である。あわれげである。なさけない様子だ。
*洒落本・二筋道後篇廓の癖〔1799〕三「ばからしい、あわれっほい事をおいいなんすかへ」
*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕三・下「田舎の女の声は、あはれっぽくをつにふるへるのウ」
*人情本・仮名文章娘節用〔1831~34〕三・七回「おれの顔さへ見ると、あはれっぽい事ばっかりいふから」
*土〔1910〕〈長塚節〉二五「彼は酷(ひど)く自分の哀(アハレ)っぽい悲惨(みじめ)な姿を泣きたくなった」
語義(1)の使用例として二葉亭四迷の『浮雲』が、語義(2)の使用例として、洒落本の『二筋道後篇廓の癖』、滑稽本の『浮世風呂』、人情本の『仮名文章娘節用』、長塚節の『土』があげられている。
『浮雲』と『土』はひとまず措くとして、他の例では「あわれっほい」「あはれっぽく」「あはれっぽい」という形で示されている。この「っ」が原本でどうなっているか、ということだ。『浮世風呂』について確認してみると「あはれッぽく」(9丁裏)と記されている。この「ッ」は語の発音を明示するために添えられたものではないかというのが筆者のみかたで、添えられた形だから片仮名小書き「ッ」としてあるのではないかということだ。つまりたしかにここには「あはれッぽく」と文字化されているが、それをそのまま「あはれっぽく」の表記とみてよいかどうか。なぜなら、同じ9丁裏には「おつつけ」「じぶんだつけ」という箇所がある。「おつつけ」の連続する前の「つ」には完全に「つ」の形の仮名、後の「つ」には「徒」を字源とする仮名が書かれており、「じぶんだつけ」の「つ」には字源の「川」の形を残した仮名が書かれている。いずれも小書きにはされていない。この箇所、日本古典文学大系『浮世風呂』(岩波書店、1957年)は「おつつけ」(211頁)「じぶんだツけ」(212頁)と翻字している。筆者は「おつつけ」「じぶんだつけ」と翻字すべきではないかと考える。こうなると、もはや『日本国語大辞典』の問題ではないことになるが、大げさにいえば、「日本語自体の問題」ではあるだろう。過去の文献をどのように文字化して、将来に伝えるか、それは重要かつ緊急的な課題になってきたのではないだろうか。その課題に『日本国語大辞典』も可能な限り対応してほしいと思う。
話を戻すが、江戸時代の日本語表記を考えた時に、「歴史的仮名遣い+促音小書き」という組み合わせはなかったのではないかということだ。もはや規定の字数を超えてしまったので、続きは次回で述べることにする。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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