節足動物に属し、三葉虫綱を構成する海生の化石動物。体は扁平(へんぺい)で、1~10センチメートルのものが普通であるが、大きなものでは70センチメートルに達するもの(ヨーロッパのオルドビス紀層から出たウラリカス)もある。縦方向に、中央の隆起した軸部と左右の平たい肋(ろく)部の3部からなるようにみえるので三葉虫の名がある。
[藤山家徳]
体は頭、胸、尾の3部よりなり、死後離れるため、頭部、尾部だけの化石も多い。脱皮殻の化石もある。体はキチン質で覆われるが、背面は固く、背甲をなす。各部は多くの節よりなり、虫体の下面、各節の両側に1対の肢(あし)がある。各肢は二肢型で、後ろの肢が歩脚で、前につく付属肢にはえらがあった。頭部は一般に半月形で、中央部の隆起した頭鞍(とうあん)(グラベラ)と、両側の頬(きょう)(チーク)よりなる。頬は顔線(顔面縫合)により固定頬と自由頬に分かれているものが多く、この顔線の形状が分類の一つの特徴となる。頭部の側後方は突起(頬棘(きょうきょく))をなすものが多く、体長よりはるかに長いものもある。頭部には1対の複眼があるが、アグノスツス類Agnostinaやクリプトリツス類Cryptolithinaeなどこれを失ったものもあり、また、反対にファコプス類Phacopinaのように巨大な複眼をもつもの、シクロピゲ類Cyclopigidaeのように両眼が一つにつながって頭の前面を覆うものまであった。複眼を構成する個眼も大きなものでは肉眼でもよくみえるものがある。胸を構成する各節は可動で、ここを曲げて体を二つに折るものや、アルマジロのように丸くなるものも多かった。尾部の各節は癒合して尾板を形成するが、尾部にもさまざまな突起や棘(とげ)がある。
[藤山家徳]
古くから発生学的にみて、カブトガニ類と三葉虫との類縁がいわれているが、三葉虫の個体発生の研究から、原始的な甲殻類との類似が知られるようになった。三葉虫が古生代初期に出現したときにはすでにかなりの分化を遂げていたが、カンブリア紀に栄えたものは同紀末か次のオルドビス紀末までに滅亡し、オルドビス紀になって出現した別のグループがこれにかわる。これらはオルドビス紀、シルル紀に大繁栄したが、デボン紀には衰退に向かい、石炭、ペルム(二畳)両紀には一部の系統のものを残すにすぎず、ペルム紀中ごろに絶滅した。三葉虫の衰退と魚類の繁栄とが期を一にすることから、三葉虫が魚の餌(えさ)になったことが三葉虫衰亡の一因といわれている。三葉虫は古生代を通じ著しく分化して多くの種を残し、古生代の主要な標準化石となっている。現在までに記録された三葉虫は1500属、1万種に上るといわれる。三葉虫は大陸の縁辺の海域に生息していたが、多くのものは深くない海底をはっていたといわれ、そのはい跡や掘った穴の跡の化石もみつかる。なかにはやや深い所にすむもの、礁にいたものもあり、目の退化したものは泥中に潜っていたらしく、海中を遊泳したものもいた。
日本の三葉虫化石の産出は多くはないが、かなり発見されるようになり、その全貌(ぜんぼう)も明らかにされた。シルル紀(高知県横倉山、宮崎県祇園(ぎおん)山、岩手県大船渡(おおふなと)市など)、デボン紀(北上山地、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地(おくひだおんせんごうふくぢ)、福井県大野市伊勢(いせ)など)、石炭紀(北上山地、新潟県糸魚川(いといがわ)市、山口県秋吉台など)、ペルム紀(宮城県気仙沼(けせんぬま)市、福島県高倉山など)のものなどがよく知られている。
[藤山家徳]