神奈川県鎌倉市および三浦郡葉山町にある日本最初の公立の近代美術館。1951年(昭和26)鎌倉市の鶴岡八幡宮境内に開館した。1980年ごろまでは、「鎌倉近代美術館」の名称も公式に用いていた。初代の副館長、2代目館長に土方定一(ひじかたていいち)が就き、開館から約30年間にわたって美術館の土台を築いた。建物は、坂倉準三、前川国男、吉村順三、谷口吉郎、山下寿郎(としろう)(1888―1983)の5名による設計競技で坂倉が選ばれ、設計した。1999年(平成11)、近代建築の調査、評価、保存を目的とする国際組織DOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of the Modern Movement)によって日本の「近代建築20選」に選ばれるなど、建築としての評価も高い(2020年、国の重要文化財に指定)。1966年に坂倉の設計によるガラスばりの新館が増築されている。また、1984年大高正人(まさと)設計による鎌倉別館が、2003年(平成15)には葉山町に葉山館が開館した。2016年、老朽化に伴い、鎌倉館(本館・新館)は閉館した(本館は2019年、鶴岡八幡宮により「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として新たに開館)。以降、葉山館、鎌倉別館の2館で活動している。
1951年「セザンヌ、ルノワール」展で開館した後、年間約10本という企画展を中心とする運営を行った。土方が全国美術館会議の生みの親であったこともあり、この運営方式は「鎌近方式」とよばれ、全国の公立美術館に広がった。企画展は開館以来「近代日本洋画の150年」展(1966)など日本における近代美術の位置づけに重点が置かれていたが、1969年の「パウル・クレー」展以降、世界の近現代美術の紹介にも力が入れられるようになった。海外で企画された大型展を新聞社と共催し巡回させる独特の運営形式も、この「クレー」展、翌1970年の「エドワルド・ムンク」展などから全国に定着し始めた。
また、「クレー」展のカタログは、191点の全作品図版を掲載し、論考、年譜、文献などを備えた、日本で初めての本格的なカタログであり、その後の展覧会カタログの形式に影響を与えた。
当初はコレクションをもたない美術館としてスタートしたが、古賀春江、松本竣介(しゅんすけ)の作品など約1万5000点(2021年現在)の作品を収蔵する。そのなかには、魯迅(ろじん)とともに中国で木版画の普及に尽力した内山嘉吉(かきつ)(1900―1984)の寄贈による600点に及ぶ現代中国版画のコレクションも含まれる。