「歴史的仮名遣い」をどう扱うべきか?
Series12-3
前々回では、方言・固有名詞に歴史的仮名遣いを示さなくてもいいのではないかということを述べ、前回では促音に小書きの仮名をあてるかどうかということと、歴史的仮名遣いとのかかわりについて述べた。
筆者は、「現代かなづかい」が内閣告示される昭和21(1946)年までに文字化された文献を「非現代かなづかい時代の文献」としてとらえ、「歴史的仮名遣い」の枠組みの中にあると想定するのはどうだろうかと思っている。『日本国語大辞典』が「歴史的仮名遣い」を添えているということも、おおよそは、そういう枠組み設定をしていると言えなくもない。そして、その「歴史的仮名遣い」においては、拗音、促音には小書きの仮名をあてない、濁点・半濁点を使わないとみる。小書きの仮名、濁点・半濁点は、当該語形の発音を「かなづかい」を超えて示すための「手当」とみなすということだ。少し粗く述べたので、細かい点については、さらに文献の実態の観察を蓄積し、分析、考察をして「みかた」の精度をあげる必要があるが、当面はこれでいいのではないだろうか。
さて、漢語を仮名で書く場合の書き方は「字音仮名遣い」と呼ばれることもあるが、『日本国語大辞典』はそれもまた「歴史的仮名遣い」に含めているので、ここでも「歴史的仮名遣い」という呼称を使うことにする。
漢語の場合、漢字を使って書くことがもっとも自然なので、そもそも仮名によって書かれることは少ない。漢語の「歴史的仮名遣い」については、仮名で書くとすれば、こう書くはずという、いわば「理論」の側から考えることがある。一方、かつてこの漢語は仮名でこう書かれたという「実際」の側から考えることももちろんある。しかし、仮名で書いたかたち=仮名書き語形によって漢語を認定するということは相当に少ないはずで、漢語について「歴史的仮名遣い」を問題にする必要がどのくらいあるのか、と最近は思うようになった。また、大学などを含め、教育ということを考え併せた場合でも、「この漢語の歴史的仮名遣いはどうだろう」という話題に、どういう場合になるだろうか、と思わないでもない。
あっこく【圧穀】
〔名〕
麦、豆などの穀物に圧力を加えて、平たくすること。また、そのもの。平麦、押し麦、つぶし麦、打ち豆などの類。
あっこく[アク‥]【悪国】
〔名〕
住むのに不適当な国。自然条件に恵まれず、産物などの乏しい国。
*交易問答〔1869〕〈加藤弘之〉上「そこで欲の深い醜夷(けとうじん)等は己(うぬ)が国が悪国で、物事何も角も不足だらけだ物だから」
「圧穀」も「悪国」もともに「アッコク」と発音する漢語を書いたものであるとして、前者の見出しに「歴史的仮名遣い」が示されていないのは、「歴史的仮名遣い」が見出し「あっこく」と同じであるとみなされているからだ。後者の発音は「アッコク」であるが、あてている漢字「悪国」を分解的にとらえた場合、「悪」の「歴史的仮名遣い」が「アク」であるから、「悪国」には「アク‥」と「歴史的仮名遣い」が示されているということになる。
前回で述べたように、筆者は「圧穀」の「歴史的仮名遣い」は「アッコク」ではなくて「アツコク」ではないかと思うが、それは今ここでは話題にしないことにする。「悪国」の場合は、今その語をどう発音しているかではなく、またかつてどう書かれたかということでもなく、「悪」を仮名で書くと「アク」になり、「国」を仮名で書くと「コク」になるということを組み合わせて「歴史的仮名遣い」として示しているようにみえる。そうだとしたら、「字音語素」を示すにあたって、その「語素」を仮名で書くとどうなるか、ということを示しておけば、それでいいのではないだろうか。つまり、漢語に関して、見出しのすぐあとに「歴史的仮名遣い」を示す必要はないのでは? ということだ。
もちろんほんとうは示しておいたほうがいいだろうと思わないこともない。しかし、「歴史的仮名遣い」ということはどういうことか、という「原理」を知ることが大事だと思うようになった。それさえわかっていれば、漢語の見出しの一つ一つに「歴史的仮名遣い」が示されていなくてもいい。
「かなづかい書」には、原理を説明しないで、用例をあげるタイプのものと、原理を説明して用例をあまりあげないタイプのものとがある。そんな先まで筆者が考える必要はさらさらない、と誰かに言われそうであるが、今後の100年、1000年を考えれば、今この時点で「原理」をきちんと整理して言語化しておくことがいいのではないかと思う。そうした「マニュアル的文書」も自然なかたちで、辞書に組み込まれているとわかりやすいのではないか、などと考える。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は4月21日(水)、佐藤宏さんによる回答編です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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