1943年、埼玉県春日部市で桐箪笥職人の次男として生まれた
大塚勝久氏(71)が、25歳の時、春日部駅前に桐箪笥販売店「大塚家具センター」を創業したのが始まり。
『週刊新潮』(3/12号、以下『新潮』)で当時を知る地元住民がこう話している。
「実家の桐箪笥だけでなく、他所からも家具を仕入れる総合家具店としてオープンしました。最初から、大繁盛です。というのも、日本が高度経済成長期だったので、近辺には団地が続々と建ち、家具は飛ぶように売れた。二十数名の社員が家具を配達するのに、朝早くから夜遅くまで忙しそうに働いていました」
「商売大好き、勉強大嫌い」だった勝久氏の商才は本物で、数年後には多店舗展開を図るようになる。キャッチフレーズは
“一流百貨店で扱っているのと同じ高級家具が2、3割安く買える”だった。
「当時、小売店がメーカーから直接仕入れることは非常識とされていました。ですが、大塚家具はその常識を破ることで安値を可能にした。さらに、メーカーは値崩れを避けるべく、小売店には希望小売価格の店頭表示を求めていたのに、大塚家具は無駄な値引き交渉を省くために、最初から値引き後の販売価格を掲げていた」(経済ジャーナリスト)
当然ながら業界の猛反発を買ったため、苦肉の策として
「価格を提示するのは会員限定」というビジネスモデルを導入するが、これがまた当たった。
2001年には売上高が760億円に上り業界最大手にのし上がったのだ。だが、バブルが弾けて住宅着工戸数が減り、洒落たデザインで値段も手頃な「ニトリ」や「IKEA(イケア)」などが台頭してきて
売上高は下降線を辿る。
『新潮』によれば、業績悪化と2007年5月に大塚家具が自社株のインサイダー取引に問われ、課徴金の納付命令を受けたこともあって、2009年3月に
勝久氏は長女の久美子氏(47)に社長の座を譲り会長に退いた。
久美子社長について大塚家具の幹部はこう語る。
「お嬢さま学校の白百合学園高校に通っていましたけど、その帰り道、セーラー服姿で会社によく顔を見せていました。一橋大学の経済学部に合格したときも、いの一番に父親に報告しに来ていた」
仲のよい家族だった。彼女は大学を出ると富士銀行に勤めたが3年で退職し、父親の右腕として働いてきたそうだ。
だが、新社長は社外取締役を入れて家族経営からの脱却を図り、父親が作り上げた「高級ブランド家具店」から、
誰でも入りやすい気軽な店へと大変革を始めたのだ。
それに我慢できない勝久氏が昨年7月、取締役会決議を経て
久美子氏を解任して会長と社長を兼務してしまったことから、
壮絶な「骨肉の争い」の幕が切って落とされる。
久美子氏は大株主の米国系ファンドに接触し、大塚家具に対して揺さぶりをかける一方で、経済誌などのインタビューで
「勝久氏の社内でのパワハラ」を暴露、批判した。
「この“圧力”が功を奏したのか、1月28日に開かれた取締役会で、4対3の僅差ながら、久美子さんの社長復帰が決まり、勝久さんの役職は再び会長だけになったのです」(経済部記者)
だが、これだけでは収まらない。取締役会の翌日、勝久氏は3月27日の株主総会で久美子氏の解任を求める株主提案をすると言ったのだ。すると久美子氏側は3月いっぱいで勝久氏を会長職から解任することを取締役会で決定。今度は勝久氏側が2月25日の取締役会で久美子氏の社長解任動議を提出し、それが否決されると大勢の幹部社員を引き連れて記者会見を開き
「悪い子どもをつくったとそう思わざるを得ません」と言い放ったのである。
翌日には久美子社長がひとりで記者会見を開き「創業者は人間なので、永遠に経営をすることはできない」と反撃に出た。
家族は分断され、勝久氏側には妻と長男、久美子氏側には次男と次女と三女がついた。注目の勢力図は、勝久氏側が株を20%押さえ、久美子氏側も先の米国系ファンドを味方に引き入れて20.2%とほとんど
互角である。
久美子氏が記者会見で「40円の配当を倍にする」と言い、勝久氏が「こっちは3倍」とつり上げたため、大塚家具の株価はストップ高の連続で、一時は2000円を超えたという。
この親子げんか、どちらが勝つかに世間の注目が集まっている。軍配はどちらに上がるのか? 大塚家具の株主によれば「株主総会では、久美子さん側の会社提案が承認され、
勝久さん側の株主提案は否決される可能性が高い」そうだ。
また大株主の日本生命や東京海上日動火災などは、勝久氏のパワハラに厳しい目を向けるから、勝久氏側につくことはありえないそうだ。
ところが米国系ファンドはがめつい。せっかく上がった株価が株主総会が終われば下がると見て、3月3日にかなりの手持ちの株を売却していたことが10日に判明したのだ。
「売却後の保有比率は4.63%になったが、株主総会で行使できる議決権は昨年12月時点の約10%を持ったまま。会長と社長のどちらを支持するかは明らかにしていない」(asahi.com3月10日より)
これで再び勝負の行方は混沌としてきたようだが、どっちに転ぼうとも、このドラマのエンディングにはならないようだ。勝久氏は依然として大株主だから、
業績が悪化すれば「社長解任」を再び株主提案してくることは間違いないそうである。
「人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている」と芥川龍之介が『侏儒(しゅじゅ)の言葉』の中で言っている。大塚家の終幕はどのような形になるのか、まだまだ予断は許さないようだ。
元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
今週は久しぶりに
スクープ満載だ。週刊誌渾身の独自ネタをじっくり味わっていただこう。
第1位 「『農水相辞任』当夜にくちづけした『中川郁子農水政務官』の不倫現場」(『週刊新潮』3/12号)
第2位 「長渕剛 激白60分 “弟子”富永愛と“妻”志穂美悦子」(『週刊文春』3/12号)
第3位 「ダルビッシュ有 再婚直前まで二股かけた美女とベッド写真」(『フライデー』3/20号)
第3位。スポーツ界で
ダルビッシュ有(28)ほどモテる男はいないだろう。昨年11月に4度の女子レスリング世界選手権制覇を成し遂げた山本聖子(34)が身ごもったことを自身のブログで公表したが、やはり「それはないんじゃない」という黄色い悲鳴が『フライデー』から上がってきた。
この女性、新垣結衣(あらがき・ゆい)似の都内で働く20代のOLユウカさん(仮名)。知り合ったのは6年前だそうだが、12年頃から男女の仲になり、ダルが帰国する度にホテルで密会していたという。
ダルは彼女に「テキサスまでおいでよ」と言っていたそうだ。ユウカさんの知人がこう明かす。
「ユウカが驚いたのは、ダルのちょっと変わった体調管理法です。『試合で力が出なくなるといけないから、今日はイカない!』と言って、ムリヤリ射精を抑えたままコトを終える日もあったとか」
袋とじを開けると、ダルの可愛い寝顔がドアップで載っている。彼女とコトを終え、安らかに眠っているのだという。
最後に彼女がダルと会ったのは昨年の11月上旬。その直後に山本との交際を発表したダルに「裏切られた」と思ったのだろう。
私が推測するに、知人の話とあるのは、彼女本人が喋っているのであろう。ダルのような男に惚れた彼女がバカなのか、騙したダルが悪いのか~。罪作りな男である。
女性関係で身体を使いすぎたからではないだろうが、ダルは
右ひじの内側側副靱帯(ないそくそくふくじんたい)を損傷したことが判明した。下手をすると今シーズンはまるまる登板できないかもしれないという。ダルよ、禍福はあざなえる縄のごとしだ。
第2位。失礼だが
「他人の不幸は蜜の味」。『新潮』と『文春』に2つの不幸が掲載されている。まずは『文春』の
歌手・長渕剛家の「不幸」から見てみることにしよう。
モノクログラビアに『文春』の取材に答えているのであろう、クルマの前に長渕(58)が立ち、運転席から心配そうな顔をしている
冨永愛(32)が写っている。
長渕はいまさら説明するまでもなくミリオンセラー「とんぼ」で頂点を極めた歌手だが、95年には大麻所持で逮捕されている。弟分に元プロ野球選手の清原和博がいるように、やや言動に粗暴なところがあるようだ。もちろん既婚者で妻は元女優の
志穂美悦子(59)である。
冨永のほうは17歳でアメリカに渡り「パリコレ」など世界を舞台にスーパーモデルとして活躍してきた長身の美女で、フランス在住の日本人パティシエと結婚して男の子をもうけるが離婚。その後は日本でタレント活動をしている。
冨永は長渕を“師匠”と仰いでいると公言しているようだが、親しい人物に言わせると「周囲で二人の関係を単なる師弟関係と見ている人はいませんよ」。すなわち男女の仲だと言われているそうである。
以前から二人はお台場のホテルのスイートを利用しているという情報があり、『文春』は断続的に取材を続けていたそうだが、この2月13日から取材を再開し、連日のように深夜、長渕邸へ現れる冨永の姿が目撃されたという。
だが、長渕の家には妻がいるはずなのに、なぜかその姿を見かけないと『文春』は訝っている。
2月24日深夜、冨永が運転するクルマで長渕が自宅近くのコインパーキングに来たところを『文春』が直撃する。
長渕は冨永の家で彼女の息子と話していたと答える。こんな深夜にですか?と聞く『文春』に「おかしくないよ」と語気を荒げる。
その後、『文春』の記者に「家で話そう」と豪邸に招じ入れ、途中からマネジャーとキョードー東京のスタッフが同席。
男女の仲だという噂について長渕は「完全否定」。冨永とは、彼女の母親を含めた家族ぐるみの付き合いで、子育てやら何やらの相談にのっていると話す。
「ただね、いろいろ言われるのはね、こちらも覚悟してますからね。何言われても、色目で見られてもいいんだけど、ないことはないんですよ」(長渕)
『文春』に言わせれば「額に汗を浮かべながら熱弁1時間」だったそうだ。もちろんそんな言い分をまるごと信じる『文春』ではない。
これまでも女優の清水美沙や国生さゆりとの不倫愛を報じられている。だがいずれのときも妻・志穂美は寛大な態度で受け流してきたという。
その志穂美は右脚の前十字靱帯断裂などで入院しており不在なのだ。妻の援護なしにこの苦境を乗り切れるのか?
すると長渕インタビューの三日後に、志穂美が長渕の所属事務所社長として、妻として話したいと、『文春』に電話をかけてきたそうである。
冨永さんは長渕さんの彼女ではないのかと問う『文春』に、フッフッフと笑って受け流す。この女房ただものではない。かくして
この三角関係はいまのところ“藪の中”ではあるが、妻の堪忍袋が切れたときは大噴火しそうな予感はある。
第1位。もう1本の「不幸」は『新潮』だ。
中川郁子(ゆうこ)代議士(56)といってもピンとくる人はほとんどいないだろう。だが、財務大臣時代、ローマで行なわれたG7後の記者会見でベロベロに酩酊した姿をさらし、その後の選挙で落選、
急死した中川昭一氏(享年56)の奥さんだといえば、思い出す人は多いはずだ。
夫の弔い合戦で選挙に出馬し当選。去年の総選挙で再選され、いまは
農水大臣政務官という要職にある。
その彼女が、よりによって西川公也(こうや)農水相の辞任が受理された日の夜、六本木ヒルズの近くの路上で、
中年の男とチューしていたところを『新潮』にバッチリ激写されてしまったのだ。正面から、男が彼女に何か言って微笑む顔もバッチリ。
まあ彼女も女盛りの未亡人なのだから男がいてもおかしくはないのだが、相手が訳ありなのだ。この男性は7歳年下で和歌山出身の自民党の同僚・門博文(かど・ひろふみ)衆院議員(49)、しかも妻子持ちだ。
二人の仲はだいぶ前から噂になっていたようだ。『新潮』は二人がバッチリ写っている写真を持って両人を直撃するのだが、ご当人たちの対応がこれまた酷い。
中川氏は「私じゃないと思いますよ」。門氏は「俺はこの写真の男じゃないよ。写真にあるようなキスだってしてないんだから」と往生際が悪いのである。
ならばと『新潮』は門議員の事務所を訪ねて秘書に写真を見せると「門先生にしか見えないですよね」とあっさり認めたのだ。
門氏の従業員教育は徹底していなかったということになる。さすがに今度は二人とも写真は自分だということを認めたが、門氏は中川氏との交際は認めない。
中川氏は「いろんな人の悪意と、体調と、宇宙の摂理が一緒になったときに不幸が起きる。その1回目が中川一郎が自殺したときで、その26年後にローマで事件が起き、夫がいなくなってしまった。それと同じようなことが起きたのが、この間のことでした」と、中川家の2代の死と、妻子ある同僚との路チューを一緒にしたため、『新潮』は「中川家、そして支持者に対するこれ以上の侮辱は、ないのではあるまいか」と一刀両断にバッサリ。いやはやである。
『新潮』発売後、中川郁子農林水産政務官が門博文衆院議員と「路チュー」していた問題で、中川氏は「酒席の後であったとはいえ、私の軽率な行動」だったと陳謝し、門氏も「お酒で気が緩み、軽率で誤解を招く行動だったと深く反省しております」とコメントした。
中川氏はよっぽど恥ずかしかったのだろう、その後、体調を崩したとして東京都内の病院に緊急入院したそうだ。
だが、『新潮』には失礼だが、なぜ中川と門というマイナーな代議士の不倫を追いかけたのだろう。確実な情報があって動いたとしか思えない。
2人の身内からのタレ込みだろう。そうでなくてはあのような「路チュー」写真が撮れるはずはない。
あの写真を撮ったカメラマンはどんな気持ちでシャッターを押したのだろう。それを思うとチョッピリ可哀想になる。ご苦労様でした。