『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 9 「洋菓子名という「新語」 」目次

  1. 1. 今野真二:カスタードとショート・ケーキ 2020年09月02日
  2. 2. 今野真二:消えたエクレール 2020年09月16日
  3. 3. 今野真二:令女文学をひもとく 2020年10月07日
  4. 4. 佐藤宏:いわゆる「モダン語辞典」をめぐって 2020年10月21日

洋菓子名という「新語」
Series9-1

カスタードとショート・ケーキ

今野真二より

 『日本国語大辞典』の「主要出典一覧」には『アルス新語辞典』(1930年、アルス)、『新時代用語辞典』(1930年、磯部甲陽堂)、『新しき用語の泉』(1921年、博進館)、『新らしい言葉の字引』(1918年、実業之日本社)、『音引正解近代新用語辞典』(1928年、修教社書院)などがあげられている。ジャパンナレッジで範囲「用例(出典情報)」を指定し検索すると「アルス新語辞典」で394件、「新時代用語辞典」で170件、「新しき用語の泉」で458件、「新らしい言葉の字引」379件、「音引正解近代新用語辞典」で305件がヒットする。

 新しい語にかかわる、これらの辞典類が1918年から1930年の間、すなわち大正7年から昭和5年ぐらいの間に出版されていることは有意の現象なのだろうか。

 筆者が所持している同様の辞典類をあげてみる。

1:デエリー新文化語辞典 大正15(1926)年・啓明社
2:現代術語辞典 毎日年鑑附録 昭和6(1931)年・大阪毎日・東京日日新聞社
3:モダン新語辞典 昭和6(1931)年・浩文社
4:キング文庫 新語新知識  昭和7(1932)年・大日本雄弁会講談社
5:モダン語百科辞典 昭和7(1932)年・中村書店

 少し出版が遅いものもあるが、いずれの辞典類も大正の中頃から昭和10年頃までの間に出版されている。この頃に、「新語」がひろがってきた、という「感覚」があったのか、「新語」を記録しておこうという「感覚」があったのか、そのあたりは今後探っていく必要があるだろう。

 「新語」にもいろいろある。例えば、『モダン新語辞典』は「凡例」に続く「系統索引記号解説」において、「本書に収録した語彙は多種多様多方面に渉つて居るので、それぞれの範疇に随つて下記の三十八項目(他に[雑]の一項目)に分類した。系統項目の分類を余りに細目に亘らせることは、徒らに煩雑を来すに過ぎない。此の意味で本書は比較的簡明な分類法を用ひた」と述べ、38項目に「範疇」を分ける。38項目が「比較的簡明」かどうかはともかくとして、[政](政治・政治学・政治史・政党・政治運動・外交・政治機関・国際問題)から[人](各国人名)までにわたって分類されている。この38項目の中に[食](食料品一般・飲料品一般・料理・飲食店・煙草)がある。

 「系統索引」で[食]をみると、「アイスクリーム・サンデー」「アイスクリーム・ソーダ」「アスパラガス」「カスタード」などが見出しとなっていることがわかる。「カスタード」と「ショート・ケーキ」の項目をあげてみる。

カスタード(custard)[食]洋菓子の一種。牛乳と鶏卵とに砂糖を加へ、クリームのような滑かな半固体とし、それを焼き、また煮たもの。(73頁)

ショート・ケーキ(short cake)[食]メリケン粉と多量のバタ及び砂糖で作つた軽焼パン。(190頁)

 『日本国語大辞典』には次のように記されている。

カスタード
〔名〕
({英}custard )

牛乳と鶏卵に砂糖、香料を加えて加熱したものをいう。
*音引正解近代新用語辞典〔1928〕〈竹野長次・田中信澄〉「カスタードCustard 英 牛乳と鶏卵とに砂糖を加へて煮るか又は焼いたものを云ふ」
*モダン化粧室〔1931〕〈ハリー牛山〉「痩せた人は食物の量の割合に栄養価の多いものを取る必要があります。〈略〉アイスクリーム、カスタード、プッティング、乾葡萄、バナナ、葡萄等も結構でありますし」

ショート‐ケーキ
〔名〕
({英}shortcake )

洋菓子の一つ。スポンジケーキの台の間や上に、イチゴなど季節の果物やクリームをあしらったもの。
*音引正解近代新用語辞典〔1928〕〈竹野長次・田中信澄〉「ショート、ケーキ Short -cake 名 西洋菓子の一種」
*古川ロッパ日記‐昭和九年〔1934〕三月一二日「帰りに森永でココアとショートケーキ」
*自由学校〔1950〕〈獅子文六〉自由を求めて「『ショート・ケーキ二つと、コーヒー…』彼は、ボーイに注文すると」

 見出し「カスタード」「ショートケーキ」いずれも、まずあげられている使用例は「音引正解近代新用語辞典〔1928〕〈竹野長次・田中信澄〉」である。『音引正解近代新用語辞典』は昭和3(1928)年に出版されている。辞書体資料は編集されているのだから、編集者の意図、目的、趣向によって、見出しを選択することができる。したがって、例えばこうした「新語辞典」において見出しとなっている語が、当該時期に「日常生活で使われている語」かどうかはわからないことになる。

 では辞書体資料ではない文献は、といえば、前者では「モダン化粧室〔1931〕〈ハリー牛山〉」、後者では「古川ロッパ日記」があがっている。昭和6年、昭和9年の記事であるので、やはり「カスタード」「ショートケーキ」はこのあたりからひろく使われ出した語という推測がひとまずはできる。

 ただし、不二家のホームページには、大正11(1922)年にショートケーキを1個8銭で発売したと記されている。また同年1月に開店した伊勢佐木町店ではシュークリームも販売していたとのことだ。不二家のホームページの情報からすれば、物としてのショートケーキはもう少し前から売られており、それが広まるにつれて、語としての「ショートケーキ」が文献に足跡を残すようになったとみる必要がありそうだ。「物がうまれたり販売されたりする」「新語辞典が新語としてとりあげる」「文献に語として足跡を残す」というあたりには「時間差」が生じやすい。そのことには留意しておく必要がある。次回は具体的な洋菓子にもう少しふみこんでみよう。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は9月16日(水)、今野さんの担当です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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今野真二著
三省堂書店
2800円(税別)