『日国』の用例
Series22-2
ジャパンナレッジで、「範囲」を「見出し(出典情報)」に設定し、「十善法語」を検索すると、728件のヒットがある。山田忠雄『近代国語辞書の歩み』(1981年、三省堂)は「引用は各冊に亘り、全て少くとも六〇一箇所以上(最多は第十冊の七十二例、最少は第十六冊の十例であるように思う)の中、仮名遣の違い、返点・傍訓の有無や、漢字と仮名及び異体字・踊り字使用の異同等を除いて、明白に誤りと判断される者は僅か十余例に止まる。作業は一往正確に近かったと謂えよう」(1259頁)と述べている。再版において、「十善法語」の使用が増えているかどうかは、筆者にはわからないけれども、それがなかったとしても、項目にあたって数え上げていくことには自ずから限界があることはいうまでもない。検索がかけられるという「側」からいえば、数値の正確さはいうまでもなく、検索機能を活用することによって、いろいろな情報が得られるのであり、「来たるべき辞書」は「検索」を前提とした辞書であることは疑いないだろう。
山田忠雄(1981)は『日本国語大辞典』の15項目、「いさぎよい」「ごんじにょ」「しきしん」「じったい」「じょうとく」「しょさ」「しんにょえんぎ」「そうぎ」「たくたい」「とうぜん」「どりょう」「ひっきょうず」「じめいしょう」「りょうしん」「めいしょう」を採りあげ、これらの項目における「十善法語」の「引用」が不正確であることを指摘する。
例えば「ごんじにょ(近事女)」であれば、「民衆に親近し、三宝に奉事するを近事女と
ごんじにょ【近事女】
〔名〕
({梵}upa¯sika¯ の訳語。三宝に近づいて奉事する女の意)
仏語。三宝に帰依して、五戒をうけた女の在家信者。優婆夷(うばい)。信女(しんにょ)。
*十善法語〔1775〕五「俗態をあらためず、尼衆に親近し、三宝に奉事するを近事女といふ」
*大唐西域記‐九「波斯迦、〈唐言二近事女一、旧曰二優婆斯一、又曰二優婆夷一、皆訛也〉」
「民衆」「いう」は「尼衆」「いふ」となっており、「俗態をあらためず」から「引用」が始まっており、山田忠雄(1981)の指摘がいわばいかされているといえよう。論文における引用は過不足なくする、ということは筆者も山田忠雄から直接、複数回言われているので、細かい指摘のようではあるが、理解できる。
前回においても紹介したが、山田忠雄(1981)は「十善法語」について、見出しとして採用してもいいと思われる語がある、という趣旨と理解するが、「法語には他にもっと顕彰さるべき用語が多く有るように思われる。その発掘は法語の言語構造の本質に一歩でも近づく為には必須の作業と考える」(1261頁)と述べている。その言説に否やはない。否やはないので、それを認めた上で、ということになるが、「十善法語」というテキストに対峙して、その「言語構造の本質」を追究するという作業と、50万項目を謳う辞書を編纂するということは、自ずから異なる作業であるという「みかた」は成立するのではないだろうか。
それでも、「そんなことはない。真実は一つだ」という主張があるかもしれない。それはそれで一つの主張であろう。しかしそれが唯一の「みかた」ではないはずだ。 松井栄一『出逢った日本語・50万語 辞書作り三代の軌跡』(2002年、小学館)の「『日本国語大辞典』(第二版)をめぐって」においては、「改訂作業」や「終わりのない用例採集」について具体的に述べられている。また「国語辞典の用例について」においては、「実例を添えることの意味」や「さまざまな用例採集法」「底本の変更」などについて『日本国語大辞典』の編集を実際に行なった立場から具体的に述べられている。『日本国語大辞典』のように規模の大きな辞書の編集のたいへんさは、実際に携わってみなければわからないだろう。筆者にもそれはわかっていない。
海の近くの豪邸に住んでいる人が、潮風で、家の金属部分が錆びるので、自分で錆を落としていくと、ひととおり錆落としをするのに1年かかり、いつまでたっても終わらないと話しているのを聞いたことがある。こういうたとえはぴったりのたとえではないかもしれないが、作業すべてをみわたすことだって難しいことは想像できる。そして途中で編集方針を変えることも難しそうだ。
これまたいいたとえかどうかわからないが、筆者は囲碁をみるのが好きで、NHKの囲碁トーナメントは毎週録画してみる。もう20年以上見ていると思うが、実際には打たない。その中で、たとえ、ここの石が全部とられたとしても、ここには打てないと語る棋士がいる。言っている意味はわからないではない。負けることがわかっていてもそれを防がないということは、勝敗よりも大事にしていることがあるということだろう。勝敗を大事にして「場合の手」であっても打たなければ、高い勝率を残すことはできない。負けても自分の思うところに従って打つという「美学」はあってもいいのだろうが、それは勝負師のすることではない。
大規模な辞書の編集者はそもそも一人ではなく、いわば「チーム」だ。「チーム」で何かをなしとげるためには、「チーム」に共有されている「方針」が必要だろう。それは一人の人の考えによって変更できるものではない。「チーム」が勝負師であるわけではないが、「実際家」である必要はあるだろう。松井栄一(2002)が「辞書は利用者のためを考えるべきもので、編者のナリフリを構ってはいけないものなのである」(216頁)と述べているのは、そういう意味合いにおいて辞書を出版することの意義をとらえていたからであろう。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は2023年1月18日(水)、今野教授担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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