李(り)朝時代の朝鮮半島で焼造された、いわゆる高麗(こうらい)茶碗の一種。本来は同地で民衆の日用雑器としてつくられたが、「わび」の美意識にもっともかなう茶碗に見立てられて、日本の喫茶の道具に使用されてよみがえった。したがってその焼造窯も判然とはしていないが、おおよそ全羅南道から慶尚南道にかけての海岸沿いにある、青磁系の亜流の窯(かま)で焼かれたものであろう。日本の文献に高麗茶碗が登場する初見は1537年(天文6)であり、茶の湯が唐物(からもの)中心の時代からわび茶へと移っていくその初期にあたっており、この美意識にふさわしい茶碗の王座を井戸茶碗が占めている。桃山時代の『山上宗二記(やまのうえそうじき)』には「井戸茶碗、是(これ)天下一ノ高麗茶碗」と評されている。井戸茶碗の名称の由来については諸説あり、朝鮮半島地名説、井戸若狭守(わかさのかみ)が半島から持ち帰ったとする説、井戸三十郎持ち帰り説などあり、決定はみていない。
井戸茶碗はやや柔らかい陶胎であるが、元来は青磁系の焼物に属し、長石質の白色透明性の高火釉(ゆう)が施された椀(わん)形の茶碗で、素地(きじ)は黄褐色を呈している。その作風によって、大井戸、古(小)井戸、青井戸、井戸脇(わき)、小貫入(こがんにゅう)などに分類している。代表する大井戸をみると、竹の節状の大きめな高台(こうだい)、高台脇の力強い削りあと、ゆったりと曲線を描く椀形の姿、枇杷(びわ)色の釉色(ゆうしょく)に特色がある。その他は大井戸の作風が変化したものと思われるが、井戸脇は井戸の脇に位置するといった意味で、井戸ではない。これら一群の井戸茶碗のおおよその製造時期は16世紀前半ごろ、ある特定の窯で一時期つくられたものであろう。