文語と口語
Series14-3
『日本国語大辞典』の見出し「あし(悪)」の語誌欄の(1)には次のように記されている。
「よし」の対義語。「よろし」とは対立しない。類義語の「わろし」「わるし」は平安時代に現われる。「あし」が「悪しき道」「悪しき身」「悪しき物」のように、客観的な基準に照らしての凶・邪・悪をいうのに対して、「わろし」は個人の感覚や好悪に基づく外面的相対的な評価として用いられる。両語の間には程度の上下が存するという説もあったが、確例は認められていない。中世のある時期から、「あし」は次第におとろえ、「わろし」から転じた「わるし」「わるい」が、従来の「あし」の意味をも合わせもつようになり、「あし」は、「よしあし」という複合語や文語文の中に残存するにすぎなくなった。なお、室町頃から一時期、口語形「あしい」の形も行なわれた。→あしい・よし・わろし・わるい。
(下線は筆者によるもの)
「室町頃から一時期、口語形「あしい」の形も行なわれた」の「口語形」は「アシ」から推測される語形としての「アシイ」で、それが室町時代頃から「はなしことば」で使われたことがあった、ということだろう。見出し「あしい」もあげておこう。
あしい【悪】
〔形口〕
(文語の形容詞「あし(悪)」の口語形)
わるい。よくない。
*漢書列伝竺桃抄〔1458~60〕陳勝項籍第一「いくさをへたにしてかふあるかと人が思わうずが心ちあしい」
*寛永刊本蒙求抄〔1529頃〕七「災異とは、必ずあしいことがあらうと申したぞ」
*天草本伊曾保物語〔1593〕イソポの生涯の事「ダイイチノ axij (アシイ) モノヲ カウテ コイ」
*唐詩選国字解〔1791〕五言古「是を訓解には帰らうと思ふたが、跡がしたわれて、又跡へ立帰たと見たは悪しい」語誌
室町時代から、抄物資料・キリシタン資料・狂言などに用例が見える。しかし、当時すでに「よい」の対照語として「わるい」を意識することが多く、「あしい」は、一七世紀半ばまでにほぼ消滅したと考えられる。→あし(悪)。
これらの記述を考え併せれば、「アシイ」という語形は「17世紀半ばまでにほぼ消滅した」ということになり、「アシイ」を「口語形」と呼ぶ、その「口語形」は現代日本語の「口語形」ではないことになる。見出し「たのしい」には次のようにある。
たのしい【楽】
〔形口〕たのし〔形シク〕ある状態や持続的行為によって欲望・願望などが満たされ、快いさま。
(以下略)
「凡例」によれば〔形口〕は「形容詞口語形活用」を、は文語形をあらわしているようだ。これらを含めて、『日本国語大辞典』内で使われている記号、符号類を説明する一覧表のようなものがないのでいずれ加えてはどうであろうか。〔形口〕が「形容詞口語形活用」をあらわしているのだとすれば、この「口語形」は現在使われている「口語形」ということになる。先の「口語形」もこの「口語形」も単に「口語で使われる語形」ということであって、使い方に変わりはない、という「みかた」もあるかもしれない。しかし、『日本国語大辞典』が、「タノシ」を「から見出し」にして、「タノシイ」を「本見出し」にしているということは、明らかに現代使われている「話しことば」を見出しの軸にしているということであろうし、そうしたかたちで現代刊行されているということを考えると、過去のある時期に使われていた「口語形」も、現在も使われている「口語形」もどちらも「口語形」と表現していることがわかりにくいということはないだろうか、と思ったりもする。
見出し「ありうる」の語誌欄(1)、見出し「あられる」の補注欄(2)、見出し「あわてる」の語誌欄(3)をあげてみよう。
(1)
文語「ありう」の連体形「ありうる」が終止形にも用いられるようになり、文章語として、そのまま固定したために、「ありえる」という形にならず、現在の口語でも「そんなこともありうる」「ありうる話だ」のように、変則的な下二段活用の形を保っているものと思われる。
(下線は筆者によるもの)
(2)
「義血侠血〈泉鏡花〉九」の「那麼様(あんな)事が毎日有(ア)られて耐るものか」や「人形の望〈野上彌生子〉四」の「そんな恐ろしい事があられやうか。そんな事があられやうか」などの例のように、口語では「ある」と同じような意にも用いられる。
(3)
「あわたたし(慌)」と同系語で、「泡」を活用させた語と考えられるが、成立過程は不明。第二音節の仮名遣いは「わ」。文語形は「あわて+動詞」、口語形は「あわてて…する」の形で用いられることが多い。
(下線は筆者によるもの)
明治6(1873)年に生まれ昭和14(1939)年に没した泉鏡花の使う日本語が現代日本語とまったく同じとはいいにくいかもしれないが、明治18(1885)年に生まれて、昭和60(1985)年に没している野上弥生子は(筆者にとって、といっておくが)「過去の人」ではない。
日本語を「古代語/近代語」に分け、過渡期として「中世語」を設定するならば、江戸時代以降現在までの日本語は「近代語」として一つに括ることができる。上記(1)の「現在の口語」と「口語」は違う意味合いであるのかどうか。そして(3)の「口語形」は一つの語の形ではなく、表現も指しているようだが、筆者も含めて、「文語」「口語」ということについて、揺曳している「心性」あるいは「暗黙の了解」のようなものは、今後わからなくなり、ただの「不統一」とみえてしまう時期が来るのではないか、というのが今回の筆者の懸念だ。
それを回避するためには、このあたりで、日本語をとらえる枠組みをしっかりと検討して、誤解が生じる余地のない用語を決めることが辞書編集のためにも必要になってきたのではないだろうか。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は8月18日(水)、佐藤宏さんによる回答編です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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