この事典は日本近代文学館の理事長が塩田良平のころの昭和46年、企画が始まり、9月、講談社との初会合があった。11月、塩田は急死し、小田切進が後をついだ。
編集委員もきまって、ただちに作業に這入った。基本的方針がきまって、収容項目の基礎資料蒐集がおこなわれ、約3万枚のカードがとられた。項目の選定、執筆者の決定のための委員会がくりかえされた。人物でいえば、埋没していた作家、詩人そのほかの文学者をひろく視野に入れ、また、演劇、映画、美術などの芸術界、および思想界などの隣接方面の人々にも注目したので、収録事項は、文学事典としては空前のボリュームとなった。内訳は、つぎのとおり。
人名 | 約5,170 |
事項 | 約 660 |
新聞雑誌 | 約1,600 |
叢書 | 約 430 |
従って、執筆者も900名近くにのぼった。
進行中、項目等の吟味を重ねて充実を期したが、執筆者の、物故その他の思いがけぬ事情のために変更のやむなきに至るなどの困難も少なくなかった。かくして、ようやく刊行にこぎつけた。この間、約6年の月日を閲みした。
執筆者各位に、まず感謝したい。編集の途上、専門関係について指導協力いただいた方々にも感謝する。さらに、煩雑な調査、貴重資料の提供、撮影などに特別の配慮をいただいた各方面にも謝意を表する。お世話になった各機関を、順不同に記させていただく。国立国会図書館、東京都立中央図書館、日比谷図書館、三康図書館、早稲田大学図書館、坪内博士記念演劇博物館、慶應義塾大学図書館、昭和女子大学近代文庫、東京大学図書館、同法学部明治新聞雑誌文庫、東京大学新聞資料センター、東京都近代文学博物館、俳句文学館、松竹大谷図書館、および新潮社、中央公論社、講談社、共同通信社各図書館・資料室。もちろん近代文学館は能うかぎり利用した。
なお、個人の尊名は挙げきれないが、浅井清、井口一男、石川悌二、岡保生、尾崎秀樹、川崎宏、近藤信行、財部建志、匠秀夫、中島河太郎、幡谷東吾、原崎孝、藤木宏幸、冨士田元彦、前田愛、松井利彦、松島栄一、武川忠一、村山古郷、柳生四郎の諸氏には特にお世話になった。
また、近代文学館嘱託として編集に従事されてきた伊藤明子、中川政子、勝又良、田中章子、秋山有美子、秋定啓子、それに新見正彰、田中夏美、その他の皆さんにもお礼申し上げる。
最後に、講談社の三木章、斎藤稔、編集実務に携われた中島和夫、井岡芳次、早川徳治、鈴木彬正の各氏に他方面にわたる長年の協力に深い感謝の意を表したい。
この『日本近代文学大事典』机上版の骨子は、編集代表の、日本近代文学館小田切進理事長が、巻頭で述べている通りである。
まず、6巻版大事典の中核ともいうべき、3巻にわたる人名項目を、そのまま吸収して土台とした。そのまま、とはいうが、刊行後執筆者によって修正等のあったものは、もとよりそれに従うと共に、その後の推移に応じた調査によって、生没年月日を追補あるいは訂正し、諸文献を確かめ、全集類のあるものはそれを示すなどのほか、できるだけ正確を期しつつ現時点に接近させた。
人名項目には、6巻版刊行時における、おのずからの条件があった。つまり、その後いちじるしく進展した幾人かもある他方で、ここでは未だ出現していず、新たに抬頭して来た人々も少なくない。
人物にかぎらず、この6年間に、文学状況にもさまざまの変転がみられた。
こうした進展、変転等の諸現象を、諸家新稿の詳細な総括によってあきらかにした。
人名項目を土台とした反面、たとえば、新聞、雑誌など、6巻版からは割愛しなければならなかった諸部分についても、新稿をもって概観した。
そのほか、すべて、各種新稿の叙述や表示などによって、現文学状況に対応し、見透しに便宜のあるよう配慮した。
この『日本近代文学大事典』机上版の編集は、多くの方々の協力なしには成立たなかった。
新たな吸収を諒解された人名項目執筆者、ならびにその著作権者の各位、さらに、書きおろしの新稿を寄せられた各位に、まず深謝したい。
諸般の調査途上、ここちよく照会に応じてくだすった諸家にお礼申し上げる。また、もっともしばしば利用させてもらった近代文学館のほか、いくつもの図書館のお世話になった。それぞれへ謝意を表する。
現段階での基礎的調査その他に力をかして頂いた井口一男、全集類について綿密な調査を煩わした田中夏美の両氏に感謝する。
今回の新編集・刊行について、強力な推進者だった講談社の大村彦次郎、橋中雄二、垣内智夫の各氏、さらに六巻版編集長中島和夫、それ以来引続いて編集実務に文字通り尽瘁された伊藤明子、勝又良の諸氏に感謝する。
なお、最後に言い添えたい。6巻版刊行の過程あるいは刊行後、執筆者および編集者のなかから、多くの物故者が出られたのは口惜しい。人名項目担当の方々も例外ではない。諸家の灵にあらためて御協力を謝すとともに、御冥福をお祈りする次第である。