人工授精や体外受精などの生殖技術を用いて子をもうけようとする不妊治療の総称。体外受精が実用化された1970年代末から1980年代には人工生殖と称していたが、1990年代後半以降、英語のassisted reproductive technologyの訳語として、日本で定着した。英語の略称で「ART」という言い方もされる。子の誕生に人為的な操作が加わるというイメージを避けるために、手助けをするだけだと強調する言葉遣いともいえる。
生殖補助医療は、当初は「神の領域に人の手が入る」生命操作への抵抗から倫理的な是非が議論された。だがそうした抵抗は不妊治療としての普及とともに薄れ、国際専門団体の集計によると、2017年には世界79か国の約3000のクリニックで33万人近くの子が生殖補助医療により生まれている。なかでも日本はもっとも多く生殖補助医療を行う国の一つで、2019年(令和1)には年間の出生数が6万人を超え、累計では70万人を超えた。こうした普及を受け、日本では2022年4月から、夫婦間での実施に限り健康保険が適用されることになった。
一方、生殖補助医療は、夫婦以外の第三者の精子、卵子、受精卵の提供を受けたり、さらには子宮を借りる代理出産などの形でも広がっていった。そこでは極端な場合、遺伝上の親(精子、卵子の提供者)と生物学的な親(懐胎し出産する人)と社会的な親(養育する人)がすべて異なる事態も生じうる。第三者の提供を介することにより、生殖年齢を超えた人や、単身者や同性カップル、トランスジェンダーの人などにも、生殖補助医療を利用して子をもつ道が開かれた。そのため、だれがどこまで生殖補助医療を用いてよいのか、従来の家族観を超えた複雑な倫理的・法的・社会的問題が生じることになる。
生殖補助医療の倫理的・法的・社会的問題をどう解決するかは、多様な価値観がかかわることなので、国によって対応の仕方が異なる。1990年代の初めに、生殖補助医療の実施が認められる条件を定め、生まれてくる子と親の法的関係を確定するための立法を世界に先駆けて行った西欧諸国でも、その内容には大きな差がある。イギリスでは有償の代理出産契約が禁じられただけなのに対し、ドイツでは、代理出産だけでなく、第三者からの卵子、受精卵の提供も禁止された。また、同じ国でも時代の流れで対応が変化することもある。フランスでは、生殖補助医療を利用できるのは男女のカップルに限ってきたが、2021年の法改正により、単身女性と女性同性カップルの利用も認められることになった。フランスでは代理出産以外の第三者提供による生殖補助医療は広く認められているが、提供者は生まれてくる子の親になる/されることはないと民法に規定し、親子関係が錯綜(さくそう)する事態を防ごうとしている。
日本では生殖補助医療に公的規制はなく、産科婦人科学会の自主指針があるだけだが、その内容は他国に比べ抑制的だった。カップル間の体外受精の利用は法律婚・事実婚の夫婦に、第三者の精子の提供を受ける人工授精は法律婚夫婦に限られ、第三者からの卵子や受精卵の提供は認められておらず、代理出産も禁じられている。これに対し1990年代末以降、学会のルールに背いて卵子提供による非配偶者間体外受精や代理出産を行う医師が出るに及び、厚生労働省と法務省が第三者提供の実施条件や親子関係に関する法規定案を策定した審議会答申を重ねたが、立法は実現しなかった。この間、第三者提供を伴う生殖補助医療を介して生まれた子との親子関係を争う訴訟が複数提起され、日本でも実際に問題が起こっていることが明らかになった。国内ではできない生殖補助医療を海外に行って受け、生まれた子との親子関係が認められないケースも出てきた。2007年(平成19)には最高裁判所が、日本人夫婦がアメリカで行った代理出産について、依頼者女性と生まれた子の母子関係を認めない決定を下した(その後、特別養子縁組が申請され、認められた)。さらに、トランスジェンダーの人が生殖補助医療を利用してもうけた子について、親子関係が認められるかどうか、訴訟で争われる例も出ている。2013年には女性から男性に性別変更した人が、女性と婚姻して、第三者の精子の提供を受けてもうけた子について、最高裁判所が父子関係を認める決定を下した。一方2022年には、男性から女性に性別変更した人が、自身の凍結精子で事実婚の女性パートナーともうけた子について、親子関係(認知)を認めない判決が東京家庭裁判所で下された。
こうしたなか、2020年12月にようやく、「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律」(令和2年法律第76号)が成立、公布され、翌2021年から施行された。この法律により、第三者の卵子提供を受けた場合でも懐胎し出産した女性を母とすること、第三者の精子提供を受けた場合でも、それに同意した夫は生まれた子に対し嫡出否認はできないことが、民法の特例として定められた。この規定により、精子や卵子の提供者は親にはならないことが明確にされ、生まれる子の親子関係上の法的地位が守られることとなった。
ただこの法律では、第三者からの精子や卵子の提供の実施条件(売買の禁止なども含む)や斡旋(あっせん)などに対する規制のあり方、提供者の個人情報開示のあり方(いわゆる「出自を知る権利」)は定められず、附則で、2年をめどに検討を加え必要な措置を講じるとするにとどまった。この附則を受け、2022年3月に超党派の議員連盟が立法すべき事項のたたき台を策定したが、だれがどのように生殖補助医療を利用してよいかについて、立法に至るための社会的合意の形成は依然困難だと予想されている。