マツ科(分子系統に基づく分類:マツ科)マツ属植物の総称。北アフリカ、西インドならびにマレーシア以北の北半球に広く分布し、約100種が知られる。とくに北アメリカに種類が多い。いずれも短枝の上に葉が2本、3本および5本束生する。まれに1本、4本のものがある。
[林 弥栄]
日本にはアカマツ、クロマツ、ゴヨウマツ、チョウセンマツ(チョウセンゴヨウ)、ハイマツ、リュウキュウマツ、アマミゴヨウ(ヤクタネゴヨウ)の7種が知られ、雑種のアカクロマツ、ハッコウダゴヨウがある。またゴヨウマツの変種としてキタゴヨウ(キタゴヨウマツ)、中国原産のタカネゴヨウの変種としてアマミゴヨウ(ヤクタネゴヨウ)がある。これらのうち、アカマツ、クロマツ、リュウキュウマツ、アカクロマツは二葉松、ゴヨウマツ、アマミゴヨウ、チョウセンマツ、ハイマツ、ハッコウダゴヨウ、キタゴヨウは五葉松である。
アカマツはメマツともいい、樹皮は赤褐色で目だち、葉は細長く、柔らかい。標高2290メートル以下で、普通、潮風の直接当たらない内陸に生えるが、三陸海岸、松島付近、新潟市から山形県境の海岸、能登(のと)半島の内海沿岸では、直接潮風の当たる所でも生育する。クロマツはオマツともいい、樹皮は黒灰褐色で老樹では厚く、亀甲(きっこう)状に裂け目を生じ、不規則な厚い鱗片(りんぺん)となってはげ落ちる。葉は長く強剛で、大木も多い。標高950メートル以下で、普通、潮風の当たる海岸に生えるが、関東地方以西の各河川流域、四国、九州では内陸部深くまで分布が及ぶ。
ゴヨウマツは、樹皮は暗灰色で葉はやや短く、白みがある。標高60~2500メートルに生える。チョウセンマツは、樹皮は灰褐色で葉はやや長くて白っぽく、球果は大形、種子も大きく翼はない。標高1050~2600メートルに生える。ハイマツは針葉がゴヨウマツより太く剛直で、白みが深く、種子は翼がない。本州では標高780~3180メートル、北海道では50~2240メートルに分布する。リュウキュウマツは、葉はややクロマツに似るが、より細くてやや柔らかく、長い。標高20~280メートルに生え、鹿児島県吐噶喇(とから)列島の悪石島(あくせきじま)、奄美(あまみ)諸島、沖縄に分布する。
アカクロマツはアカマツとクロマツの雑種で、アカマツに近い形質をもったもの、クロマツに近い形質をもったもの、両者の中間的形質をもったものがある。外部形態でもある程度両者を識別できるが、葉の横断面の形態、とくに樹脂道の位置などにより決定される。一般に葉はクロマツに近い形態のものが多い。雄花群の形態、大きさはクロマツに近く、雌花群の形態はアカマツに近いものが多い。アカマツとクロマツの混生する地域に広くみられる。ハッコウダゴヨウはハイマツとキタゴヨウの雑種で、ハイマツに近い形質のもの、キタゴヨウに近い形質のもの、両者の中間的形質のものがある。外部形態でも、ある程度両者を識別できるが、葉の樹脂道の位置、球果の形態および種子の翼の有無と形状などにより決定される。北海道と、八甲田山(はっこうださん)と白山の間の高山に自生する。最初に八甲田山で発見されたので、ハッコウダゴヨウと命名された。
キタゴヨウは主として北方に分布するので、名がつけられた。葉は長く、質は堅く、白みが強い。球果は大形で長さ5~10センチメートル、径3~4センチメートル、熟すと著しく裂開する。種子の翼は種子より長く、質は堅い。冬芽は卵形で先端は丸い。天然分布が北に偏しているなどの相違があり、基本種と区別される。垂直分布は海抜60~1800メートルで、中部地方(岐阜県)以北の本州、北海道に分布する。アマミゴヨウは母種のタカネゴヨウに比べて葉が短く、球果は卵円形で種子は細長いなどの相違があり、区別される。垂直分布は海抜100~800メートルで、種子島(たねがしま)の西之表(にしのおもて)市、中種子(なかたね)町の浜津脇、屋久島(やくしま)の屋久島町砂沙(すなさ)、平瀬などにわずかに自生するにすぎない。現在、関東地方南部以西の暖地に、まれに植栽される。とくに九州の鹿児島県下などには各地に植えられ、鹿児島市の磯(いそ)公園には大木が10本ほどあり、よく生育し結実する。
[林 弥栄]
マツ類の球果は長さがいろいろで、形もそれぞれ特徴がある。球果の長さは、日本産のものでは、アカマツ3~5センチメートル、クロマツ4~8センチメートル、ゴヨウマツ5~8センチメートル、アマミゴヨウ4~11センチメートル、チョウセンマツ10~18センチメートル、ハイマツ4~5センチメートル、リュウキュウマツ3~6センチメートルである。また外国産のものでは、バンクスマツP. banksiana Lamb.(北アメリカ北部、カナダ原産)2~5センチメートル、オウシュウアカマツP. sylvestris L.(ヨーロッパ、シベリア、アムール)2.5~7センチメートル、シロマツ(ハクショウ)P. bungeana Zucc.(中国北部、西部)5.5~7.5センチメートル、ストローブマツP. strobus L.(北アメリカ、カナダ)5~20センチメートル、カイガンショウP. pinaster Aiton(ヨーロッパ南部)9~20センチメートル、ダイオウショウ(ダイオウマツ)P. palustris Mill.(北アメリカ南東部)15~25センチメートル、ヒマラヤゴヨウP. wallichiana Jacks.(ヒマラヤ地方)15~28センチメートル、メキシコシロマツP. ayacahuite Ehrenb.(メキシコ、グアテマラ)25~45センチメートルで、大きさに変異が多い。
チョウセンマツ、ナットパイン(ピニョンマツ、メキシコマツ)P. edulis Engelm.などの種子は大形でとくにおいしく、食用とする。
[林 弥栄]
マツ類はいずれも陽樹で、比較的乾燥した土壌を好む。萌芽(ほうが)力があり、剪定(せんてい)に耐え、大木の移植も可能である。成長は速いほうである。繁殖は実生(みしょう)が主体であるが、園芸品種や特殊松では接木(つぎき)、挿木が行われる。挿木の活着はあまりよくない。病気には、葉に被害を与える葉枯病、葉ふるい病、葉さび病、すす葉枯病、枝や幹に害を与えるてんぐ巣病、皮目(ひもく)枝枯病、こぶ病、根に害を与える根腐(ねぐされ)線虫病、紫(むらさき)紋羽病、全木に被害を及ぼすマツ材線虫病などがある。葉枯病、葉ふるい病、葉さび病、すす葉枯病には銅剤または有機硫黄(いおう)剤を散布し、防除する。てんぐ巣病、皮目枝枯病、こぶ病は病枝を切り取って焼却する。線虫病には薬剤を散布し、防除する。虫害にはマツノザイセンチュウ、マツノマダラカミキリ、クロカミキリ、マツノシラホシゾウムシ、オオゾウムシ、マツノキクイムシ、マツカレハ、マダラメイガ、マツアカシンムシ、マツノキハバチ、マツタマバエ、マツカキカイガラムシ、スギハムシなどによるものが多い。手当てとしては、被害木を切って焼却し、健康木を肥培管理する。予防としては、油剤や乳剤を樹冠や葉にそれぞれ散布する。そのほか天敵を利用して防除する方法も、一部(マツカレハなど)実行されている。
[林 弥栄]
マツ類、とくにアカマツとクロマツは巨樹、名木が多く、岩手県陸前高田(りくぜんたかた)市の「華蔵寺(けぞうじ)の宝珠(ほうじゅ)マツ」(クロマツ)、京都市西京区大原野小塩町の「遊龍松(ゆうりゅうまつ)」(ゴヨウマツ)、愛知県豊川(とよかわ)市の「御油(ごゆ)のマツ並木」(クロマツ)、滋賀県湖南(こなん)市の「平松のウツクシマツ自生地」(アカマツの1品種)などは国の天然記念物に指定されている。名勝には静岡市の「三保松原(みほのまつばら)」、佐賀県唐津(からつ)市の「虹ノ松原(にじのまつばら)」などがある。アカマツとクロマツは天然生のものが多いが、植林もされている。
[林 弥栄]
マツ類の材は、辺材は黄白色、心材は黄褐色から赤褐色、材質は強靭(きょうじん)で、加工性・保存性・乾燥・堅さ、いずれも中程度、腐朽に強く、建築、土木、船舶、橋、樽(たる)、包装、経木、楽器、彫刻、パルプなどに広く利用する。クロマツなどからは松脂(まつやに)がとれる。その他庭園樹、公園樹、並木、盆栽(とくにクロマツ、ゴヨウマツ、アカマツ)として常用され、アカマツやクロマツは正月の門松(かどまつ)に利用される。
[林 弥栄]
マツの実は種実の一つとして食用に利用される。古くから強壮・不老長寿に効果があるといわれているが、栄養価が高く、タンパク質、脂質、鉄、カリウム、ビタミンB1・B2
・Eなどが豊富に含まれている。マツの実は世界各地で食べられているが、とくに朝鮮半島で利用が多く、料理や菓子に混ぜたり、それらの上に飾ったりして幅広く使われている。松葉も不老長寿に効があるとして、松葉エキスや松葉酒が民間薬として古くから伝えられている。また、松葉は形がよく香りもよいため、焙烙(ほうろく)焼きに塩とともに材料の下に敷いたり、葉に黒豆やぎんなんを刺して美しく盛り付けるなど装飾にも用いられる。
[河野友美]
マツは材以外に樹皮、樹脂、葉、松かさ、種子など多様に利用できる有用樹で、その利用史も古い。日本では鳥浜貝塚(福井県)から縄文前期の、先端を削りとがらせた棒が、用途は不明であるが、何本も出土している。
古代ローマの建築物は屋根板にマツの樹皮が使用され、材をくりぬき通水管として土中に埋めた。プリニウスは『博物誌』で、松かさを吐血、種子を胃・腎臓(じんぞう)・膀胱(ぼうこう)の治療に、葉を肝臓病に使い、松林の空気が健康によいと、現在の森林浴的考えを記述している。ローマ時代のギリシア系植物学者ディオスコリデスも、松かさや種子、樹皮に収斂(しゅうれん)作用や痛み止めの効果があると指摘し、煤(すす)は筆記用のインキになると述べている(『薬物誌』)。ただし、マツそのものは古代ローマでは陰気な木とみられ、不幸のしるしとして家の入口に立てられ、墓地に植えられた(『博物誌』)。
一方、中国では古来マツは尊ばれ、『論語』には、夏(か)王朝がマツを社(やしろ)の木(神木)として扱ったように書かれ(「……社……夏后氏以松」)、また厳寒に緑を保つマツを特別な木としてとらえていた。『史記』の亀策(きさく)伝には「松柏為百木長而守門閭」(松柏は百木の長、而(しこう)して門閭(もんりょ)を守る)と書かれている。さらに、松の字を十八と公に分解していわれを説く丁固(ちょうこ)の物語(夢のなかで、腹の上に松が生え、18歳になれば出世するという夢をみて、成人して公になった)も『史記』に載るが、それは字からの想像で、松の公は筒抜ける意味で、葉と葉にすきまがあることに基づき、爵位の公を表すわけではない。白居易(はくきょい)は「松樹千年終是朽 槿花一日自為栄」(松の樹(き)は1000年を終えて朽ちる。槿花(きんか)(ムクゲ)の花は1日だけ栄える)とマツの長命を詠む。また、仙人は松を食べると言い伝えられ、不老長寿の象徴として扱われた。
日本でも『万葉集』には、「神さびて」とか「千代松」の表現が伴い、すでにマツがその長寿から神格化されていたことがわかる。『万葉集』にマツを詠んだ歌は76首ある。ほかに松風が3首。当時マツは宿で栽培されていた(巻6・1041、巻15・3747など)。またマツは形見としても植えられ、巻11には「君来ずは形見にせむとわが二人植えし松の木君を待ち出(い)でむ」(2484)と歌われている。中国でもマツは早くから庭園樹にされ、白居易の『白氏長慶集(はくしちょうけいしゅう)』にはマツを売る者に贈る詩や栽松の詩などがある。
平安時代、春の初めの子(ね)の日遊びと称して、野外に出て小松を引き、庭に植えた。11世紀にはそれが門松に発展する。後三条(ごさんじょう)天皇の代の惟宗孝言(これむねたかこと)の漢詩には「正月春中閔四墉」「鎖門賢木模貞松」の句があり、それに「近来世俗、皆以松挿門戸。而余賢木代之」(近来世俗は皆松を以(もっ)て門戸に挿す。而して余は賢木(さかき)を之(これ)に代う)と自注した(『本朝無題詩集』)。室町以降は正月のいけ花にもマツが使われた。『仙伝抄』(1536)は「正月一日は松」と明示している。マツは盆栽にも早くから使われ、『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』(1309)には、水盤に矮小(わいしょう)なマツがセキショウ、岩、白砂などと配され、描かれている。
アカマツは乾燥した二次林によく発達し、照葉樹林下では十分に育たない。花粉分析から、マツが増えるのは古墳時代以降であることが明らかにされている。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にも、日本の木を列挙したなかにはマツが登場せず、それを裏づける。マツは火力が強いので、材が精塩や焼物の燃料に、松炭が精鉄に使われ、それらが産業として育った地方では、アカマツ林が広がった。このため、アカマツの植林が増えることは日本本来の植生を破壊し、国土を荒廃させるという「赤松亡国論」が太平洋戦争後、唱えられた。
マツの木はよく燃え、松明(たいまつ)にされた。それにはテレビン油が含まれ、太平洋戦争中は航空機の燃料として、切り株を掘り起こし、松根油(しょうこんゆ)をとった。松葉を砂糖とともに発酵させた松葉エキスは飲料として飲まれる。江戸時代の飢饉(ききん)のおりには、松皮を搗(つ)き、松皮餅(もち)をつくって食べた。
[湯浅浩史]
日本の代表的な樹木として知られるマツは、長寿や節操を象徴するものとされ、また神聖な木として神霊が宿るとの信仰があった。その代表的なものが正月の門松(かどまつ)で、この木を立てて歳神様(としがみさま)を迎えるのである。神社や仏閣には来迎(らいごう)の松、影向(ようごう)の松、降(くだ)り松などの名称で信仰の対象となっているものがあるが、いずれも神仏がそのマツの木に降臨するとの信仰によるものである。京都府亀岡市の大井川畔にある神降り松は、昔から村に何か異変があるときに神が降臨してお告げをされたという。しかし、逆にこの木を嫌う神もあり、東京・府中市の大国魂(おおくにたま)神社では境内に1本のマツもなく、正月の門松にはタケを立てている。
そのほか天狗(てんぐ)が腰を掛けて休んだとか、そのマツのそばに天狗が住んでいたという天狗松、毎年一定の期日に竜灯(りゅうとう)が上がるという竜灯松の伝説が各地の社寺に伝えられており、歴史上名のある人物がその主人公となっている衣(きぬ)掛け松、駒繋(こまつな)ぎ松、舟繋ぎ松、弓掛け松などの伝説もある。庶民の生活に関するものでは夜泣き松というのがあり、削った樹皮に火をつけて子供に見せるとか、これを枕(まくら)の下に入れておくと夜泣きがやむという。
古代からマツの用途として松明(たいまつ)があるが、近畿地方をはじめ各地で精霊供養のための「柱松(はしらまつ)」という盆行事が行われる。これは、杭(くい)のように立てた柱の先に燃料を入れた籠(かご)を取り付けておき、下から小松明を投げ入れて火をともすもので、和歌山県田辺(たなべ)市のもの(7月10日)が有名であるが、京都市嵯峨(さが)の清凉寺(せいりょうじ)や奈良の東大寺二月堂など、修二会(しゅにえ)の行事として行われるものもある。
また中古における年中行事に「子日(ねのひ)の遊び」というのがあった。正月初めの子の日に丘に登り、四方を望んで煩悩(ぼんのう)を除いたというが、これは中国より伝来した行事で、しだいに日本化すると、野に出て若菜を摘み、小松を引いて野遊びをするようになった。この日、小松を引くことによりマツの長寿を譲り受けるとし、小松の芽を食用にした。民間では正月4日の初山入りに、山から雌雄の小松を引いてきて、苗代(なわしろ)ごしらえのときに田の水口に立てたり(奈良県南部)、正月20日を「松植え節供」といって氏神様の境内などにマツの小苗を植える(静岡県の旧榛原(はいばら)郡・旧小笠(おがさ)郡など)。なお、マツはめでたい木とされているため墓に植えるのを嫌う。また庭木として屋根の棟より高くなるのは、家が滅ぶといって忌む地方がある。
[大藤時彦]
松竹梅は、中国の歳寒三友や三清などを受けたもので、日本の民俗にもかなって、めでたい取り合わせとして広く行われた。『論語』子罕篇(しかんへん)に「歳寒クシテ然(しか)ル後ニ松柏(しょうはく)ノ凋(しぼ)ムニ後(おく)ルルコトヲ知ル」とあり、『懐風藻(かいふうそう)』の「貞質高天ヲ指ス」(中臣大島(なかとみのおおしま)「詠孤松」)、『古今集』の「雪降りて年の暮れぬる時にこそつひにもみぢぬ松も見えけれ」(冬)など、節操あるものとして詩歌に多く詠作された。松は神が降臨する神木であり、千代・千歳の長寿の木として尊重され、子(ね)の日の小松引きは、若菜摘みなどとともに春の行事として、和歌にしばしば詠まれている。『古事記』の日本武尊(やまとたけるのみこと)が尾張(おわり)の尾津(おづ)の崎の「一つ松」を詠んだ歌謡、『万葉集』の「岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び真幸(まさき)くあらばまたかへり見む」(巻2・有間皇子(ありまのおうじ))の歌などがよく知られる。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』香島(かしま)郡条には、時を忘れて愛し合った男女が松の木となったという、童子女(うない)の松原の伝説が記されている。『古今集』になると類型化し、住の江(すみのえ)(住吉)の松は長寿・高齢を、謡曲『高砂(たかさご)』の題材ともなった高砂の松は老後の無為孤独を、末の松山は愛情の不変を表象するようになる。大原野の小塩山(おしおやま)の松は『後撰集(ごせんしゅう)』慶賀の貫之(つらゆき)の歌で、また陸奥(みちのく)の姉歯(あねは)の松は『伊勢物語(いせものがたり)』で知られ、武隈(たけくま)の松は『後撰集』や『源氏物語』「薄雲」にみえ、阿古屋(あこや)の松は藤原実方(ふじわらのさねかた)の説話として『平家物語』巻2などに伝えられ、京都の北野天神の松は菅原道真(すがわらのみちざね)の霊により一夜で生じたと『大鏡』藤原時平(ふじわらのときひら)伝に語られる。謡曲では在原行平(ありわらのゆきひら)の須磨配流(すまはいる)と松風・村雨の恋物語を題材とする『松風』や三保松原(みほのまつばら)を背景とする『羽衣』などがある。松に鶴(つる)、松に藤(ふじ)などという配合も大和絵(やまとえ)などの画題とも関連して詠まれている。「松」に「待つ」をかける表現も例が多い。『枕草子(まくらのそうし)』には、「花の木ならぬ」の段に掲げられ、『徒然草(つれづれぐさ)』には「家にありたき木」のなかに数えられている。季題としては、「松の内」「松竹」「門松」など新年が多いが、四季それぞれにみられる。
[小町谷照彦]