「古くは」の意味するところ
Series13-2
前回は、「古くは~」という注記が付されている見出し「かがやく」と「あえぐ」とを使って、時代、時期にかかわる用語について述べた。日本語を史的にとらえる場合、大きく「古代語」「近代語」に分け、両者の過渡期として「中世語」を設定し、「前期中世語」を鎌倉時代、「後期中世語」を室町時代とみることが多い。「古代語」は平安時代まで、「近代語」は江戸時代以降だ。この区分だと「古代語・前期中世語・後期中世語・近代語」でおおざっぱといえばおおざっぱであるが、簡明であるともいえよう。前回では「世紀を使うということも考えてもいいのではないだろうか」と述べたが、簡明で迷いがない、ということは今後重要になっていくように思う。
このようなことを述べる時に、『日本国語大辞典』が「日本語アーカイブ」としても機能するということを少し意識している。明治時代、大正時代、昭和時代というように元号を使って区分した時に、(言語に関して、と限定をしておくが)時代の区分が言語のまとまりと一致しているわけでないことはいうまでもない。平成31年4月30日までは元号が平成で、5月1日は元号が令和となった。しかし、(呼称としてはそういえるが)平成語が4月30日をさかいにして5月1日から令和語になったわけではない。言語変化は元号の推移とともに起こるわけではないので、元号を使って言語の区分をすることは「便宜的に」なる。そういうこともそろそろ考えておく必要があるように思う。
さて、「古代語・前期中世語・後期中世語・近代語」という区分と呼称を試みに使ってみよう。そうすると、「カガヤク」は「近代語」以降では「カガヤク」と表され、それ以前では「カカヤク」だったといえそうだ。そして「アエグ」は「後期中世語」以降では「アエグ」、それ以前では「アエク」といえるだろう。両語の「古くは」は後期および前期中世語以前の時期を指していることになる。
見出し「あおうなばら」にも「(古くは「あおうなはら」)」と記されている。「音史」欄には「平安頃まで「あをうなはら」と清音」と記されている。そうだとすると、「あおうなばら」の「古くは」は平安以前すなわち「古代語」の時期を指していることになる。前回に引用した「凡例」の「語音史」には「資料からはっきり時代を推定できないものについて」「古くは」という表現を使うと述べられているので、「そういうことなのだ」と思えば、「古くは」が指している時期がまちまちであってもいいことになる。「時代を推定できない」場合に使う表現ということで、〈古い〉とか〈新しい〉ということではないということだ。しかし、「フルクハ」は時間にかかわる表現であるし、それが辞書の中で使われる「用語」であることからすると、「フルクハ」はやはり〈古い〉ということと無関係と理解する人は多くはないだろう。そうなると、平安以前が古かったり、前期中世語以前が古かったりということがないほうがいいのではないかと思う。
見出し「あきたる」には次のようにある。
あきたる 【飽足】
〔自ラ四〕
(古くは「あきだる」。多く下に打消を伴う)
十分満たされたという気持になる。満足する。あきたりる。
*万葉集〔8C後〕五・八三六「梅の花手折(たを)りかざして遊べども阿岐太良(アキダラ)ぬ日は今日にしありけり〈礒部法麻呂か〉」
*書陵部本類聚名義抄〔1081頃〕「未足 イマタアキダラス」
*大唐西域記長寛元年点〔1163〕三「一旦改変して此の徳を報ぜむと欲するに、躯を靡(くだ)きても謝(アキタル)まじ」
*閑居友〔1222頃〕上・あやしの僧の宮づかへのひまに不浄観をこらす事「ゆきかふところの事をあきたらずおもひて」
*日葡辞書〔1603~04〕「タカラニaqidaranu (アキダラヌ)〈訳〉富に満足しない」
*仮名草子・伊曾保物語〔1639頃〕下・二五「つゐにあきだる事なふて、あまつさへに宝をおとして、其身をもほろぼすもの也」
*人情本・明烏後正夢〔1821~24〕初・三回「其女郎こそ身の敵にくひやつ、斬さいなんても厭(アキ)たらぬ、と思召も有ましゃうが」
*田舎教師〔1909〕〈田山花袋〉二九「しかし何となく慊(アキタ)らないやうな気がする」(略)
〈音史〉近世中頃まで「あきだる」らしい。
示されている使用例でいえば、「仮名草子・伊曾保物語」に「あきだる」が使われていることが確認できる。それが「近世中頃まで」ということだろう。「人情本・明烏後正夢」の例を「アキタル」とみてよいとすれば、19世紀には「アキタル」が使われていたことになる。この場合の「古くは」は17世紀~18世紀頃を指すことになって、やはり「古くは」が指す時期にかなりの幅があることになる。
現代日本語では「アキタル」が使われている。しかるに、かつては「アキダル」という語形があった。その「しかるに、かつては」が「古くは」を意味するということはないのだろうか。つまり現代日本語とは異なる語形がかつてあったということの表現として「古くは」が使われていることはないのだろうか、ということだ。もちろんそうであったとしても、それがいけないと主張するつもりはない。ただ、辞書の語釈などの説明はできるだけ統一的な表現を、一貫した論理のもとに展開してほしいと願うだけだ。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は6月2日(水)、今野真二さんの担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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