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江戸後期の画家。姓を岸、名を駒、字(あざな)を賁然(ひぜん)といい、同功館また可観堂と号する。加賀(石川県)の人。金沢の紺屋(こんや)に奉公しながら狩野(かのう)派の画を学び、1780年(安永9)京都に上って画家としてたつ。当時蘭斎(らんさい)と号して沈南蘋(しんなんぴん)風の花鳥画を描いていたが、その後、円山派などを折衷してあくの強い独自の写生的画風をつくりあげた。1784年(天明4)有栖川宮(ありすがわのみや)家の侍臣となり雅楽助(うたのすけ)と称し、1790年(寛政2)の禁裏造営に際し障壁画を描く。のち宮廷に仕えて1836年(天保7)には越前守(えちぜんのかみ)にまで上るほどに名利を得たが、その傲岸(ごうがん)な性格と画料に対する貪婪(どんらん)さは人々のひんしゅくを買ったといわれる。鳥獣を描くことを好み、わけても虎(とら)はその得意とするところで『虎に波図屏風(びょうぶ)』(東京国立博物館)などの作品を残している。岸(きし)派を継承した画家に岸岱(がんたい)、岸竹堂(ちくどう)がいる。