日本大百科全書(ニッポニカ)

リーマン・ショック
りーまんしょっく

アメリカの大手証券会社・投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)(2008年9月15日)が引き金となった世界的な金融危機および世界同時不況。リーマン・ショックLehman shockは和製英語で、英語圏ではthe collapse of Lehman BrothersやBankruptcy of Lehman Brothersと表すことが多い。世界のほとんどの国の株式相場が暴落し、金融システム不安から国際的な金融収縮が起きた。株価暴落による逆資産効果は世界最大の消費国アメリカで深刻な消費減退を招き、対米輸出不振を通じて、アメリカばかりでなくヨーロッパ、日本が第二次世界大戦後初の同時マイナス成長に陥った。経済外交の舞台が主要8か国・地域(G8)会議から、中国、インドなど新興国を含む20か国・地域(G20)会議へ移行する契機となった。
 リーマン・ブラザーズが経営危機に直面したのは、低所得者層向け住宅ローン(サブプライムローン)の証券化商品を大量に抱えていたところに、住宅バブルが崩壊し、2008年6月に入ると株価が急落したためである。同2008年9月に連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)適用を申請し、事実上破綻した。負債総額は6130億ドルで史上最大であった。アメリカ政府は2008年春、証券大手ベアー・スターンズの経営危機に際し、公的資金を投入して救済したが、リーマン・ブラザーズには同様の救済策を講じず、世界の金融界に衝撃を与えた。2008年の1年間に主要国の株式相場は大幅に下落(アメリカ36%、イギリス33%、日本42%)し、さらにヘッジファンドが資金を一気に引き揚げたロシア(72%)、中国・上海(シャンハイ)(65%)、インド(52%)など新興国の株価暴落が目だった。
 リーマン・ショック後、世界各国は景気を刺激するため金融緩和と財政出動を両輪とする経済対策を実施。アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)の量的緩和(2008)を皮切りに、イングランド銀行(2009)、日本銀行(2013)、ヨーロッパ中央銀行(ECB、2015)などが次々に量的緩和に踏み切った。先進国の中央銀行から大量供給された資金が新興国や原油などの商品市場へ流入し、4兆元(当時の邦貨換算約60兆円)を投資した中国の財政出動などとともに、世界経済を下支えした。またサブプライムローン問題を起こした投機マネーの監視を強化する金融規制強化の動きが世界で広がり、2017年には主要国が国際業務を展開する金融機関に自己資本の質・量の充実を求めるバーゼル合意(バーゼルⅢ)を結んだ。
 一連の経済対策で世界経済はV字回復し、1929年から始まった大恐慌のような深刻で長期にわたる世界不況を回避した。景気回復が鮮明になったアメリカではFRBが2014年に量的緩和を終え、イングランド銀行、ECBなども平時の金融政策に戻した。これにより新興国へ流入した緩和マネーの逆流が始まり、新興国経済の不安定要因になっている。中国の巨額財政出動は過剰な生産設備や企業債務という後遺症を残し、アメリカではいったん強化した金融規制改革法(ドッド・フランク法)の規制を緩和する試みが始まり、主要国での低金利の長期化から「次なる危機」の再来を指摘する声も証券・金融界から出ている。リーマン・ショックを境に、極右政党や大衆迎合主義者などから、グローバル化が失業や格差の原因であるとの主張が目だつようになり、「分断」を主張して支持層を広げたトランプがアメリカ大統領につき、イギリスがヨーロッパ連合(EU)から離脱するなど、反グローバル化、反移民、保護主義などのうねりが世界経済に影を落としている。
[矢野 武]2019年3月20日