地震・噴火またはこれらによる津波を原因とする火災・損壊・埋没または流出による建物や家財の損害を補償する保険。個人向け地震保険は、1964年(昭和39)に発生した新潟地震をきっかけにして1966年に公布・施行された「地震保険に関する法律」と「地震再保険特別会計法」により導入された、政策的な性格をもつ損害保険の種類である。
地震保険は特(別契)約であり、単独で加入することはできない。住宅火災保険や住宅総合保険などに加入したうえで、それを主契約にしオプションとして付帯する保険である。地震保険は一般の居住用建物とそこに収容されている家財が、地震、噴火および津波を原因として生じる損害に対し、主契約である火災保険の契約金額の30~50%の範囲内で、かつ建物については5000万円、家財については1000万円を限度として補償する。自動車や、1個または1組の価額が30万円を超える貴金属・宝石・美術品等は補償されない。
補償内容は、全損の場合、建物や家財の時価を限度として契約金額の100%、同じく大半損の場合は60%、小半損の場合は30%、一部損の場合は5%である。基本保険料率(保険契約金額に対する保険料の割合をいう)は都道府県別と建物の構造区分、免震・耐震割引、建築年による割引等により算出される。1回の地震による損害保険会社全社の支払総額は11兆3000億円(2017年4月時点)を限度としており、それを上回った場合には保険金が削減される。地震損害額は巨額に上る可能性があるため、政府の再保険制度が導入されている。損害保険会社と政府の負担額は、884億円までは損害保険会社全社が、それを超えて2244億円までは損害保険会社全社と政府が50%ずつ、さらにそれを超える場合は99.8%を政府が支払うことになっている(損害保険会社全社が1732億円、政府が11兆1268億円)。なお、地震対策の重要性にかんがみ、契約者が1年間に支払った地震保険料は所得税控除が認められている。
新潟地震直後、新潟県勤労者福祉対策協議会(現、新潟県総合生活協同組合)と全国労働者共済生活協同組合連合会(当時は「労済連」と略称。1976年に現在の「全労済」に変更)が被災した契約者(組合員)に対し火災共済金額と同額の見舞金(1億円余)を支給することを決定したところ、税務署はその見舞金に多額の税金を課そうとした。これがマスコミで取り上げられるに及んで社会的に批判が高まり、当時大蔵大臣であった田中角栄(たなかかくえい)がこれを止めさせ、損害保険業界に対しても火災保険契約者に対し同額の見舞金を支給させた。その後、田中角栄の要請を受け、政府の再保険引受けを組み込んだ官民一体の地震保険の法的整備が行われ、1966年に損害保険各社から地震保険が販売された。
火災保険では地震、噴火および津波を原因とする建物や家財の損害に対しては保険金の支払いが免責とされるため、火災保険を主契約とする特(別契)約として、地震保険が開発されたのである。発足当初は住宅総合保険と店舗総合保険に自動付帯される方式で、契約金額は主契約の30%まで、全損の場合にのみ保険金を支払う仕組みで、保険金額の上限は建物が90万円、家財が60万円であった。その後、総合保険のみに自動付帯する方式に批判が高まり、原則自動付帯に改められた。原則自動付帯とは、火災保険の契約に際して地震保険に加入しない場合は、保険契約申込書の押印欄に押印し意思表示する方式である。地震保険は加入方法のみならず損害基準、補償範囲、加入方法、契約金額の限度額など、大規模な地震が発生するたびに補償内容等の不十分さが問題となった。
地震保険がつねに比較されてきたのが、JA共済(JA:農業協同組合とJA共済連:全国共済農業協同組合連合会が共同で運営している共済)で取り扱われている建物更生共済(火災共済)である。建物更生共済では、本体に当初から5%以上の地震損害を含む自然災害保障を組み込み、火災共済金額の50%を限度に保障する内容で、しかも1回の地震に対する総支払額制限や政府による再保険制度がないにもかかわらず、宮城県沖地震(1978)、阪神・淡路(あわじ)大震災(1995)、鳥取県西部地震(2000)、新潟県中越地震(2004)、新潟県中越沖地震(2007)など、これまで多くの大規模地震の際に地震保険の支払総額よりもはるかに多い共済金を支払ってきたことから、地震保険の見直しの手本となってきた。
[押尾直志]