引用の古川柳・雑俳について
- 『万句合勝句刷』と『柳多留』の双方に重出する句は、原則としてその原典である『万句合勝句刷』のほうを採った。
- 引用句には濁点・半濁点を付し、原句の明白な誤刻は正した。
- 引用句下部にかっこで記した出典記号は慣用に従った。
かっこ内が漢数字のみのものは『柳多留』(初編―一六七編、一七六五―一八四〇年(明和二―天保一一))の各編数、その下の算用数字はその丁数を示す(以下同じ)。(宝十梅2)などとあるものは、『川柳評万句合勝句刷』宝暦一〇年相印梅の2枚目であることを示し、宝暦(一七五一―六四)=宝、明和(一七六四―七二)=明、安永(一七七二―八一)=安、天明(一七八一―八九)=天、寛政(一七八九―一八〇一)=寛と略した。また(天二・三・二七)などとあるものは、天明二年三月二七日開きを表す。他評『万句合』の場合は(泰月)などと冒頭に記した。
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『泰月評万句合』(一七六二年(宝暦一二))は「泰月」、
『末摘花』(初編―四編、一七七六―一八〇一(安永五―享和一))は「末」、
『川傍柳』(初編―五編、一七八〇―八三年(安永九―天明三))は「傍」、
『やない筥』(初編―四編、一七八三―八六年))は「筥」、
『藐姑柳』(一七八五年(天明五))は「藐」、
『柳籠裏』(三編のみ、一七八六年(天明六))は「籠」、
『玉柳』(一七八七年(天明七))は『玉』、
『柳多留拾遺』(一〇冊、一七九六―九七年(寛政八―九))は「拾」、
『狂句むめ柳』(一八三一年(天保二)―)は「柳」、
『俳風柳のいとくち』(一八三九年(天保一〇))は「いと」、
『新編柳樽』(初編―四〇編、一八四一―五〇年(天保一二―嘉永三))は「新」、
『以呂波会狂句合』(一八四五年(弘化二))は「弘化二以呂波」、
『柳乃小樽』(一八四九年(嘉永二))は「嘉二小樽」、
『風嘯居士追福会』(一八五〇年(嘉永三))は「嘉三風」、
『差柳狂句合小集』(一八五〇年(嘉永三))は「嘉三差柳」、
『狂句新五百題』(一八五〇年(嘉永三))は「嘉三新五百」、
『陀留婆尼追善会』(一八五〇年(嘉永三))は「嘉三陀」、
『飛騨高山日吉山王宮奉額狂句合』(一八五〇年(嘉永三))は「嘉三日」、
『当世堂版新編柳多留』(一八五一年(嘉永四))は「当新」、
『飛騨高山桜山八幡宮奉額狂句合』(一八五一年(嘉永四))は「嘉四桜」、
『入船会狂句合』(一八五一年(嘉永四))は「嘉四入」、
『佃島住吉社奉額狂句会』(一八五三年(嘉永六))は「嘉六佃」、
『東宰府天満宮奉額狂句合』(一八五三年(嘉永六))は「嘉六太宰府」、
『里童居士追福会』(一八五四年(安政元))は「安政元里童」、
『海内柳の丈競』(一八五六年(安政三))は「安政三海」と略した。
- 引用句については、以下の書目を参考とした。
時代川柳大観 (春陽堂)森田鴎東著
初代川柳選句集 岩波文庫(岩波書店)千葉治校訂
川柳大辞典 (高橋書店)大曲駒村編著
川柳評万句合勝句刷 (川柳雑俳研究会)中西賢治編
定本誹風末摘花 (有光書房)岡田甫編
日本史伝川柳狂句 (古典文庫)岡田三面子編著・中 西賢治校訂
誹風柳多留拾遺 岩波文庫(岩波書店)山澤英雄校訂
誹風柳多留全集 (三省堂)岡田甫校訂