「ひとりぼっち」か「ひとりぽっち」か
Series6-4
「ひとりぼっち(独法師)」をめぐって、一つは、その語釈冒頭におかれた(「ひとりぽっち」とも)の「とも」の後にどのような言葉が続くのかという問題でした。見出し語について、ヒトリボッチと発音しているのに、ヒトリポッチとも発音するというのは考えにくいとのことですが、先生がおっしゃるように、われわれも語形とはすなわち発音した形ととらえます。ですから、この場合の「とも」については、大方は「ともいう」で説明できるのではないかと考えます[1]。「ともいう」は語形に関わる注なので、語釈冒頭におくことにもなります。
ジャパンナレッジ版の全文検索で、〈」とも)〉という文字列で検索すると、7506件ほどの項目にこのような注が付いていることが分かります。清濁あるいはそれに準ずる注がほとんどですが、連濁だからといって見出し語形が清音で注の語形が濁音というわけではなく、濁音形が見出しで清音形が注におかれることもあります[2]。これは、やはり現在一般的であると考えられる語形を見出しにしていることによるものです。つまり、現在優勢な「ひとりぼっち」が見出しになり、「ひとりぽっち」はそれに準ずるので注扱いという位置付けになります。
もちろん、注扱いとはいっても、「ひとりぽっち」も一つの語形には違いないので、形式的には別見出しになるところではあります。しかし、意味と用法に違いが認められず、しかも、語形の清濁が違うだけならば、五十音の配列では隣かあるいはすぐ近くに並ぶことになりますし、紙版ではスペースを節約する必要もあり、空見出しをいちいち立てることはしません。ただし、ジャパンナレッジ版では、この注扱いの語形も見出し語検索の範囲に入れているので、「ひとりぽっち」で検索しても「ひとりぼっち」がヒットするようにはなっています[3]。
つまり、(「ひとりぽっち」とも)は、(「ひとりぽっち」ともいう)で、見出しは「ひとりぼっち」だが、「ひとりぽっち」という語形も確認されているということであり、この語形も使うという意味合いを含んでいます。とはいえ、「とも」で止めているのは確かに歯切れの悪い印象を与えるかもしれません。たとえば、見出し語形とそれに準ずる語形という「両語形の発生の前後関係が明確では」ない場合は、「~の変化した語」といったような断定ができないわけですから、いわば両形併記という形を取らざるを得ません。むしろ、歯切れのよい表現ができるように、さらに調査し研究する必要があると考えるべきなのかもしれません。
「ひとりぼっち(独法師)」をめぐって、もう一つは、濁点か半濁点かという問題です。日本語全体の傾向としては、近世後期は濁点も半濁点も符号にばらつきがあったり、付されたり付されなかったりして安定していないと思われますが、ここでは対象を『俚言集覧』(1797頃)にしぼり、『日本国語大辞典』の見出しで半濁点を含む語のうち、この書から用例が引かれている語について調べてみました[4]。いずれも自筆稿本ではくっきりと中空の丸い半濁点が付いているのが確認されます。次の語例の【 】内の言葉は見出し語形、( )内の数字は、影印本[5]の巻とページを表します。
【あきっぽい】(1-173)、【ぱちぱち】(3-119)、【わっぱ】(3-654)、【ちちんぷいぷい御代の御宝】(5-462)、【すかんぴん】(「すかんびん」とあるも本文でピンと注、7-331)、【すっぽうめし】(7-403)、【すぽん】(7-443)、【ぬっぽり】(8-29)、【めっぱ】(9-562)、【めんぱ】(9-631)、【とっぷり】(10-712)、【ぽちぽち】(11-127)、【ぽっしり】(11-160)
これを見ると、自筆稿本を作成した太田全斎は、半濁音を明確に意識しており、濁音との区別も付いていたと思われます。これは次の図をみても分かります。「ポックリ」と「ボックリ」がきれいに書き分けられ、濁、半濁の注も付いているのが見て取れます。
ところで、上記には含めなかった「ちんぷんかん」については、増補版では「ちんぷんかん」とあるのに対して、自筆稿本では「ちんふんかん」とあり、半濁点が付いていません。また、「つつっぽう」についても自筆稿本では「つつっほう」と半濁点が付いていないのですが、増補版では「ほ」に半濁点か濁点か見分けにくい点が付いています。『日本国語大辞典 第二版』ではいずれも半濁音形として例を引いているのですが、実は、「ひとりぼっち」に引用された「ひとりぽっち」の「ぽ」についても、『俚言集覧』の増補版では「つつっぽう」の「ぽ」と同じような点に見えました。つまり半濁点か濁点かどちらとも取れるような点が付されていたのですが、自筆稿本を見ると、これには「ひとりぼっち」とあり、濁点と分かる二つの点がくっきりと打たれていました。
『日本国語大辞典』で引用した『俚言集覧』の底本は、初版も第二版も、流布本である活字版『増補俚言集覧』[6]によっていますが、来たるべき改訂では、増補部分の底本はそのままとしても、それ以外については影印本も刊行されているので、自筆稿本そのものを底本にすべきでしょうね[7]。なぜなら、増補版では、活字の潰れという問題もありますが、そもそも配列が五十音横列順(あ、か、さ、た、な…、い、き、し、ち、に…)から五十音順(あ、い、う、え、お…)に変えられていますし、ここで試みたささやかな調査でも分かるように、増補以外の部分についても全てが自筆稿本通りに転写されているとは限らないことは明らかなわけですから。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は4月1日(水)、今野さんの担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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