ジャパンナレッジ


  • このコンテンツについて

コンテンツ一覧

  • 総合
  • ジャパンナレッジLib
  • ジャパンナレッジPersonal

日本大百科全書(ニッポニカ)

地下鉄サリン事件

  • Jpn
  • Eng

ニッポニカ > 更新情報 > サンプルページ

地下鉄サリン事件
ちかてつさりんじけん

1995年(平成7)3月20日午前8時ごろ、東京の営団地下鉄(現、東京地下鉄〈東京メトロ〉)霞ケ関(かすみがせき)駅を通る3路線5方面の車両内で、オウム真理教の信者が猛毒の化学物質サリンを散布し、乗客ら13人をサリン中毒で殺害、約6000人に重軽傷を負わせた同時多発テロ事件。2020年(令和2)3月、重症のサリン中毒後遺症で闘病していた1人が死亡し、死者は14人となった。首謀者とされた教祖をはじめ、本件で主要な役割を果たした教団幹部10人に死刑の判決が確定し、2018年7月に執行された。

[江川紹子]2025年9月17日

事件当日の状況と被害

事件が起きた時間帯は通勤ラッシュのピークだったが、1995年3月20日は日曜日と祝日(春分の日)に挟まれた月曜日で、車内の混雑は通常の平日ほどではなかった。

 実行役5人はそれぞれ、霞ケ関駅に向かう電車内で、サリンを約30%含有する液体を500~600ミリリットル入れたナイロン・ポリエチレン袋(以下、ビニール袋という)二つないし三つを、先端を尖(とが)らせた傘で突き刺し、液体を流出させてサリンを気化・発散させた。犯行現場となったのは、次の3路線5方面の車両内。

 日比谷(ひびや)線:北千住発中目黒行き
  同  :中目黒発東武動物公園行き
 丸ノ内線:池袋発荻窪行き
  同  :荻窪発池袋行き
 千代田線:我孫子(あびこ)発代々木上原(よよぎうえはら)行き
 乗客や駅員は、口々に目の痛みや呼吸困難を訴え、車内や駅構内から避難。逃げ切れず、駅構内で息絶えた乗客もいた。日比谷線中目黒行きでは、3袋のサリンが使われたうえ、小伝馬町(こでんまちょう)駅で乗客がサリンの袋をホームに蹴り出し、狭い駅構内にひしめいていた乗客がサリンを吸引したことなどもあって、日比谷線がもっとも多くの被害者を出し、乗客8人が死亡している。千代田線霞ケ関駅では、助役の高橋一正(かずまさ)(当時50歳)と菱沼恒夫(ひしぬまつねお)(当時51歳)が、サリンの袋をかたづけるなどしたため重症のサリン中毒に陥り、病院に運ばれたが死亡した。

 地上の駅出口周辺には被害者が倒れ込み、東京消防庁の救急隊131隊が出動して688人を医療機関に搬送した。ほかに警察や自衛隊の車両で運ばれた被害者や、職場に到着した後に異変を感じ、タクシーなどを利用して自力で病院に向かった者も多かった。事件に対応していた救急隊員や警察官からも、サリン中毒となった者が相次いだ。

 当日、約640人の患者を受け入れた聖路加(せいろか)国際病院では、廊下にも患者があふれ、院長(当時)の日野原重明(しげあき)(1911―2017)の指示で、予定していた手術はとりやめ、外来をすべて断って被害者に対応した。

 東京消防庁の当初の集計で、事件の被害者数は5510人と発表された。その後、2010年に警察が再調査をした結果、被害者は約6300人に上ることがわかった。2008年に公布されたオウム被害者救済法(正式名称「オウム真理教犯罪被害者等を救済するための給付金の支給に関する法律」平成20年法律第80号)に基づき、給付金を受け取った被害者は5819人だった。

 被害者のなかには、長く後遺症に苦しむ者もいた。事件当日、勤務先の研修に行くために地下鉄丸ノ内線に乗り、意識不明の重態となった浅川幸子(あさかわさちこ)(当時31歳)は、サリン中毒による低酸素脳症の症状が続き、25年間闘病を続けた末、2020年(令和2)3月に死亡した。

 毒物の特定は、警視庁科学捜査研究所が行った。日比谷線築地(つきじ)駅に停車中の車両床面から採取した液体の鑑定で、毒物はサリンと判明し、事件当日の午前11時ころ、警視庁が発表した。サリンに汚染された駅構内や車両などは、東京消防庁化学機動中隊や陸上自衛隊化学防護部隊が除染した。

[江川紹子]2025年9月17日

捜査

警視庁と山梨県警の合同捜査本部は1995年(平成7)3月22日、オウム真理教信者が都内の路上で目黒公証役場事務長の仮谷清志(かりやきよし)(当時68歳)を拉致(らち)・監禁した容疑で、山梨県上九一色(かみくいしき)村(現、富士河口湖町)の教団施設に対する強制捜査を開始した。教団がサリンを所持し使用する可能性も否定できないとみて、先陣を切って教団施設に入る捜査員や機動隊員らはガスマスクや防護服を着用し、有害物質に敏感に反応するといわれるカナリアを入れた鳥籠(とりかご)を持った。

 オウム真理教がサリンの原材料となる薬品類を大量に購入していたことは、松本サリン事件に関する長野県警などによる捜査で判明していたが、地下鉄サリン事件に教団内のだれがどのように関与しているのかといった情報は、強制捜査に着手した当時、警察はまったくもっていなかった。

 解明の転機となったのは、実行役の一人である林郁夫(はやしいくお)(1947― )の自白だった。林は1995年4月8日、潜伏先の石川県内で警察官による職務質問を受け、放置自転車を盗んだ占有離脱物横領罪で逮捕されて、東京に移送された。教団からは弁護士を通じて頻繁に黙秘の指示がなされた。林は、教団や信者の立場、信条などを説明することもできないのが辛くなり、家族に手紙で心境を書き残して自殺したいと考えたが、そのときに自分がまいたサリンの犠牲者は、家族へのことばも残せずに亡くなったことに思いが至り、動揺した。取調べを担当した警部補は、林に「先生」と呼びかけ、丁寧なことばで取調べを続けた。以前は心臓外科医だった林に、当時を思い出してもらい、心を開かせようという試みだった。それを心苦しく感じていた林は、まず拉致された目黒公証役場事務長が教団施設内ですでに死亡していることを告白した。

 そして5月6日夜、その日の取調べ終了を告げられた林は、姿勢を正し、「サリンをまきました」と述べた。取調べ官らが半信半疑でいると、再度「私がサリンをまきました」と述べ、その後は問われるままに、事件に関係した者や事件に至る経緯など、知りうる限りの事実を語った。取調べを担当した警部補は、林の刑事裁判に弁護側証人として出廷し、「彼の供述によって、攻守所を変えた」と述べ、地下鉄サリン事件の捜査が急展開したと証言した。

 警視庁は本事件に関与した疑いのある教団関係者を相次いで逮捕。5月16日には、教祖の麻原彰晃(あさはらしょうこう)(本名・松本智津夫(まつもとちづお)(1955―2018)を本事件の首謀者として殺人・同未遂容疑で逮捕した。最終的に松本を含む16人の教団関係者が本事件で起訴された。

 なお、側近で本事件の総指揮者だった村井秀夫(1958―1995)は、1995年4月23日、東京都港区の教団東京総本部前に集まっていたメディア関係者の前で、暴漢に刺され、死亡した。教祖の最側近である村井の殺害は真相解明にも影響を及ぼしたが、事件にかかわった教団関係者の多くが捜査や裁判で供述したことで、事件の経緯はおおむね明らかになった。

[江川紹子]2025年9月17日

オウム真理教によるサリン製造とその使用

教祖の松本は、政治力をつけ、教団の勢力を拡大しようと、1990年2月に実施された衆議院選挙に政治団体「真理党」党首として、教団幹部ら24人とともに立候補した。結果は、いずれもわずかな票しか得られず惨敗。松本は「票が操作された」と弁解する一方で、幹部らに対し、次のように宣言した。「いまの世の中はマハーヤーナ(大乗)では救済できないことがわかったので、これからはヴァジラヤーナ(金剛乗)でいく。現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」。

 オウムにおけるヴァジラヤーナは、目的のためには手段を選ぶ必要はないとし、教祖の指示であれば殺人をも肯定する教義である。「ポア」は、通常は魂を高い世界に引き上げる意味で用いられていたが、殺害の隠語としても使われた。

 以後、教団はボツリヌス菌や炭疽(たんそ)菌などの生物兵器の開発や散布に取り組み、化学兵器ホスゲンなどの製造プラントの建設も試みるが、いずれも成功しなかった。その後、筑波(つくば)大学大学院化学研究科の博士課程を中退した土谷正実(つちやまさみ)(1965―2018)が教団に出家した。松本は1993年6月ころ、村井秀夫を通して土谷にサリンの生成方法を研究するように指示。土谷は同年8月下旬ころ、少量のサリン生成に成功し、11月には約600グラムのサリンをつくった。1994年2月中旬には中川智正(なかがわともまさ)(1962―2018)とともに、約30キログラムのサリンを生成した。また、松本は教団幹部らにサリン70トンを生成できるプラントの建設を命じた。

 教団は、同年11月ころから、他の宗教団体のトップをねらってサリン噴霧を繰り返したが、いずれも失敗した。その後、教団はサリンなど自作の化学兵器を使って、以下のような事件を起こしている。

・1994年5月9日、信者の脱会支援活動をしていた弁護士の乗用車フロントガラス下の外気取入口付近にサリンを滴下して殺害を図った。

・同年6月27日、長野県松本市北深志(きたふかし)の住宅街でサリンを噴霧し、付近住民7人を殺害。ほかに約270人が被害を訴えて医療機関を受診した。重傷者の1人が、その後死亡し、死者は8人となった(松本サリン事件)。

・同年9月20日、教団信者による拉致・監禁事件を報じた横浜市在住のジャーナリスト宅にホスゲンを噴霧したが、殺害には至らなかった。

・同年12月2日、東京都中野区の路上で、教団施設から逃げ出した信者をかくまっていた高齢男性に対し、猛毒の神経剤VXをかけ、重傷を負わせた。

・同月12日、大阪市淀川区の路上で、公安のスパイだと思い込んだ会社員男性にVXをかけて殺害した。

・1995年1月4日、東京都港区の路上で、オウム真理教被害者の会会長の首の後ろにVXをかけて重傷を負わせた。

[江川紹子]2025年9月17日

オウム国家建設計画と省庁制

松本は、かねてから自身の前世は中国を統一した明(みん)の朱元璋(しゅげんしょう)(洪武帝(こうぶてい))であるなどと公言していたが、1994年2月、約80人の幹部・信者を引き連れて中国を旅行し、前世を探る旅として朱元璋ゆかりの地を訪ねた。その旅の途中で行った説法の中で、松本は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇(あだ)なす者はできるだけ早く殺さなければならない」と述べ、武力によって国家権力を打倒してオウム国家を建設し、自らが王となって、世界の大部分を支配する意図を明らかにした。

 その後、松本はサリンなどの化学兵器製造のほか、旧ソ連製AK-74をモデルにした自動小銃の密造を急ぐよう指示するなど、教団の武装化を促進した。

 さらに、教団組織を改編し、国家に模して省庁制を導入。幹部を各省庁の「大臣」「次官」に据えた。松本サリン事件直前の1994年6月26日深夜から27日未明にかけ、省庁制発足式を行い、「大臣」「次官」が決意を述べた。

 省庁制の導入によって、武装化に向けて兵器開発を行っていた部署は「科学技術省」となり、村井秀夫が「大臣」となった。教団の警備や信者への懲罰、スパイ活動の摘発を担当する「自治省」は新実智光(にいみともみつ)(1964―2018)が、非合法活動に関わる情報収集や非合法活動の実行などを担う「諜報(ちょうほう)省(通称CHS)は井上嘉浩(よしひろ)(1969―2018)が率いた。食品開発や生化学関係の研究・開発を担当する部署は当初「厚生省」とよばれ、遠藤誠一(1961―2018)が「大臣」となったが、遠藤と不仲だった「次官」土谷正実の要望をくみ、その後「第一厚生省」と「第二厚生省」に分けて、「第一」は遠藤、「第二」は土谷を「大臣」とした。

[江川紹子]2025年9月17日

事件の準備と実行

1995年1月1日、読売新聞が「サリン残留物を検出 山梨の山ろく『松本事件』直後 関連解明急ぐ」と題する記事を1面トップで報じた。オウム真理教の名称は伏せられていたが、警察が教団施設周辺でサリン関連物質を検出したことを伝える記事だった。

 警察がすぐに教団施設の捜索を開始すると警戒した松本は、サリン製造プラントを神殿に偽装し、保管中のサリンやその中間生成物を処分・隠匿するよう指示した。土谷正実は分解処分中にサリン中毒となり、中川智正が作業を引き継いだ。このときに、処分漏れとなったサリンの前駆体、メチルホスホン酸ジフロライド(ジフロ)が地下鉄サリン事件に使われる。当初、このジフロは中川が保管していたとされ、中川もそれを認めていたが、後になって、実際は井上嘉浩が都内のアジトで保管していた、と明かした。ただし、井上はこれを否定している。

 松本は、読売新聞の元日のスクープ後、すぐに警察の捜索が行われなかったのは、同月17日に発生した阪神淡路大震災の対応に全国の警察が動員された影響だ、と考えていた。しかし3月に入ると、教団信者が東京都内の公道上で目黒公証役場事務長を拉致した事件で、警視庁が捜査に乗り出した状況がメディアで報じられるようになり、強制捜査が現実味を帯びてきた。

 そこで松本らは、社会を混乱に陥れれば、また強制捜査を免れられると考え、地下鉄霞ケ関駅構内で毒性の強いボツリヌストキシンを噴霧して混乱を起こそうと企てた。3月15日に同駅構内に噴霧装置を仕込んだアタッシュケースを置いて液体を噴霧したが、なんら実害を及ぼすことなく、計画は失敗した。

[江川紹子]2025年9月17日

リムジン謀議

教団は、同月18日未明に東京都杉並区の教団施設で信者の昇格祝いの食事会を開いた。席上、松本は「Xデーがくるみたいだぞ」などと、教団施設に対する強制捜査が近いことを話題にした。食事会が終わり、松本は幹部とともに専用のリムジン車で山梨県上九一色村に帰る途中、幹部信者と地下鉄車内にサリンをまく謀議を行った。

 井上嘉浩の証言によると、謀議は次のようなものだった。

 アタッシュケースを使った事件の失敗の原因について村井秀夫と話していた松本が、井上に向かって、「何かないのか?」と問いかけた。井上がボツリヌストキシンではなくサリンならば失敗しなかったということなんでしょうか、という趣旨の発言をすると、村井が呼応するように「地下鉄にサリンをまけばいいんじゃないか」と提案した。松本は「それはパニックになるかもしれないなあ」と提案を受け入れ、村井に総指揮をとるように命じた。以後は、松本と村井の間で話が進んだ。村井が地下鉄電車内にサリンをまく実行役として、自身がトップを務める科学技術省に所属する林泰男(やすお)(1957―2018)、広瀬健一(1964―2018)、横山真人(まさと)(1963―2018)、豊田亨(とよだとおる)(1968―2018)の名前をあげ、松本がそれに林郁夫を加えるよう指示した。

 車中では、サリンの生成についても話題になった。松本が、遠藤誠一に対し「サリンつくれるか」と問いかけると、遠藤は「条件が整えばつくれると思います」と答えた。

 そのほかに、事件が教団によるものであると発覚するのを防ぐための偽装工作も話し合われた。松本は、教団が敵対勢力の攻撃を受けているかのように装い、世間の同情を集めるための自作自演として、教団に好意的な宗教学者の自宅に爆弾を仕掛け、教団の東京総本部道場に火炎瓶を投げるよう指示した。

 謀議の内容については、裁判ではおもに井上の証言に基づき事実認定が行われたが、遠藤誠一も、この場で教祖とサリン生成に関するやりとりをしたことを認めている。

[江川紹子]2025年9月17日

実行役らの準備

18日朝、林泰男、林郁夫、広瀬、横山が村井の部屋に集められた。村井は、「君たちにやってもらいたいことがある。これは……」といって顔や視線を上に向けた後、「……からだからね」といいながら顔や視線を元に戻し、教祖からの指示であることをしぐさで示したうえで、「近く強制捜査がある。騒ぎを起こして捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく」といった。実行は3月20日の通勤時間帯であると告げ、対象は公安警察、検察、裁判所に勤務する者であり、彼らが降車する霞ケ関駅の少し手前で車内にサリンを発散させて逃げれば、密閉空間である電車内にサリンが充満して死ぬことになる、と計画の概要を述べた。この場にいなかった豊田に対しては、村井は同日夜に指示をしている。

 同日夕方にも、村井は自室に集まった広瀬、横山、林泰男、井上と計画を具体化させる話し合いをもち、3路線5方面の電車内で、ラッシュ時の午前8時に一斉にサリンを散布することを決めた。井上が都内で実行役らが集まる拠点の提供を申し出たほか、実行役を乗車駅まで搬送し降車駅から逃走させるために、自動車5台と運転手5人が必要だと述べた。

 運転手については、その後松本が、自室を訪ねてきた村井と井上に、5人の名前をあげて、実行役との組合せを決めた。車5台は井上が手配することになった。

 村井と井上は手分けをして実行役と運転手役の信者に連絡し、井上がトップを務める諜報省が使っている東京都渋谷区のマンションの一室に集合させた。事件関係者のアジトとなるこの部屋で、井上が実行役と運転手役のペアを伝え、担当路線、サリン散布を決行する時刻、散布後に降りる駅名など、犯行計画を説明した。それぞれの担当路線は次の通り(路線、実行役、運転手役の順)。

 日比谷線中目黒行き 林泰男  杉本繁郎(すぎもとしげお)(1959― )
 同 東武動物公園行き 豊田亨  高橋克也(たかはしかつや)(1958― )
 丸ノ内線荻窪行き  広瀬健一 北村浩一(1968― )
 同 池袋行き     横山真人 外﨑清隆(とのざききよたか)(1964― )
 千代田線代々木上原行き  林郁夫  新実智光
 その後、実行役と運転手役のペアで乗車駅や降車駅の下見に行った。

[江川紹子]2025年9月17日

サリン生成

村井はリムジン謀議の後、中川智正に対し、遠藤とともに、1月に分解処理せずに残っていたジフロを使ってサリンをつくるように指示した。遠藤は、土谷正実にジフロからサリンを生成する方法を相談した。

 松本は18日深夜、村井に伴われて自室を訪れた遠藤に対し、責任をもってサリンをつくるよう念押しし、翌19日正午ころにも「まだやってないんだろう」などと暗に着手をせかした。遠藤と中川は、強制排気装置がある遠藤の実験室で、土谷のメモに基づいて、サリンの生成を開始した。同日午後8時ころ、サリンを約30%含有する約5~6リットルの溶液ができた。遠藤はこの溶液からサリンだけを分留することを考えたが、土谷から作業に1日くらいかかるといわれ、松本の指示を仰ぐことにした。

 遠藤が「できたみたいです。ただし、まだ純粋な形ではなく、混合物です」と報告すると、松本は「いいよ、それで。それ以上やらなくていいから」といった。

 村井の指示で、中川はサリン溶液を詰めるビニール袋を用意。遠藤と一緒に、1袋当り500ないし600グラムのサリン溶液を注入し、注入口をシーラーで圧着して封じた袋を11個つくった。サリンの漏出に備え、ひと回り大きなビニール袋に入れて密封した二重の包み(サリン袋)にして、段ボール箱に入れた。

[江川紹子]2025年9月17日

練習と実行

村井はサリンの受け渡し、犯行の練習を行うため、林泰男に指示して実行役5人を上九一色村の教団施設第7サティアンに呼び集めた。さらに村井は、井上にコンビニエンス・ストアでビニール傘7本を購入させ、部下に命じて先端をグラインダーで削って鋭くさせた。

 集まった実行役に対し、村井は車内でビニール袋を傘の先端で突き刺してサリンを流出させ、気化させるという実行方法を説明し、犯行後は傘の先端を水で洗い流し、アジトに持ち帰ることなどを指示した。実行役は、サリン袋に模した水入りビニール袋を傘の先端で突き刺す練習をした。むき出しのサリン袋を乗客に見られて不審がられないよう、サリン袋は新聞紙で包み、それを電車の床に落として突き刺すことも決めた。

 サリン袋は林泰男が三つ、他の4人が1人二つずつ引き受けた。遠藤が中川から受け取っていたサリン中毒の予防薬を実行役に1錠ずつ配り、サリン散布の2時間前に飲むようにいった。

 実行役らは渋谷のアジトに戻った。医師である林郁夫が他の4人の実行役にサリン中毒の治療薬、硫酸アトロピン入りの注射器を配り、中毒症状が出たらこれを自分で筋肉注射するようにといった。実行役と運転手役は20日午前6時ころ、井上が手配して在家信者などから借り受けた車に分乗して、渋谷のアジトを出発した。各実行役の犯行状況は以下の通り。

①林泰男は、杉本繁郎が運転する車で日比谷線上野駅まで送られる途中、杉本に新聞やペットボトル入りの水などを購入してもらい、サリン袋を新聞紙で包んだ。同駅から日比谷線に乗り、仲御徒町(なかおかちまち)駅で途中下車して時間調整をした後、中目黒行きの第3車両に乗車して、次の秋葉原駅に到着する直前に、新聞紙で包んだサリン袋を床に落として傘の先端で突いた。

②豊田亨は、高橋克也が運転する車で日比谷線中目黒駅まで送られる途中に新聞を購入。同駅で時間調整をした後、東武動物公園行きの第1車両に乗車し、次の恵比寿(えびす)駅に到着直前に、新聞紙で包んだサリン袋を床に落として傘の先端で突いた。

③広瀬健一は、北村浩一が運転する車で丸ノ内線四ツ谷駅まで送られる途中にペットボトル入りの水を購入。電車で池袋駅に行き、新聞を買ってサリン袋を包み、時間調整をしたのち、荻窪行きの第2車両に乗り込んだ。ショルダーバッグからサリンを取り出そうとして、周囲の乗客に気づかれたのではないかと躊躇(ちゅうちょ)し、途中駅でいったんホームに降り、後ろの第3車両に乗り込んだ。御茶ノ水駅直前で新聞紙が外れてむき出しになったサリン袋を床に落とし、傘の先端で突いた。

④横山真人は、外﨑清隆が運転する車で丸ノ内線新宿駅まで送られる途中にサリンを洗い流す水と新聞紙を購入。池袋行き第5車両に乗り、四ツ谷駅直前、新聞紙で包んだサリン袋を床に落とし、傘の先端で突いた。

⑤林郁夫は、新実智光が運転する車で千代田線千駄木(せんだぎ)駅まで送られる途中で新聞や接着テープなどを購入。綾瀬(あやせ)駅周辺で時間調整をした後、北千住まで行き、そこから代々木上原行きの第1車両に乗り、新御茶ノ水駅到着直前に新聞紙で包んだサリン袋を床に落とし、傘の先端で突いた。

 実行役はいずれもサリン袋を突いた後、最寄りの駅で降車し、運転手役と打合せをしておいた場所で落ち合い、車で渋谷のアジトに戻った。

[江川紹子]2025年9月17日

犯行後

広瀬は車内でろれつが回らないなどの中毒症状が出たため、林郁夫から渡された注射を打ち、教団の医療施設に向かった。しかし、サリンが原因であると伝えるのをためらい、受診を断念して渋谷のアジトに戻り、林郁夫から治療薬パムの注射を受けた。林郁夫は広瀬のほかに、林泰男、横山、北村、高橋にも中毒症状が出ているとして治療を行った。

 広瀬、豊田、横山は上九一色村の教団施設に戻り、村井と一緒に教祖の松本に報告に行った。松本は「科学技術省の者にやらせると結果が出るな」「ポアは成功した。シヴァ大神、すべての真理勝者方も喜んでいる」といい、「グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方の祝福によって、ポアされてよかったね」というマントラ(真言)を1万回唱えるように指示した。

 林郁夫も上九一色村に戻って松本に報告し、同じマントラを唱えるように指示を受けている。

 井上、林泰男、新実、杉本は、実行役が犯行時に着ていた服や傘などを多摩川の河川敷で焼却した。その後、井上は都内の別のアジトに行き、他の3人は上九一色村の教団施設に戻った。3人が報告に行くと、松本は「これはポアだからな、わかるな」といい、広瀬らと同じマントラを1万回唱えるように指示。さらに3人におはぎとジュースを与えた。

[江川紹子]2025年9月17日

裁判

本件で重要な役割を果たした10人に対し、検察側は死刑を求刑した。

 その一人、井上嘉浩について、東京地方裁判所(東京地裁)の判決は、地下鉄サリン事件における役割は、検察が主張する「現場指揮者」ではなく「後方支援あるいは連絡調整役程度」と認定し、リムジン謀議など捜査機関が把握していなかった重要事実を進んで供述したのは自首に準じると評価したうえで、「死刑という極刑を選択することには、なお幾分かの躊躇(ちゅうちょ)を感ぜざるを得ない」と述べ、無期懲役刑を言い渡した。検察側が控訴し、東京高等裁判所(東京高裁)は、同事件で井上は「総合調整ともいうべき重要な役割を果たした」とし、一審判決を破棄して死刑を言い渡した。最高裁判所(最高裁)もこれを支持し、井上の死刑が確定した。

 実行役5人のうち4人には、東京地裁で求刑通り死刑が言い渡された。一方、林郁夫については、検察が求刑を無期懲役にとどめた。林は地下鉄サリン事件のほか、目黒公証役場事務長の拉致監禁致死事件など全部で6件について起訴されていたが、もっとも重大な地下鉄サリン事件について自首が成立し、教祖の裁判では元弟子として最初に証言を行うなどの協力をした点を、検察は高く評価。論告で「改悛(かいしゅん)の情が顕著というにとどまらず、本件の全容解明及び迅速な裁判の実現に真摯(しんし)かつ積極的に寄与・貢献している」と述べた。これを受けて、東京地裁は林郁夫を無期懲役とする判決を言い渡し、一審で確定した。

 松本は東京地裁での審理中、弟子たちの証言を不規則発言で妨害しては退廷を命じられた。1997年4月24日の第34回公判で行った意見陳述では、地下鉄サリン事件について、「弟子たちが起こしたものであるとしても」としながら、サリンの含有量が少なく「本質的には(殺人ではなく)傷害である」と主張。自身の責任については、「(事件2日前の)18日の夜、村井秀夫君を呼びまして、とにかくストップを命令し」たなどと述べ、自分は止めたのに村井と井上が勝手に暴走したという主張を展開した。

 松本には東京の3弁護士会から推薦された刑事弁護の経験豊富な弁護士12人が国選弁護人としてついていた。しかし、教祖の妨害があっても弟子たちが証言を続け、教祖の責任が明確になるにつれ、松本は弁護団とのコミュニケーションを絶ち、黙り込むようになった。公判では居眠りをしたりぶつぶつとひとりごとをつぶやいたりするくらいで、被告人質問も無言を通した。

 2004年2月27日、東京地裁は松本に死刑判決を言い渡した。弁護団は即日控訴。控訴審では2人の私選弁護人がついた。しかし、私選弁護人は控訴審の手続を始めるのに必要な控訴趣意書を期限までに提出しなかった。裁判所は提出期限を7か月延長したが、弁護人がなお提出を拒んだため、東京高裁は2006年3月27日付けで控訴棄却を決定。弁護人は特別抗告したが、最高裁は2006年9月15日、これを退け、松本は控訴審が開かれることがないまま死刑が確定した。

 運転手役5人のうち4人には求刑通り無期懲役が言い渡された。林郁夫の運転手役だった新実智光は、ほかに坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件などに関与していたことから、死刑が言い渡された。

 豊田亨の運転手役だった高橋克也は、17年間にわたって逃亡していたが、2012年6月に逮捕された。東京地裁での公判は裁判員裁判で行われ、判決は求刑通り無期懲役となった。東京高裁もこれを支持し、2018年1月18日に最高裁が上告棄却を決定。同月25日には、この決定への異議申立ても棄却され、判決が確定した。これにより、オウム真理教による事件の刑事裁判はすべて終結した。

[江川紹子]2025年9月17日

死刑執行

法務省は2018年3月15日、オウム真理教による事件で死刑が確定した13人の死刑囚のうち、7人を仙台、名古屋、大阪、広島、福岡の各拘置所に移送。同年7月6日と26日に刑が執行された。

 うち地下鉄サリン事件に関与した10人の死刑執行は以下の通り(カッコ内は執行した拘置所)。

《7月6日》
 麻原彰晃こと松本智津夫(東京)
 井上嘉浩(大阪)
 遠藤誠一(東京)
 土谷正実(東京)
 中川智正(広島)
 新実智光(大阪)
《7月26日》
 林泰男(仙台)
 横山真人(名古屋)
 広瀬健一(東京)
 豊田亨(東京)

[江川紹子]2025年9月17日

©SHOGAKUKAN Inc.

    ほかのサンプルを見る

ジャパンナレッジLib

大学・法人向け

  • ジャパンナレッジLib とは
  • JKBooks とは
  • Lib と JKBooks の統合について
  • 連携サービス
  • 新規契約のご案内
  • 利用料金
  • 会員規約
  • 各種資料/申込書
ジャパンナレッジPersonal

個人向け

  • ジャパンナレッジPersonal
  • 新規入会はこちら
  • 会費・お支払い方法について
  • コース変更・退会について
  • 使い方
  • 推奨環境
  • 会員規約
ジャパンナレッジSchool

中学・高校生向け

  • ジャパンナレッジSchool
  • 事例紹介
  • よくあるご質問
  • 推奨環境
  • 会員規約

読み物・イベント

  • 知識の泉
  • ジャパンナレッジの本
  • イベントインフォメーション
  • イベントレポート
  • サンプルページ一覧
  • 利用者の声

関連サイトのご案内

  • 日本国語大辞典 第三版 
  • 日国友の会 
  • ことばのまど~小学館辞書編集室 
  • 大辞泉が選ぶ新語大賞 
  • 読書人 
株式会社ネットアドバンス
  • 推奨環境
  • プライバシーポリシー
  • 著作権について
  • リンクについて
  • 免責事項
  • 運営会社
  • アクセシビリティ対応
  • クッキーポリシー
  • Cookie設定
  • ABJマーク
  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す商標(登録番号 第10981000号)です。ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちらをご覧ください。AEBS 電子出版制作・流通協議会 https://aebs.or.jp/新しいウィンドウで開く
© 2001-2025 NetAdvance Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます
  • Twitter
  • Facebook