いつからいつまで
Series7-4
「一般的な国語項目」とは何を指すのか。確かにこの言葉だけでは分かりにくいので、まずは、『日本国語大辞典』の凡例にある「語釈について」の「[1]語釈の記述」を以下に引きます。
1. 一般的な国語項目については、原則として、用例の示すところに従って時代を追ってその意味・用法を記述する。
2.基本的な用言などは、原則として根本的な語義を概括してから、細分化して記述する。
3. 専門用語・事物名などは、語義の解説を主とするが、必要に応じて事柄の説明にも及ぶ。
ここでは、「一般的な国語項目」「基本的な用言」「専門用語・事物名など」の三つの主題が並べられており、それぞれが区別されています。その上で三者の関係を検討すれば、2の「用言」は1の「国語項目」の一つでもあるので、2は1に包摂され1の但し書きとして添えられていると見ることができます。2の冒頭に「ただし」と付け加えれば分かりやすくなるかもしれません。しかし、3の「専門用語・事物名など」は同じ国語とはいえ、言葉よりは事柄や事物に即した解説を施すという意味で、主に言葉の用例によって意義用法を解説する「国語項目」とは異なります。したがって1の「一般的な国語項目」は、3の「専門用語・事物名など」に対してという意味合いで使われており[1]、それが何を指すのかについては、古来、国民の日常生活に用いられて、文献上に証拠を残すところの「一般語彙」を指していると考えます[2]。
その「一般的な国語項目」について、『日本国語大辞典』の記述は、用例中心主義といってもよく、実際に使われた用例を示すことによってその言葉の存在が証明され、コンテクストにおける言葉の意味と用法が明確になり、より古い用例からたどることによって言葉の歴史もわかると考えます。ただし、用例にしたがって語釈を展開するといっても、用例の古い順に原義から転義へと展開するとは必ずしもいえず、言葉によっては、根本的な語義を概括してから細分化して記述することもあります。つまり、「内省」によって意義の展開をまず考えてから用例を当てはめるということがあるので、1の「原則として」という言い方にもなります。
「騙る」の語釈もその例の一つといえましょう。原義と考えられる(1)の「うそをまことらしく言って、人をあざむく」の用例は[3]、『和英語林集成』と落語『昔の詐偽』でいずれも幕末・明治以降のもの。それに対して、転義(2)の「人をだまして、金品などをとる」の用例の方は浮世草子『日本永代蔵』、滑稽本『古朽木』など近世の文献からとられていて古い。これは原義(1)について、用例をさらに探せば、幕末・明治以前のものも見つかると考えるべきなのか。さらに、書き言葉としては転義の方が古くから書き留められたが、原義は話し言葉として普通に使われていたと考えるべきなのか。しかし、仮にそうだとしても証拠があるわけではないので、やはり文献に残された資料をもとに考えなければならないことだけは確かです。あるいは、「内省」では転義とされても発生としては古いのであれば、語義を再検討して語釈の順番を考え直すべきなのか。語釈の執筆に際しては、用例の年代を追いながら記述されるものの、時に意義の展開との間に葛藤があります。
これに対して、「騙り者」には「人をだまして、金品をとる人。詐欺師」とあり、「騙る」の転義(2)に絞られた書き方になっています。原義(1)をうけた「うそをついて人をあざむく」だけの者は「騙り者」とはいわないのかという疑問が生じてくるところですが、先生は「カバヤ児童文庫」から『謎の鉄仮面』(1953)という高学年向けの作品の用例を示されました。この文庫はカバヤキャラメルのおまけとして1952年8月3日の第1巻第1号から1954年の第12巻第15号まで刊行されていますが、1953年生まれの私にはもちろんカバヤキャラメルの記憶はあります。物心ついたころには、おまけといえばむしろグリコのキャラメルでしたが、カバヤのおまけはキャラメルの中に入っている点数の付いた文庫券を集めて50点になったときにもらえる仕組みになっていたようです。それはそれとして、このころ「騙り者」という言葉はまだ生きていたわけですね。
1953年以降となると、たとえば、現代日本語書き言葉コーパス(BCCWJ)[4]では0件、1985年以降の新聞雑誌記事データベース[5]では8件と現在ではほとんど使われていないことがわかります。さらに、青空文庫[6]にあたってみると昭和中期までの例が6件見つかり、JKBooks[7]では雑誌『文藝春秋』のバックナンバーから昭和前期の例が1件見つかりました。「騙り者」の意味が「詐欺師」か「うそをついて人をあざむく者」かを見極めるためには用例を長く引かないとわかりにくいのですが、前後の文脈も確かめたところ、いずれも金品を奪うという行為を含むとは考えられず、これらの例は「カバヤ児童文庫」と同じ「うそついて人をあざむく者」の意味と思われます。
▶️江見水蔭『備前天一坊』(1928)〈青空文庫〉
「浪人とあるからには家中同様の刑罰も加えられまい。見す見す騙り者と知れながらも、手の下し様もない事故(ことゆえ)」
▶️小野田素夢『憑かれ宿(実話後篇)』(1929)〈文藝春秋昭和4年9月号〉
「いま直ぐ離縁だ。あの大騙り者を呼べ、いま直ぐ叩き出してやる」
▶️︎野村胡堂『大江戸黄金狂』(1939)〈青空文庫〉
「「騙(カタ)り者奴(め)ッ」踏み込んだ丈太郎の一刀、赤崎才市を袈裟掛に 切って落しました」
▶️山中貞雄『武蔵旅日記』(1940)〈青空文庫〉
「殿様が、T「さては 騙り者か」 と言う。 文六浮かぶ瀬も無い」
▶️太宰治『右大臣実朝』(1943)〈青空文庫〉
「御計画の頓挫をいつまでも無念がつていらつしやるやうな事は無く、あの、大かたり者の陳和卿に対してもいささかもお怒りなさらず」
▶️︎山本周五郎『日本婦道記 尾花川』(1944)〈青空文庫〉
「あのような騙(カタ)り者に十金という分に過ぎた金を呉れてやる」
▶️吉川英治『新・水滸伝』(1958-61)〈青空文庫〉
「騙(カタ)り者の逃げ口上はきまっていらア」
ちなみに、新聞記事の8件については、1件は著作権の関係で中身を確かめられなかったものの、ほかの7件について、4件は狂言の役の説明として用いられており、残り3件は以下の通りです。
▶️毎日新聞東京朝刊1992.01.06「自由帳」狂人と天才のパノラマ
「「キリストの再来」として布教した女性教祖、いかがわしい行為で町の女性を次々に信者に変えてしまったカリスマ……。信じる者には聖者でも、不信の目にはいかがわしい「かたり者」」
▶️読売新聞西部夕刊1997.10.01「ひまわり」
「「予期していた」などと言う者がいたら、よほどの名医か、因果をわきまえぬかたり者か、さては「霊感」などという不安の材料を商売道具にする占い師のたぐいだろうから」
▶️北海道新聞夕刊2016.01.08「十八歳に思う」あさのあつこ
「十八歳というスタートラインの向こうに何があるかなんて、語れる者はいないのだ。それをさも明確にすべすべと表す言葉があったなら、それはまやかしであり、語っているのではなく騙(かた)っているにすぎない。〈中略〉あやふやなものを無理やり形にして名づけようとするのだ。自分が騙り者だという自覚なしに、空虚な言葉を垂れ流すのは罪ではないだろうか」
このように見てくると、確認できる用例は一応「うそをついて人をあざむく者」の例といえますが、見方次第では金品をだましとる「詐欺師」の比喩的表現ととれなくもない。この境界は「騙る」ほどには明快に分けられないようにも思われます。
『日本国語大辞典』の「騙り者」の原稿をみると、草稿段階では『和英語林集成』の用例が英訳も含めて引かれており、原稿執筆者は「Katari-mono カタリモノ・騙者 An imposter(いかさま師), pretender(詐称者), swindler(詐欺師), knave(悪漢), sharper(詐欺師), 同義語Mogari」と自ら訳もつけているのですが、pretenderとsharperが見え、同義語Mogariも加わっているので、最初は『和英語林集成』の再版か三版かを引いていたことがわかります。この訳語から帰納したのが「詐欺師」と思われ、「詐欺師」の語釈をみると「巧みに人をだまして、金や品物を奪う人。詐欺を常習とする人」とあります。ところが、そのあとで用例の担当者が出典を検討した際に、用例は見出し語形のみを引くことになり、結果、同じ例となるのであれば年代の早い版に合わせるというルールにしたがって『和英語林集成』も初版にあたりなおし、出典名も初版に変えたものと思われます。
以上を振り返ると、一例だけで語釈を考えることの難しさを感じると同時に、やはり語釈は複数の用例をもとに考えるべきであることを痛感します。また、その言葉がいつごろから使われ始めたかだけではなく、いつごろまで使われていたかを確認することが大事なのは、言葉の歴史を知るためであることはもちろんですが、言葉を通時的に見た上で、さらに語義の説明や構成をとらえ直す機会にもなるからではないかと考えます。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は6月3日(水)、今野教授による特別篇です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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