『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 24 「『日国』で読み解く「半七」のことば 」目次

  1. 1. 今野真二:『半七捕物帳』の「長年」 2023年05月24日
  2. 2. 今野真二:「小刀細工」はいつからあった? 2023年06月07日
  3. 3. 今野真二:蛙の水出し 2023年06月21日
  4. 4. 佐藤宏:『半七捕物帳』が『日本国語大辞典』の用例として引かれる理由。 2023年07月05日

『日国』で読み解く「半七」のことば
Series24-2

「小刀細工」はいつからあった?

今野真二より

 大正15(1926)年に雑誌『新青年』の一月号に発表された「三つの声」に次のようなくだりがある。「三つの声」は春陽堂版全集に収められていないので、昭和25(1950)年に出版された同光社版定本(全5巻)の第3巻を使って引用する。

 庄五郎の家は女房のお国と小僧の次八との三人暮らしで、主人が川崎まゐりに出た以上、けふは商売も休み同様である。ことに七つを少し過ぎたばかりであるから、表もまだ暗い。これからすぐに起きては早いと思つたのと、主人の留守に幾らか楽寝をする積りであつたのとで、庄五郎が草鞋をはいて出るのを見送つて、女房は表の戸を閉めさせた。

 当日の朝、庄五郎が出て行つたあとで、かれがその門を叩いたのは、その犯跡を晦まさうが為である。実は庄五郎よりも一足先に行つてゐて、あとから来た庄五郎を何かの機会で海へ突き落して置いて、更に引返して来てその門を叩いて、これから出かけて行くやうに粧ほつたものであらうと認められた。

 一体そんなことは知らねえ顔をしてゐても済むことだ。庄五郎が一旦引返して来て、それから又出直して行つて平七に殺されたとしても済むことだ。なまじひ余計な小刀細工をするから、却つて貴様にうたがひが懸るとは知らねえか。

 今ここでは「楽寝」「犯跡」「小刀細工」の3語を話題にしたい。それぞれについて『日本国語大辞典』の記述をあげておく。

らくね【楽寝】
〔名〕
気楽に寝ること。のびのびと寝ること。くつろいで寝ること。
*俳諧・毛吹草〔1638〕五「花に蝶ねぶるは一のらくね哉〈作者不知〉」
*浮世草子・好色一代男〔1682〕八・五「或時鶴翁の許に行て秋の夜の楽寐」
*生〔1908〕〈田山花袋〉二「所謂神来の想を得る為めの楽寝に耽ったりして居た」

はんせき【犯跡】
〔名〕
犯罪の行なわれた形跡。「犯跡をくらます」

こがたなざいく【小刀細工】
〔名〕
(1)小刀で、彫物などのこまかな細工ものを作ること。また、その作ったもの。
*俳諧・佐夜中山集〔1664〕五「良材は大木もはかを鑓鉋 小刀細工何桃のさね」
*浮世草子・新可笑記〔1688〕四・三「其とき小刀細工(コガタナザイク)をえて朝暮慰みながら、要事を達するも重宝なり」
*絅斎先生敬斎箴講義〔17C末~18C初〕「小刀細工して四方山話すると手を截(きる)」
(2)転じて、目先の小さなことだけをとりつくろうこと。いたずらに小策をもてあそぶこと。こせこせした策略。
*評判記・役者口三味線〔1699〕江・四ノ宮源八「此人小刀ざいくにひとしきげいと見へたり」
*咄本・聞上手〔1773〕叙「洗張、小刀細工(コガタナザイク)もよむ人の腹(おなか)にあるべし」
*俚言集覧〔1797頃〕「小刀細工 〓彫ものなどするをいふ細かなる細工ゆゑ転じて物ごと大まかならぬ こせつくことをいふ」
*演歌・条約改正〔1887~92頃〕〈久田鬼石〉「法権撤去や税権の回復事業は浅薄の小刀細工に成就べきか」
*行人〔1912~13〕〈夏目漱石〉帰ってから・二八「四十八手は人間の小刀細工(コガタナザイク)だ。膂力(りょりょく)は自然の賜物だ」

 見出し「はんせき(犯跡)」には使用例があげられていないので、「三つの声」を使用例としてあげることはできる。さて、見出し「らくね(楽寝)」には17世紀の使用例があげられ、最後に田山花袋(明治4:1872年1月~昭和5:1930年)の「生」の使用例があげられている。また、見出し「こがたなざいく(小刀細工)」には17世紀~19世紀の使用例があげられ、最後に夏目漱石(慶応3:1867年~大正5:1916年)の「行人」の使用例があげられている。

 夏目漱石は慶応3年、田山花袋は明治4年、岡本綺堂は明治5年に生まれている。このように、江戸時代最末期から明治初期にかけて生まれた人物は、当然のことながら江戸時代の日本語によって自身の言語を形成していく。明治期に発表された作品は、明治期の日本語によってかたちづくられ、大正期に発表された作品は大正期の日本語によってかたちづくられている、とみるのがまずは常道といってよい。しかし、使われ始めた時期に目を向けるならば、「ラクネ(楽寝)」「コガタナザイク(小刀細工)」が江戸時代以前に使われていた日本語であったことは疑いなく、それが明治初期生まれの人物に継承され、明治期にも使われていく。しかしまた、江戸時代の日本語すべてが明治期に継承されていくわけでもないのだから、継承されずに終わる語も当然ある。

 金属活字による印刷がある程度安定してくる時期を絞ることは難しいが、ひとまず明治20年前後とみておくことにする。そうすると、整版印刷から金属活字印刷に切り替わっていく明治初期から明治20年前後までの20年間ぐらいは、文字化の手段の移行期にあたる。文字化の手段の移行期の前には、江戸時代語から明治時代語への移行期があったと考えるのが自然で、このあたりの日本語のありかたはさらに精密に追究する必要があるのではないだろうか。そしてそうした手がかりを「半七捕物帳」が与えてくれるのではないかと期待したい。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は6月21日(水)、清泉女子大学今野教授の担当です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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