日本大百科全書(ニッポニカ)

水月湖
すいげつこ

福井県西部、若狭(わかさ)町にあり、若狭湾に面する三方五湖(みかたごこ)のうち最大の湖。面積約4.2平方キロメートル、周囲約11キロメートル、最大水深は34メートル。湖面下約5メートルから湖底までの水は硫化水素を含むため生物は生息していない。三方五湖の東には三方断層があり、新生代第三紀末に土地が隆起し他の四つの湖とともに水月湖も形成されたとされる。かつて湖水は接する菅(すが)湖と久々子(くぐし)湖をつなぐ気山(きやま)川を通じて日本海に流出していたが、1662年(寛文2年)の若狭地震で気山川が埋没、湖水は排路を絶たれ大規模洪水を起こし周囲11集落と水田が水没した。1664年、小浜(おばま)藩士、行方久兵衛(なめかたきゅうべい)(1616―1686)が最短距離で久々子湖とつなぐ運河、浦見(うらみ)川を開通させた。しかし排水能力が不十分であったため、1763年(宝暦13年)、北に隣接する日向(ひるが)湖と結ぶ嵯峨隧道(さがずいどう)が築造され、1934年(昭和9年)の大規模改修まで幾度かの改修工事が行われたものの、現在は閉じられている。水月湖にはこれらの水路から塩分濃度が高い海水が流入し汽水湖となり、浅いところでは汽水性の生物相がみられるようになった。水月湖はかつて中湖とよばれていたが、その名称は寛文若狭地震の湖岸隆起で生じた干潟の水面に反射する観音像が発見されたことに由来する。熊谷又兵衛家文書の「干潟観世音菩薩縁起」は、寛文若狭地震の3年後、若狭小浜藩第2代藩主、酒井忠直(ただなお)(1630―1682)が観音菩薩の霊験で地震復興を果たせたことを後世に伝えるため中湖を水月湖と改名、慧日山(えにちさん)宝泉院(若狭町気山)に観音像の護持を託したと記している。三方五湖を周回する三方五湖有料道路(レインボーライン)では駐車場からリフト、ケーブルカーが運行されており、約5分で着く梅丈(ばいじょう)岳(三方富士、標高400メートル)山頂公園からは眼下に水月湖が広がり、俯瞰(ふかん)できる三方五湖のパノラマは絶景として人気がある。水月湖周辺は日本海側で最大の作付面積の梅の栽培地でもある。三方五湖は若狭湾国定公園の一部で、2005年(平成17)11月にラムサール条約登録湿地となった。
 水月湖底には100メートルの泥の堆積(たいせき)物が形成されており、とりわけ湖底下45メートルまでは1年に1枚ずつ堆積する縞模様の地層、年縞(ねんこう)が1年の欠けもなく7万年分も残されていることが発見され、世界で他に例がないとして「奇跡の湖」とよばれるようになった。水月湖年縞は歴史学や考古学に欠かせない放射性炭素による年代決定の精度を向上させる年代較正の世界標準に採用され、古気候学研究資料としても価値が高い。2018年9月、福井県は水月湖年縞を広く知らせるため、三方湖畔に福井県年縞博物館を開館した。
[山根一眞]2019年9月17日

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