嵯峨嵐山(右京区)を流れる大堰(おおい)川は、渡月橋より上流を「保津川」と言い習わす。古くから旨い川魚が捕れるうえ、上流の丹波は、山の幸や良質の材木が豊富な場所である。平安期以前から都に材木や薪炭、さまざまな食糧が川を下ってきた。慶長11(1606)年に川船の水路が開削されると、川下りを楽しむ船遊びのメッカとしても知られるようになった。その河原には、月面のような大岩盤や珍妙な形の奇岩によって見事な渓谷が形づくられており、急流の瀬や静寂の深潭ありと、またたく間に人気の観光スポットになった。かつての保津川での水運や歓楽の様子は、船頭の一挙手一投足をつぶさに描写した夏目漱石『虞美人草』をはじめ、水上勉『金閣炎上』、井伏鱒二『篠山街道記』などの文学作品にも数多く登場する。

 さて、川上の亀岡市にある乗船場から渡月橋の下船場までは16kmほどあり、2時間あまりの船遊び(現在の保津川下り)を楽しんだ後、乗ってきた船はどうなるのか、おわかりだろうか。現代は下船場近くで三艘ずつ重ねてトラックに積み込み、乗船した場所の船溜まりまで搬送されている。交通手段の限られた昭和20年代半ば(1940年代末期)までは、といえば、そのまま川を上流へ向け、船を引き綱で曳きながら、3人から4人の船頭の手で折り返していた。これを曳舟(ひきふね)と呼んでいた。

 船頭は草鞋履きで曳舟用の引き綱をもち、腰巻きには握り飯という軽妙な出で立ちで、乗船場がある亀岡まで4時間あまりをかけて引き返した。川の流れや蛇行の様子、水深や登りミト(水路)、川を下ってくる筏や船などの状況を見ながら、右岸や左岸を行ったり来たり、はたまた引き綱を岩にかけて船の向きを変えたりしながら上流へと遡っていった。過酷な仕事である。かつて船頭によって何度も何度も踏みしめられた河岸は、石がやすりでこすったような踏み跡になり、それは今でもはっきり残っている。こうした船頭の歩いてきた道、いわゆるフットパスのことを綱道と呼ぶのである。

 明治32年に山陰線が開通し、戦後になってトラック輸送が本格化すると、筏や荷船による水運は姿を消し、船遊びの曳舟も、トラック運搬に変わっていくことになった。最近の保津川はラフティングを楽しむ人も多い。渓谷に奇勝を探りながら、綱道トレッキングをしてみるのも面白い。


写真中央の岩場に立つ船頭は、右下より中央に向かってのびる曳き綱を肩にかけ、川船を引き上げている。絶景百図(1903年発行、石敢堂)より。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 大阪府寝屋川市出身。お笑いコンビ「ピース」のボケ役。吉本興業東京本社所属。35歳。2015年1月に発売された『文學界』(文藝春秋)2月号に初の中篇小説『火花』を発表。発売と同時に話題になり、同誌創刊以来初となる重版がかかった。

 『火花』が15年上半期の芥川賞にノミネートされ、羽田圭介(はだ・けいすけ)の『スクラップ・アンド・ビルド』(文學界)とともに、お笑い界初となる第153回芥川賞を受賞した。

 『週刊現代』(8/8号、以下『現代』)によれば、両親と姉2人の5人家族。部屋は姉と同室だった。家は裕福ではなかったようだ。そうした物に恵まれなかったことが、一日中紙に絵を描いて過ごすなど、空想を膨らますクセをつけ、「足るを知る」姿勢を与えたのではないのかと『現代』は推測している。

 太宰治に影響を受け、読書家ではあったが、北陽高校時代はサッカー部に所属して3年時にはスタメンに入りインターハイにも出場しているスポーツマンでもある。

 中学・高校時代は目立たない学生だったが、文化祭などでは漫才をやったりしていたという。高校卒業後、お笑い芸人になりたいと打ち明けられた両親は驚いたが、反対はしなかった。

 「もちろん現実は厳しくて、芸人を志して10年以上売れなかった。心配してあの子に問うと『テレビに出るだけが芸人じゃない。舞台だけの芸人や営業専門の芸人もいる。俺は何としてでも芸人としてやっていく』という返事でした」(母・みよ子さん)

 と、ここまでは芸人・又吉が芥川賞作家になるまでの概略である。

 芥川賞は新人に与える賞だから、又吉が受賞してもおかしくはない。だが私は、彼にはもう一作書かせてからにしたほうがいいと思っていた。だから、『火花』を読む気にはならなかった。芥川賞を受賞したがその後書けずに消えてしまった作家も多くいる。

 だが、出版界は長引く不況で堪(こら)え性がなくなってしまったのかもしれない。話題先行、売れるものがあればすぐに飛びつく。

 とまあ、こんなことをウダウダ考えながら又吉の『火花』をあまり期待せずに読み始めた。だが、書き出しの数行で、この男ただものではないかもしれないと思った。

 「大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。沿道の脇にある小さな空間に、裏返しにされた黄色いビールケースがいくつか並べられ、その上にベニヤ板を数枚重ねただけの簡易な舞台の上で、僕達は花火大会の会場を目指して歩いて行く人達に向けて漫才を披露していた」

 書き出しにこそ神は宿る。売れない漫才師が花火大会の余興に呼ばれ、粗末な台の上で漫才らしきものを大声でやるが、花火に急ぐ人たちは足を止めてくれない。

 芸人とその世界が抱える不条理。これから描かれるであろう売れない芸人の悲哀と破局を予感させる。

 又吉の分身である徳永と、彼が漫才師として尊敬する先輩・神谷との関係を中心に話は展開する。四六時中、芸のことを考えているのに売れない芸人のやり切れなさや、相方との行き違いなどのエピソードを織り交ぜながら、全体を貫いているのは「全身漫才師」として生きようとする神谷の苦悩と狂気である。

 又吉の考える「漫才論」もそこここに散りばめられている。たとえばこういう箇所がある。

 「必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ」

 だが、読後感は残念ながら満足感とはやや遠いものであった。

 売れない芸人としての悲哀も、神谷の狂気も、私にはさほどのものとは思えなかったからだ。それに徳永や神谷の「芸」が、私には少しもおかしくなかった。

 これでは漫才師としては売れないだろうな、そう思わざるを得なかった。

 本を読んだあとYouTubeで「ピース」のコントを何本か見てみたが、クスリとも笑えなかった。

 もっとも、私にとっての漫才は横山やすし、西川きよしで終わっているから、わからない私のほうが悪いのかもしれないが。

 海援隊の武田鉄矢をもう少し暗くしたような又吉の顔は、すでに作家の顔である。

 太宰が好きで、太宰忌(桜桃忌)には毎年、追悼の「太宰ナイト」をやっているそうだから、気分も生き方もすでにして作家なのであろう。

 小説の中の徳永は、少し売れてきたのに漫才から足を洗ってしまう。又吉もそうなるのではないか。

 そう思うのは、あの若さで抱え込んでいる闇の深さのようなものが気になるからである。太宰は38歳で玉川上水に身を投げた。私が好きだった落語家・桂枝雀(かつら・しじゃく、享年59)は舞台で見せる破天荒な明るさの裏に狂気を時折垣間見せていたが、突然、自死してしまった。又吉の持つ暗さが、太宰を気取っているだけならいいのだが。

 私は芥川賞受賞作を毎回読んでいるが、ここ10年を見てみても、いい小説を読ませてくれてありがとうと思えるものがほとんどない。その理由に、出版社側のじっくり作家を育てようという志の希薄化や選考委員の小粒化などがあげられるかもしれない。

 いきなり「大作家」と持ち上げられ神輿に乗せられた又吉が、自分を見失わずにどういう「文學」を紡いでいけるのか。期待と不安が半々である。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 戦後70年の節目の年を迎えて、8月に出すといわれる安倍首相の「談話」に注目が集まっている。全体的には戦後50年の「村山談話」を継承するとは言っているが、一つの言葉が中国や韓国だけではなく欧米の対日感情をも暗転させかねない。そんな中でもう一つの「談話」が発表されるという情報が駆け巡っているというのだ。安倍政権への批判を強めている(と私は考えている)天皇の「談話」である。天皇VS.安倍、勝つのはどっちだ!

第1位 「安倍が怖れる『天皇談話』のあの“お言葉”」(『週刊ポスト』8/7号)
第2位 「『株主代表訴訟』対策か 東芝前社長 自宅を妻に生前贈与!」(『週刊現代』8/8号)
第3位 「元慰安婦が実名告白『韓国政府も日本とちゃんと話し合いなさい』」(『週刊文春』7/30号)

 第3位。『文春』が韓国の元慰安婦の実名告白を掲載している。読んでみたら失礼ながら“真っ当”な記事である。この李容沫(イ・ヨンス)さん(86)は、これまでもメディアに出て日本政府を批判してきたが、ここへきて身内である韓国の支援団体や韓国政府を批判していると、勇躍、『文春』の記者は韓国・大邱(テグ)市の郊外に飛んだ。
 彼女の言い分は、戦後日本からの経済援助で経済発展してきた韓国政府が、慰安婦問題を解決するために日本とちゃんと話し合って、積極的にやってほしいというのである。

 「ハルモニたちが生きているうちに、両国政府がきちんと話し合って、早く平和的に解決しないとダメなのです」(李さん)

 その通りである。この中で、彼女は数えで16歳のある夜、日本の軍服を着た男女に拉致され、大連から上海に連れて行かれて暴行された後、台湾の新竹の慰安所で働かされたと話している。これが「軍の強制」でなくて何と言おう。
 安倍首相が本当に日韓関係を何とかしたいのなら、慰安婦問題について朴槿恵(パク・クネ)大統領とすぐに会うべきである。

 第2位。さて大企業・東芝が揺れている。田中久雄社長(64)が辞任することになったが、『現代』は、田中氏に重大な疑惑ありと報じている。
 田中社長が会見で語った内容を要約すれば、全社的に不適切な会計処理が行なわれていたから、会社のトップとして責任をとって辞任するが、自分は不正に手を染めたという認識はない。田中社長はそんな自己弁護を会見で言い続けたのである。
 『現代』によれば、それは巨額の損害賠償訴訟に備えて、今から「自分は無実」と予防線を張っていたに違いないというのである。
 今後、東芝経営陣は2種類の損害賠償請求訴訟を提訴される可能性があるという。一つは、有価証券報告書に虚偽記載がされていたために株価が下落し損害を被ったとして、株主が会社や経営陣に損害賠償を求めるというもの。
 もう一つが株主代表訴訟。こちらは会社に与えた損害を会社側が経営陣に請求しない場合、株主が代わりに損害賠償請求を提訴するもの。
 しかし『現代』によると、田中社長は今回の不正会計問題が公になる前に、自らが所有する自宅マンションの所有権を移転しているというのだ。

 「田中氏が横浜市内の自宅マンションを贈与という形で所有権移転したのは、今年3月7日のこと。97年に新築で購入した、約70㎡の部屋である」(『現代』)

 贈与相手はこの部屋に田中氏とともに住む田中姓の女性であるというから、贈与相手は妻と見るのが自然であろう。
 SESC(証券取引等監視委員会)の指摘を受けて、東芝は社内で自己調査を開始したが、そんな最中に田中氏は自宅マンションを贈与していたことになるのだ。
 第三者委員会の委員長・上田廣一氏は元東京高検検事長。その彼が、

 「日本を代表する大手の会社がこんなことを組織的にやっていたということに衝撃を受けた」

 と、記者会見で慨嘆した。経済ジャーナリストの町田徹(まちだ・てつ)氏はこう難じている。

 「検察が出ていって、この粉飾に落とし前をつける。刑事責任を追及すべきです。東芝がナマぬるい処分で終われば、国策企業は守られるということになるので問題です。刑事責任を追及すべきは、退任を発表した歴代3社長だけではありません。組織的な粉飾を行っていたわけですから、粉飾にかかわった部長以上、執行役員、カンパニー社長まで全員を対象にすべきです」

 ウミをどこまで出せるかが、今後の東芝を占ううえで試金石になるはずだ。

 第1位。今週の第1位は『ポスト』の「安倍首相VS.天皇」の記事。
 8月に出される戦後70年の区切りの安倍首相の「談話」だが、6月下旬には首相自らが戦後70年談話を閣議決定しない方針を明らかにした。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話は閣議決定され、8月15日に発表されたのにである。
 『ポスト』は、安倍首相は何かを恐れている、それは安倍談話を覆しかねない「もうひとつの戦後70年談話」なのだというのだ。
 安倍首相が歴史認識の転換を行なう内容の70年談話を出した場合、全国戦没者追悼式とは別に、天皇の特別な「戦後70年のお言葉」が発表されるという情報が流れているというのだ。
 自民党幹部がこう語る。

 「終戦記念日に陛下が先の大戦についてメッセージをお出しになるのではないかという情報は5月頃から流れている。陛下は先帝(昭和天皇)から、先の大戦で軍部の独走を阻止できなかった無念の思いや多大な戦死者と民間人犠牲者を出したことへのつらいお気持ちを受け継がれている。万が一、お言葉の中で首相談話から省いたアジア諸国の戦争被害に対する思いが述べられれば、安倍首相は国際的、国内的に体面を失うだけでは済まない」

 今年の1月には新年の「ご感想」で、軍部独走のきっかけとなった「満州事変」をあげて、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と語り、4月には、体調不良を押して日米の激戦の舞台となったパラオを訪問している。
 『ポスト』によれば、特に官邸を仰天させたのは、6月3日に国賓として来日したアキノ・フィリピン大統領の宮中晩餐会で天皇が述べた次の「お言葉」だったという。

 「先の大戦においては、日米間の熾烈な戦闘が貴国の国内で行なわれ、この戦いにより、多くの貴国民の命が失われました。このことは私ども日本人が深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならないことであり、取り分け戦後70年を迎える本年、当時の犠牲者へ深く哀悼の意を表わします」

 宮内庁関係者もこう話す。

 「陛下のお言葉に安倍総理は真っ青になったようだ。陛下は先の大戦を“侵略”ととらえ、お詫びする気持ちが込められていると受け止めたからだろう」

 そこに宮内庁側から二の矢が放たれたと『ポスト』は言う。
 7月9日、宮内庁は昭和天皇の「玉音放送」の録音原盤と、終戦を決めた「御前会議」が開かれた皇居内の防空壕内部の写真と映像を8月上旬に公開する方針を明らかにしたのである。
 天皇のご学友で元共同通信記者の橋本明氏はこう見ているという。

 「ほとんど知られていませんが、陛下は4月のパラオ訪問に出発する際、羽田空港に見送りに来た安倍首相を前にこう仰っています。
 『(先の大戦では)激しい戦闘が行なわれ、いくつもの島で日本軍が玉砕しました。このたび訪れるペリリュー島もそのひとつで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います』。首相へご自身の思いを伝えたい気持ちが強かったのではないでしょうか」

 しかし日本国憲法で天皇は政治的な発言をしてはいけないとされている。そこで宮内庁は、その対策として14年3月31日に退官した竹崎博允(たけさき・ひろのぶ)・前最高裁長官を今年4月1日付で「宮内庁参与」に起用したというのである。
 竹崎氏は文字通り憲法の最高権威である。

 「最高裁の前長官を参与にしたのは安保法制などについての憲法判断について意見をすぐ聞けるようにという配慮ではないか。そうした法律顧問がいれば、ご自身のお言葉として憲法上、どこまで踏み込めるのかという判断についても意見を求めることができる」(宮内庁関係者)

 支持率が下がり続ける安倍首相だが、手負いの安倍を追い詰める最後の切り札が、8月に出される天皇の「お言葉」だとしたら、安倍首相は亡き祖父・岸信介に何と言って詫びるのであろうか。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 和歌山県太地(たいじ)町のイルカ漁が、世界的な非難にさらされていることは報道によって広く知られるところとなった。日本動物園水族館協会としてはそうした非難に対応せざるを得なかったようで、漁を通してイルカを入手するルートは消えた。国内におけるイルカショーの先行きは暗い。なぜなら、イルカの繁殖という手段をとることができるのは、予算の潤沢な水族館などわずかばかりなのだ。

 受難のときを迎えた水族館だが、泣きっ面に蜂、もう一種の「人気者」についても危機的状況である。いま、愛嬌あるしぐさで老若男女を夢中にさせてきたラッコの数が、極端に減っていることにお気づきだったろうか。6月16日の産経新聞の記事によれば、「ピーク時の平成8年には、全国の水族館で118頭飼育されていたが、現在はわずか15頭にまで減少」。

 ワシントン条約で取引が制限されているラッコは、入手が困難だ。ラッコはアラスカなどの北米沿岸に生息するが、現在のところアメリカが取引を禁止している状態で、ここ10年ほど日本に入ってきていない。にもかかわらず、ストレスなどに弱いからか、繁殖もうまくいっていない(ラッコの扱いが難しいことは、国内での飼育が本格化した1980年代前半にはすでに業界でよく知られるところだったそうだ。そこから進展が得られなかった)。いつの間にかラッコの高齢化は進み、いま、次々と寿命を迎えているという。

 もともと、ラッコは水族館という「箱」に適していなかったのかもしれない。しかし、多くの家族連れの足を水族館に向かわせたスターであり、おそらくは自然環境に対する日本人の意識を高める役割も果たしていただろう。だからこそ、なんともさみしい話ではある。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 「内々定と引き換えに他社への就職活動をやめるように強要された」
 「他社の就職試験を受けさせないように、連日、面接の日程を入れて妨害する」
 「極めて威丈高な態度や人格攻撃など、他の企業を受けるなと指示された」

 内々定を出した企業の人事部が、学生に対して、就職活動の終了を強要するハラスメントが問題となっている。いわゆる「就活終われハラスメント」で、学生たちの間では「オワハラ」と呼ばれている。

 文部科学省が6月25日に発表した「平成27年度就職・採用活動時期の変更に関する調査(5月1日現在)の結果について」によると、45.1%の大学・短大が、学生からオワハラの相談を受けたことがあると回答している。

 オワハラの背景にあるのは、(1)企業の採用活動時期の見直し、(2)就職活動が学生側に有利な売り手市場、の2つだ。

 「学生の本分である学業に専念する時間を十分に確保する」という国の要請を受け、日本経済団体連合会(経団連)は2016年度春の新卒採用指針を見直している。そのため、今年は説明会や面接などが後ろ倒しになっており、選考期間が短くなっている。だが、外資系や経団連に属さない中小・ベンチャー企業は、この指針に関係なく早い段階から選考作業を始めている。また、経団連加盟企業でも、インターンシップやセミナーなどで、優秀な学生を見つけて実質的な青田買いが行なわれているようだ。

 折しも、企業業績の回復とともに、今は学生が有利な売り手市場だ。就職氷河期だった時代とは異なり、一社断っても、他にも就職先はある。その結果、せっかく見つけた優秀な学生が他社に流れないように、内定辞退を警戒する企業によるオワハラが目立つようになっているのだ。

 なかには、「この場で、他に受けている企業全部に辞退の連絡を入れろ」「内定を辞退したら訴える」と迫ったり、「研修に参加することが内定の条件」と本来の採用試験が始まる8月初旬に学生の身柄を拘束して、他社の試験を受けさせないようにする狡猾なやり方もある。

 だが、憲法22条では「何人も職業選択の自由を有する」と保障しており、企業が学生の自由選択を妨げる「オワハラ」は違法行為だ。

 文科省でも、こうした違法行為を行なう企業への警戒を強めており、オワハラを受けた場合はひとりで悩まずに学校の就職支援センターなどの窓口に相談するように呼びかけている。

 就職氷河期は何十社も試験を受けても就職が決まらず、自己否定されるような思いをした学生がいたかと思えば、売り手市場の今は不当に職業選択の自由を奪われようとする学生がいる。

 経済の動向によって毎年採用枠が異なるのは仕方のないこととは言え、企業という強い立場から学生に行なうハラスメントは慎むべきだ。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 鎌倉の有名な古刹の一つ、建長寺に、昆虫を供養するための「虫塚」が登場。2015年6月4日(この日は語呂合わせで「虫の日」である)、完成を記念した法要が営まれた。虫塚作りの音頭を取ったのは、解剖学者の養老孟司(ようろう・たけし)氏。養老氏といえば昆虫採集が趣味で、集めた標本をスキャンしてデジタル昆虫図鑑を上梓するほどの「虫ハカセ」だ。虫の供養に加え、来訪者が地球の環境について考えるきっかけになれば、との思いがあるという。自然の破壊で多くの虫たちの命が失われているのだ。

 虫塚のデザインは、虫かごをイメージして金網がらせんを描いており、その中央部分には養老氏が特にお気に入りの昆虫「ゾウムシ」のオブジェが鎮座している。インパクトの強い作品群で知られる建築家・隈研吾(くま・けんご)氏が設計した。近年、自然環境と建築という人工物の両者をつなぐ取り組みを続けている隈氏にふさわしい仕事だろう。「虫かご」の骨組みには、やがてコケが生え、その緑が周囲と調和するようになっていくそうだ。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 夏の働きのあり方が大きく変わるのだろうか。

 政府広報の説明によると「日照時間が長い夏に、朝早い時間に仕事を始め、早めに仕事を終えることで、まだ明るい夕方の時間を有効に活用し、生活を豊かにしようという取り組み」だそうだ。伊藤忠商事や東急電鉄など一部民間企業で導入済みだが、この夏、国家公務員が率先して取り組んでいることで広く知られるようになった。

 国家公務員の場合、7、8月の2か月間、始業時間と退庁時間をそれぞれ1~2時間繰り上げる。中央省庁の場合、国家公務員約44万人のうち、初日に約2万3000人が参加。早く帰宅して家庭のだんらんを楽しむのもよし、語学研修や友人との飲み会などプライベートタイムを満喫するもよし。テレビで中央省庁の公務員のお父さんが家で子どもと会話しながら夕食を囲んでいる様子を報道していたが、ワーク・ライフ・バランスの改善につながればいい。

 ただ、問題もなくはない。例えば「早朝出勤したのはいいが、結局仕事がこなせず、残業に追い込まれないか」「形ばかりの早めの退社で仕事の持ち帰りが起きることはないか」「公務員が率先してゆう活するのはいいが、民間企業の公務員相手の仕事で、しわ寄せが来ないか」「残業が減るのはいいが、賃金削減につながらないか」等々、いろいろ指摘がある。

 かけ声はいいが、定着に向け肝心なのは、その運用方法である。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 「『吊床』『寝網』と訳す寝具の一種で、太くてじょうぶな紐を粗目に編み、立ち木や柱などに両端を吊り、人が寝られるようにしたもの=ハンモック」が、なにやらブームであるらしい。

 NHKの情報番組『あさイチ』によると、ここ数年で自宅にハンモックを吊す人が増加し、ハンモックカフェだとかハンモックヨガだとかのハンモック絡みの商売も続々と登場しているのだという。

 しかし、都心を活動拠点とする筆者からすれば、そんなもん自宅に備え付けている家庭は見たことないし、代々木公園とかでやっても警備員さんに叱られそうだし、「ホントに流行ってるのか?」と、つい疑問を呈したくなるのが正直な印象だ。

 けっこう広めな庭付き一軒家や軽井沢あたりで別荘を購入するなり、山奥へキャンプに行くなりしてハンモックを楽しむにしても、当然のこと膨大な資金や少なからずの労力が必要となり、そこまで頑張って“夢”を実現できたところで、ハンモックでうたた寝するのがそこまで気持ち良いとも筆者には思えない。不安定でバランス取るのが案外むずかしいわ、油断してたらすぐ落ちちゃうわ、蚊とかにもすぐ刺されちゃうわ……あえて例えるなら、せっせと貯金してやっと買った『サーキットの狼』(注1)バージョンのロータス・ヨーロッパ(注2)だけど、あまりの運転のしづらさに辟易してしまう、みたいな感じだろうか?

 あと、こういうなんでもかんでもロハスといった昨今の風潮も、個人的にはどうも気持ちが悪かったりする。

※編集部注
(1)『サーキットの娘』:『週刊少年ジャンプ』に連載された池沢さとしの作画コミック。
(2)ロータス・ヨーロッパ:イギリスのスポーツカー。同コミックの主人公の愛車としても知られる。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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