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袴田事件

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袴田事件
はかまたじけん

1966年(昭和41)に起きた静岡県清水市(現、静岡市清水区)の一家4人殺害放火事件で死刑判決が確定した袴田巌(はかまたいわお)(1936― )が、その後の再審で無罪となった事件。死刑囚が再審無罪となるのは、第二次世界大戦後、本件で5件目となる。

[江川紹子]2025年9月17日

事件発生~捜査

1966年6月30日午前2時ころ、「こがね味噌」製造会社の専務宅から、出火。ほぼ全焼した木造家屋から、専務(当時41歳)、妻(同39歳)、次女(同17歳)、長男(同14歳)の焼死体がみつかった。遺体には多数の刺し傷があり、集金袋がなくなっていたことから、静岡県警は強盗殺人、放火事件として清水署に捜査本部を設置した。

 同年8月18日早朝、捜査本部は従業員で元プロボクサーの袴田を任意同行。袴田のパジャマから被害者の血液型と一致する血液や放火に使われた混合油と同種の油分が検出されたとして、同夜、強盗殺人、放火などの容疑で逮捕した。

 袴田は容疑を否認したが、自白を迫る過酷な取調べが連日続いた。袴田が尿意を訴えてもトイレに行かせず、取調室に持ち込んだ便器で用を足させるなど、警察の対応は後の再審判決で「屈辱的かつ非人道的」と厳しく批判されている。逮捕日から9月6日に自白調書が作成されるまで、1日平均12時間の取調べが行われた。一方、この間の弁護人との接見は3回のみで、合計32分だった。

[江川紹子]2025年9月17日

裁判

袴田は、1966年11月15日に静岡地方裁判所(地裁)で行われた初公判で、起訴事実を全面的に否認した。裁判が始まって9か月半経った1967年8月31日、「こがね味噌」の従業員が1号タンクの赤みその中から麻袋を発見。中には鉄紺色のズボン、ステテコ、緑色ブリーフ、灰色スポーツシャツ、白色半袖シャツの「5点の衣類」が入っており、いずれにも血痕がついていた。血痕の色調は鮮やかで、発見者は裁判で「素人(しろうと)が見ても血だということがわかりました」と証言している。

 さらに、静岡県警は袴田の実家を捜索し、たんすの引出しから鉄紺色のズボンを裾(すそ)上げした時の端裂(はぎれ)とみられる共布(ともぎれ)を発見したとして押収。検察側は「5点の衣類」や共布を裁判所に証拠申請し、冒頭陳述も一部書き換えた。当初の主張では、犯行時の着衣はパジャマだったが、それを論告では、「5点の衣類」で強盗殺人を実行し、その後パジャマに着替えて放火を行った、と変更した。

 1968年9月11日、静岡地裁(裁判長:石見勝四、裁判官:井吉夫(1926― )、熊本典道(くまもとのりみち)(1937―2020))は、袴田を死刑とする判決を言い渡した。ただし判決は、袴田の警察での自白調書を「強制的・威圧的な影響を与える性質」の取調べによるものだとして、証拠から排除。さらに、「(警察が)自白の獲得に汲々(きゅうきゅう)として、物的証拠に関する捜査を怠った」ために、事件後1年以上経ってから「5点の衣類」が発見されるような事態を招いた、などと警察の捜査を厳しく批判する「付言」を加えるなど、死刑判決としては異例のものだった。

 判決書を起案した熊本は、判決言渡しから39年経った2007年(平成19)に、死刑判決に至る経緯を明らかにした。熊本によれば、自身は無罪の心証を抱き、無罪判決を書いて合議に臨んだが、有罪を主張する裁判長ら二人を説得できず、2対1で有罪の結論が決まり、判決書を書き直した。

 1969年5月29日からの東京高等裁判所(高裁)の控訴審では、犯行時の着衣とされた「5点の衣類」を実際に袴田が着られるかどうかの着装実験が行われた。ズボンに関する実験は三度にわたって行われたが、いずれも尻がズボンのウエスト部分につかえてはけなかった。

 弁護側は、ズボンは袴田のものではないとして、無罪判決を求めた。これに対し検察側は、タグに「B」と書かれていることなどから、ズボンは肥満体用であり事件当時ははけたが、1年以上もみそに漬かるなどしたため生地が縮んではけなくなった、と主張した。

 実際には、「B」はサイズではなく色を表す記号だった。捜査段階でズボン製造会社の社員がそれを警察に説明し、調書も作成されていたが、検察はその調書を証拠として提出せず、事実は第二次再審請求審まで明らかにされなかった。

 1976年5月18日、同高裁(裁判長:横川敏雄(よこがわとしお)(1913―1994)、裁判官:柏井康夫(1917― )、中西武夫(1944― ))の判決は、ズボンは袴田のものであると断定し、控訴を棄却した。

 1980年11月19日、最高裁判所(最高裁。裁判長:宮崎梧一(みやざきごいち)(1914―2003)、裁判官:栗本一夫(1912―1992)、木下忠良(1916―1991)、塚本重頼(1913―1992)、塩野宜慶(しおのやすよし)(1915―2011))が袴田の上告を棄却し、12月12日に死刑判決が確定した。

[江川紹子]2025年9月17日

再審請求

袴田は1981年4月20日、静岡地裁に再審請求を行った。弁護側は、確定判決が犯行後の逃走経路とした被害者宅の裏木戸は上部の留め金がかかっていて通れなかったことや、被害者の傷の一部は凶器とされた刳(くり)小刀ではできないことなどを主張した。しかし、裁判所が弁護人、検察官を交えて最初の打合せを行うまでに請求から約3年7か月を要するなど、審理はなかなか進まなかった。請求から13年以上が経過した1994年(平成6)8月8日、静岡地裁(裁判長:鈴木勝利(1939― )、裁判官:伊東一広(1950― )、内山梨枝子(1960― )は、再審請求を棄却した。

 東京高裁の即時抗告審では、弁護側の求めに応じ、「5点の衣類」の血痕についてのDNA型鑑定を行ったが、弁護側推薦、検察側推薦のいずれの法医学者も、試料が古く判定は不能との回答だった。同高裁(裁判長:安広文夫(1944― )、裁判官:小西秀宣(こにしひでのぶ)(1949― )、竹花俊徳(1947― ))は2004年8月26日、袴田の即時抗告を棄却した。

 袴田は特別抗告したが、最高裁(裁判長:今井功(いまいいさお)(1939― )、裁判官:津野修(1938― )、中川了滋(1939― )、古田佑紀(ふるたゆうき)(1942― ))は2008年3月24日、棄却した。

 第一次再審請求は終結までに約27年を要した。この間に、袴田の精神は拘禁反応が進み、姉のひで子(1933― )の面会も拒むようになった。2002年11月27日の衆議院法務委員会で、野党議員からの質問に法務大臣(当時)の森山真弓(1927―2021)は「断片的に聞くところによりますと、少し常軌を逸し始めた精神状態なのかもしれない」と答弁している。

 弁護団は2008年4月25日、静岡地裁に第二次再審請求を行った。袴田本人は「心神喪失の状態にある」として、ひで子が請求人となった。弁護側は支援団体の協力で、血痕がついた布を「5点の衣類」と同じ期間みそに漬ける実験を行った。血痕は「5点の衣類」発見時のような赤みはなくなり、黒褐色に変化したため、この結果を新証拠として提出。「5点の衣類」は捜査機関の捏造(ねつぞう)であり、発見直前にみそタンクに入れられた可能性があると指摘した。

 2010年になると、検察は徐々に証拠開示に応じ始めた。同年9月には捜査報告書など書証46点を開示。同年12月には発見直後の「5点の衣類」のカラー写真などが開示された。さらに翌2011年12月、裁判所の勧告を受けて、起訴後の取調べ状況を録音したテープや供述調書など176点の証拠が開示された。

 「5点の衣類」についた血痕のDNA型再鑑定も行われた。被害者の血液との同一性について、弁護側鑑定人は「被害者のDNA型とは不一致」としたが、検察側鑑定人は「同一の可能性を排除できない」として、鑑定結果が分かれた。一方、半袖シャツの右肩部分に付着した血痕について、確定判決は袴田のものと判断していたが、検察、弁護側双方推薦の鑑定人とも、袴田のDNA型とは一致しない、との結論だった。

 静岡地裁(裁判長:村山浩昭(むらやまひろあき)(1956― )、裁判官:大村陽一(1971― )、満田智彦(1982― ))は2014年3月27日、DNA型鑑定を根拠に「5点の衣類は、袴田の着衣でない蓋然(がいぜん)性が高く、犯行着衣でもない可能性が十分ある」として再審開始を決定。「ねつ造されたものであるとの疑いが生じ」ていると、捜査機関による証拠捏造の可能性にも言及した。さらに、死刑の執行停止に加え、「拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する」として、身柄拘束を解く決定もした。検察は、拘置の執行停止について即座に異議を申し立てたが、同地裁はこれを退けた。

 袴田は、その日のうちに東京拘置所から釈放された。検察は拘置の執行停止について抗告したが、東京高裁は翌28日、これを退けて釈放を追認した。死刑囚が地裁の再審開始決定段階で身柄拘束を解かれるのは初めてのことである。

 検察は再審開始決定を不服として即時抗告。その後も、数度にわたり、「警察で(新たに)発見された」として「5点の衣類」を撮影したネガフィルムや起訴前の取調べ状況の録音などを開示した。

 東京高裁(裁判長:大島隆明(1954― )、裁判官:菊池則明(1959― )、林欣寛(はやしよしひろ)(1978― ))は2018年6月11日、原決定が依拠したDNA型鑑定の手法は「科学的原理や有用性に深刻な疑問」が存在するとして、再審開始決定を取り消した。ただし、死刑と拘置の執行停止は取り消さなかった。

 弁護側は特別抗告。最高裁(裁判長:林道晴(1957― )、裁判官:都倉三郎(1954― )、林景一(1951― )、宮崎裕子(ゆうこ)(1951― )、宇賀克也(1955― ))は2020年(令和2)12月22日、DNA型鑑定については高裁決定を支持する一方で、血痕の色の変化に関しては「審理が不十分である」として、審理を高裁に差し戻した。最高裁では裁判官の間で意見が割れ、林景一と宇賀克也は「検察官の即時抗告を棄却して(すぐに)再審を開始すべき」とする反対意見を書いた。

 差戻し抗告審では、検察が独自のみそ漬け実験を行う一方、弁護側はみそ漬けされた血液の色調変化について法医学者など複数の専門家に鑑定を依頼し、その機序などを立証した。

 東京高裁(裁判長:大善文男(だいぜんふみお)(1959― )、裁判官:青沼潔(1962― )、仁藤佳海(にとうよしみ)(1966― ))は2023年3月13日、静岡地裁決定を支持し、再審開始を認める決定を行った。差戻し高裁決定は、検察官の実験においても1年2か月みそ漬けにした衣類の血痕は赤みが残っていないと指摘し、血痕の赤みは1年以上みそ漬けにすると消失することは専門的知見によって裏づけられた、と認定。「5点の衣類については、事件から相当期間経過した後に、袴田以外の第三者が1号タンク内に隠匿してみそ漬けにした可能性が否定できず」と述べ、「この第三者には捜査機関も含まれ、事実上捜査機関の者による可能性が極めて高いと思われる」とも指摘し、捜査機関が証拠を捏造した疑いがあるとの認識を示した。

 東京高検は期限内に最高裁への特別抗告を行わず、再審開始が決定した。

[江川紹子]2025年9月17日

再審

2023年(令和5)10月27日、再審の初公判が静岡地裁で行われた。袴田は心神喪失状態と認定され、出廷を免除された。かわって姉のひで子が補佐人として出廷。弟は無実だと主張し、「巌に真の自由をお与えください」と訴えた。検察側は有罪を主張した。

 再審請求審と同様、「5点の衣類」の血痕問題がおもな争点となり、検察・弁護側双方で合計5人の専門家証人の尋問を行った。法廷では、取調べの録音も再生された。2024年5月22日の第15回公判で検察は、捜査機関による「5点の衣類」の証拠捏造は「どう考えても実行不可能」と述べ、改めて死刑を求刑した。

 同地裁(裁判長:国井恒志(くにいこうし)(1966― )、裁判官:谷田辺峻(1987― )、益子元暢(ましこもとのぶ)(1987― ))は同年9月26日、袴田を無罪とする判決を言い渡した。判決では、①5点の衣類、②袴田の実家から押収されたズボンの共布、③確定判決が証拠採用した検察官作成の自白調書を、いずれも捜査機関による「捏造」と認定した。

 最高検察庁(最高検)は10月8日、検事総長の畝本直美(うねもとなおみ)(1962― )名の「談話」を公表し、控訴断念を明らかにした。「談話」では、判決は「到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容」と、裁判所の判断に「強い不満」を述べた。このため、弁護団は「(袴田を)犯人視している」として抗議し、「談話」を撤回するよう求めた。

 無罪確定後の10月21日、静岡県警本部長の津田隆好(たかよし)(1967― )が袴田の自宅を訪れて謝罪。検察も11月27日に静岡地検検事正の山田英夫(ひでお)(1966― )が袴田宅で謝罪した。

 静岡県警は捜査に関する検証を行い、事件当時に捜査にかかわった元警察官6人やみそ製造会社の元社員6人への聞き取りも実施した。同年12月26日に公表した報告書で、当時の取調べは不適切だったと認め、事件直後にみそ工場のタンク内を十分に調べなかった「捜査の不徹底」が裁判での捏造認定を招いたと「真摯(しんし)に受け止め」、今後の教訓とする、とした。ただし、捏造の事実については、「捏造を行ったことをうかがわせる具体的な事実や証言は得られなかった」とする一方、「捏造が行われなかったことを示す事実や証言も得られなかった」とし、未解明だった。その理由を報告書は、今回の聞き取りに応じた元警察官はいずれも事件当時は巡査で、捜査の中心的な立場にいたわけではないため、としている。

 最高検も同日、検証結果報告書を発表。これまでの検察の活動の多くについて「問題は認められない」とし、証拠の捏造は「あり得ない」と述べるなど、再審無罪判決に反論した。一方で、検察官の取調べにおいても袴田を犯人と決めつけ、ズボンのサイズに関する証拠提出が遅れたことなどは認めた。

[江川紹子]2025年9月17日

支援活動

1981年11月、日本弁護士連合会は会内に袴田事件委員会を設置して、支援を開始した。

 市民による支援組織も相次いでつくられた。1982年2月、市民団体「清水市こがねみそ事件袴田巌救援会」が結成されたが、代表者の死去などで解散。その直後の2003年12月には、「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」にメンバーが再結集した。2007年10月には、袴田の出身地、浜松市に「浜松・袴田巌さんを救う会」ができた。袴田の釈放後は、地元支援者が「袴田さん支援クラブ」をつくり、日課の散歩に同行するなどして、生活を支えた。

 袴田が逮捕当時に捜査員やメディアから「ボクサーくずれ」とよばれ、元ボクサーに対する偏見とも戦っていたことを知り、全日本ボクシング協会は1992年10月、袴田巌再審支援委員会を立ち上げた。その後、日本プロボクシング協会が2007年6月に袴田巌支援委員会(委員長:大橋秀行(おおはしひでゆき)(1965― )、実行委員長:新田渉世(にったしょうせい)(1967― ))を設置。世界チャンピオンらが再審開始の呼びかけをするほか、新田が拘置所の袴田と面会を続けるなど、支援を続けた。

 2010年4月22日には、超党派の国会議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」が設立された。

[江川紹子]2025年9月17日

©SHOGAKUKAN Inc.

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