状況が大きく変動した後、元の状態には完全に戻り切らない現象をさす概念。ギリシア語で「後からくるもの」を意味し、過去に発生した事象(ダメージ)が現在の状態に、多大で長期的な影響を及ぼす現象を意味する。日本では「履歴現象」「履歴効果」ともよばれる。
もともとは物理学の用語で、明治期に東京大学に来日したお雇い外国人学者、ジェームズ・ユーイングが磁性体について発見した現象をヒステリシスと命名。その後、電磁気学、金属・材料学、機械学などで広く使われるようになった。経済学の分野では、景気や相場など経済状況が大きく変動した後に、元の状態に十分には戻らない長期停滞現象をさす。アメリカの経済学者サミュエルソンが1940年代に使ったのが最初とされる。その後、1980年代のヨーロッパの高失業状態を説明するため、盛んにヒステリシスが用いられた。アメリカの経済学者ブランシャールOlivier Jean Blanchard(1948― )とサマーズLawrence Henry Summers(1954― )は経済危機による総需要の低下は、(1)失業の長期化による人的資本の毀損(きそん)、(2)賃上げの抑制、(3)消費の低迷、(4)投資の削減、(5)研究開発、技術革新、新規開業の落ち込み、などの経路をたどって総需要を押さえ込み、潜在成長率が元の状態に戻るのを妨げる、と分析している。日本では、1985年(昭和60)のプラザ合意後の大幅な円高は、国内生産拠点の海外移転などを促したため、その後、円安に戻っても輸出が期待したほど回復しない根拠として、円高に伴うヒステリシスが引用された。またバブル崩壊後やリーマン・ショック後に、日本経済の成長率が大きく上昇しない原因の一つとしてヒステリシスが引用される場合がある。最近では、アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)議長(当時)のイエレンが2016年の講演で、リーマン・ショック後の深刻な不況は失業者の人的資本の毀損などを通じて、潜在成長率を低下させているとして、世界金融危機後、長く失業率や潜在成長率が元に戻らない現象を説明するのにヒステリシスを使った。
[矢野 武]