『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 20 「語釈の末尾に示すもの 」目次

  1. 1. 今野真二:語釈はどこまで? 2022年08月02日
  2. 2. 今野真二:類義語について考える 2022年08月17日
  3. 3. 今野真二:複雑な対義関係 2022年09月07日
  4. 4. 佐藤宏:「語釈」と云ふは瓢箪鯰と見付けたり 2022年09月21日

語釈の末尾に示すもの
Series20-3

複雑な対義関係

今野真二より

 本シリーズの1と2で、語釈のあとに置かれている「同義語」(類義語)について採りあげた。「語釈の末尾に示すもの」の「2」には「同義語の後に反対語・対語などを↔を付して注記する」とある。二つ見出しをあげてみよう。

うらなり【末生・末成】
〔名〕
(1)瓜などの、のびたつるの末の方になった実。つやがなく、味も落ちる。↔もとなり。
*農業全書〔1697〕三・八「本なり、又は末なりのたねを用れば、必たねがはりする物なれば、中なりの味よく、形よきをもちふべし」
*坊っちゃん〔1906〕〈夏目漱石〉二「あの人はうらなりの唐茄子許り食べるから、蒼くふくれるんです」
*太虗集〔1924〕〈島木赤彦〉代々木原「うらなりの南瓜(かぼちゃ)の尻ぞ曲りけるものの終りはあはれなりけり」

(2)一番末に生まれた子。末っ子。
*雑俳・柳多留‐五五〔1811〕「うらなりの子をばころがし育て也」

(3)顔が長く青白くて元気のない人。

もとなり【本生・本成】
〔名〕
植物の蔓(つる)や幹の根に近いほうに実がなること。また、その実。もとなれ。↔うらなり。
*農業全書〔1697〕三・八「本なり、又は末なりのたねを用れば、必たねがはりする物なれば、中なりの味よく、形よきをもちふべし」

 夏目漱石の『坊っちゃん』を読んだ時に「ウラナリ」とは何か、と思ったが、「つるの末の方になった実」が「ウラナリ」で、対義語は「モトナリ」であった。見出し「うらなり」には対義語として「もとなり」が示され、見出し「もとなり」には対義語「うらなり」が示されている。これは斉整としているといってよい。  しかし、日本語母語話者の内省として対義語が思い浮かぶような場合であっても、それが示されていないことがある。

くうふく【空腹】
〔名〕
(形動)
(古くは「くうぶく」とも)腹がへること。また、すいている腹。すきばら。くふく。

まんぷく【満腹】
〔名〕
(形動)
(1)腹が満ちて飽き足りること。腹がいっぱいになること。また、そのさま。

 見出し「くうふく」の語釈末に「まんぷく(満腹)」はなく、見出し「まんぷく」の語釈末に「くうふく」はない。ということは「くうふく」と「まんぷく」が対義語であるとは認めていないということになるだろう。

 小型の国語辞書においても対義語は示されている。むしろ積極的に示しているといってもよいかもしれない。例えば『三省堂国語辞典 第7版』では、見出し「くうふく(空腹)」の末尾には対義語として「満腹」が示されている。「クウフク」の対義語が「マンプク」であるということは現代日本語母語話者にとっては共通の理解のように思うが、そうではないのだろうか。もちろん対義かどうかということは「判断」する必要があるので、そうは思わないからあげていない、ということもあるだろうが、なぜだろうと思う。

あくちょう【悪兆】〔名〕悪いきざし。悪いことの起こるしるし。

きっちょう【吉兆・吉徴】〔名〕(1)めでたいしるし。縁起のよいきざし。

あくむ【悪夢】〔名〕(1)いやな夢。恐ろしい夢。縁起の悪い夢。特に、夢占いにより凶とされる夢。↔吉夢。

きちむ【吉夢】〔名〕えんぎのよい夢。めでたい夢。きつむ。↔悪夢・凶夢。

きょうむ【凶夢】〔名〕不吉な夢。悪夢。↔吉夢。

 「アクチョウ(悪兆)」と「キッチョウ(吉兆)」とはいかにも対義語に思われるが、そのようには扱われていない。「アクム(悪夢)」の対義語が「キチム(吉夢)」で、「キチム(吉夢)」の対義語が「悪夢・凶夢」で、「キョウム(凶夢)」の類義語が「悪夢」で、対義語が「キチム(吉夢)」となっており、こちらはほぼ首尾一貫している。欲をいえば、見出し「あくむ(悪夢)」の語釈末に類義語として「凶夢」を置けば、三つの見出しの関係がきちんと整う。こうしたことは「検索機能」を使うとわかりやすい。

 言語の「宇宙」がそもそも斉整とはしていないということは当然ある。「夏、朝のうち、風に吹かれて涼むこと」という語義をもつ「あさすずみ(朝涼)」の語釈末には「夕涼み」が対義語としてあげられ、「底が泥深くない浅い田」という語義をもつ「あさだ(浅田)」の語釈末には「深田」が対義語としてあげられている。「アサ(朝)」と「ユウ(夕)」、「アサイ(浅)」と「フカイ(深)」の対義が複合語にもいきている例ということになる。

 しかし、『日本国語大辞典』は「アサセ(浅瀬)」の対義語になりそうな「フカセ(深瀬)」を見出しとしていない。「セ(瀬)」は「歩いて渡れる程度の浅い流れ」であるので、その〈浅さ〉をおもてにだした「アサセ(浅瀬)」という語はあっても、〈深い瀬〉はあり得ないということだろう。あるいは「人畜に害をなす鳥」という語義の「アクチョウ(悪鳥)」という語があるからといって、「リョウチョウ(良鳥)」という語があるわけではなさそうだ。これは鳥類全体を「悪」と「善良」とに分けるという発想がそもそもなく、鳥類の中で悪い鳥だけをマークして、それを「アクチョウ(悪鳥)」と呼ぶということで、こういうところが言語の「そんなに単純ではないですよ」というところだろう。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は9月21日(水)、佐藤元編集長による回答編です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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