『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 6 「「ひとりぼっち」か「ひとりぽっち」か 」目次

  1. 1. 今野真二:「~とも」とはなにか? 2020年02月05日
  2. 2. 今野真二:「ぼっち」はいつから? 2020年02月19日
  3. 3. 今野真二:別語形とは 2020年03月04日
  4. 4. 佐藤宏:(「〇〇」とも)と『俚言集覧』の底本をめぐって 2020年03月18日

「ひとりぼっち」か「ひとりぽっち」か
Series6-2

「ぼっち」はいつから?

今野真二より

 前回は『日本国語大辞典』が「ひとりぼっち」を見出しとし、その語釈内で「「ひとりぽっち」とも」と記している、その「とも」について話題にした。今回はもう少しふみこんだ議論にしてみたい。

 まず、『日本国語大辞典』が示している「ひとりぼっち」の3つの使用例のうち、「俚言集覧〔1797頃〕」と正宗白鳥「牛部屋の臭ひ〔1916〕」は「ヒトリポッチ」という語形の使用例である。実は『日本国語大辞典』初版、縮刷版ともこの2例のみをあげている。しかしそれでは、見出し「ひとりぼっち」に対応する使用例が示されておらず、語釈で「「ひとりぽっち」とも」といいながら、肝心の「ひとりぼっち」の使用例が示されていないことが「不都合」と判断され、「ヒトリボッチ」の使用例が第2版から加えられたのではないか、と推測する。

 『日本国語大辞典』第二版が使用例として示している『四季眺望 恩愛二葉草』の具体的な使用テキストは「主要出典一覧」に「人情本刊行会叢書」とある。筆者が所持しているテキストは人情本刊行会が発行所となっているもので、大正5(1916)年12月30日に発行されているテキストである。このテキストと『日本国語大辞典』が使用したテキストとがまったく同じテキストであるかどうかが現時点では不明であるので、以下は、筆者が所持しているテキストに基づいての言説である。

 筆者が所持しているテキストには「御前も委しく知つての通り、市川へも行く事ならず。親里へも最う帰られず、心細さの独法師、御前ばかりを便りの身の上、何卒早く全快つて下さりまし」(91頁)とある。今振仮名を省いて引用したが、「独法師」には「ひとりぼつち」と振仮名があるようにみえる。「あるようにみえる」ははっきりしない言説であるが、活字がつぶれているような感じで、明確に濁点であることが確認できない、ということだ。こうしたことは少なくない。新聞に掲載された小説の複製版では、濁点か半濁点かが判別できないということがしばしばある。現在は夏目漱石の作品が掲載された新聞紙面の複製などがかなり揃っているが、やはり「現物」にはかなわない。そうなってくると、新聞の切り抜きの「貼り込み帖」なども所持していたほうがいいことになる。複製でもそうなのだから、活字翻刻本も、厳密を期すとなれば最終的には原本を確認してみるしかない。

 こういう時に、国立国会図書館の「デジタルコレクション」を参照することが多い。そこで『四季眺望 恩愛二葉草』を検索してみると、当該語は「独り発智」と表記されていることがわかったものの、振仮名がやはりつぶれていて「ぼっち」か「ぽっち」か判読できない。幸い、勤務先の大学が東北大学「狩野文庫」に収められている文献のマイクロフィルム資料を蔵していた。その中にこの本があったので、そのマイクロフィルムによって確認してみたところ、当該箇所は「おまへもくわしく知ッての通り市川へも行事ならす親里へも最う帰られず心細さの独り発智おまへばかりを便りの身のうへどふぞはやく全快て下さりまし」とある。そして「独り発智」の「独」には「ひと」、「発智」にははっきりと「ぼつち」と振仮名が施されている。書き方がずいぶんと異なるが、今それは置くとして、ここではっきりと「ヒトリボッチ」という語形が確認できる。

 現代日本語において、筆者の内省では「ヒトリボッチ」「ヒトリポッチ」いずれの語形も使われていると考える。『三省堂国語辞典』第七版、『新明解国語辞典』第七版は見出しとしては「ひとりぼっち」をたて、語釈中に「ひとりぽっち」をあげている。現代日本語において、両語形が併存しているのであれば、過去のいずれかの時点からそのようになった、と推測できる。『四季眺望 恩愛二葉草』の振仮名が「ひとりぼっち」であることは確認できたので、天保5(1834)年の頃に「ヒトリボッチ」が確実に使われていたことになる。さて、このような場合に、語形「ヒトリポッチ」がまずあって、そこから「ヒトリボッチ」がうまれたことがはっきりしていれば、「ヒトリポッチ」を見出しにして、語釈中に、後に「ヒトリボッチ」になった旨を記せばいいだろう。

 先に現代日本語において、筆者の内省では「いずれの語形も使われていると考える」と述べたが、『広辞苑』第七版は「ひとりぼっち」を見出しとし、語釈中では「ヒトリポッチ」にはふれていない。「聞蔵Ⅱビジュアル」で「朝日新聞1985~・週刊朝日・AERA」に「ひとりぽっち」で検索をかけると81件のヒット、「ひとりぼっち」で検索をかけると1680件のヒットがある。これらのことからすれば、両語形は存在するけれども、「ヒトリボッチ」の使用がだいぶ多いことがわかる。現在は「ヒトリボッチ」優勢といえそうだ。そうなると、現代語のそうした状況を考えて、見出しを「ひとりぼっち」でたてて、「ひとりぽっち」も使う、というような記述のしかたもあるかもしれない。

 このあたりも語ごとに「判断」が必要になってくるだろう。「ヒトリポッチ」から「ヒトリボッチ」が後発したことがはっきりしていれば、そういう記述のしかたをすればよいし、その逆ならそういう記述のしかたをすればよい。しかし、両語形の発生の前後関係が明確ではなかった場合、どうしても「歯切れの悪い」記述になってしまうだろう。その「えもいわれない気分」が「とも」なのだろうか、などとまたあらぬ想像をしたりしてしまう。

 さて、ここまで書いてきて、少し気づいたことがある。現在では、江戸時代に出版された版本を所蔵している機関が画像データを公開していることが少なくない。また古典文学作品についての基本的な情報を得るにあたって、筆者は『日本古典文学大辞典』(岩波書店)をまず調べてみることが多いが、同辞典には『四季眺望 恩愛二葉草』の記事がみあたらなかった。つまり、『四季眺望 恩愛二葉草』のような「人情本」についての「情報」が十分にゆきわたっていないようにみえるということに気づいた。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は3月4日(水)、今野真二さんの担当です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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三省堂書店
2800円(税別)