日本大百科全書(ニッポニカ)

本庶佑
ほんじょたすく
[1942― ]

日本の生化学者、免疫学者。京都市出身。1966年(昭和41)京都大学医学部卒業、1971年同大学大学院医学研究科修了。アメリカに渡り、1971年にカーネギー研究所発生学部門の客員研究員、1973年からはアメリカ国立衛生研究所(NIH)の客員研究員として、DNAを扱う分子生物学の研究生活を本格化させた。1974年東京大学医学部助手、1975年母校の京都大学から医学博士号を取得。1979年に大阪大学医学部教授に就任し、1982年には京都大学医学部教授を兼務、1984年から京都大学教授専任となった。遺伝子実験施設施設長を経て、1996年(平成8)~2000年(平成12)と、2002~2004年に京都大学大学院医学研究科研究科長、医学部長を務めた。2005年に日本学士院会員、京都大学名誉教授。その後も京都大学大学院医学研究科の客員教授として研究活動を続けるかたわら、2006年、日本の科学技術政策の司令塔である内閣府総合科学技術会議(現、総合科学技術・イノベーション会議)議員を務める。2012~2017年静岡県公立大学法人理事長、2015年からは公益財団法人先端医療振興財団の理事長を歴任。
 本庶は、医学部を卒業したものの医師にはならず、創薬などにつながる基礎医学研究の道を選んだ。なかでも、外敵、がんなどから生体を防御する免疫の複雑な機構を分子生物学的に明らかにすることに長年、取り組んだ。その代表的な業績の一つが「抗体のクラススイッチ組換え機構の解明」である。
 骨髄由来の「Bリンパ球(B細胞)」は、生体防衛の主役の一つである抗体(免疫グロブリン:Ig)を産生する。Y字形の抗体には、抗原を認識する可変部(variable region=V領域)と、抗原結合後の体内での処理方法を示す定常部(constant region=C領域)があり、ウイルス、細菌などさまざまな抗原に接すると抗体の可変部はそれにくっつきやすくなるよう大きく変異する(体細胞超突然変異=SHM)。一方で、免疫グロブリンにはさまざまなタイプ(クラス)が存在する。Bリンパ球は、最初にIgMというクラスの抗体をつくり、そのあとで侵入してくる抗原の種類や場所に応じて、可変部を変えずに、IgAやIgEなどの異なる定常部をもったクラスの抗体に変換する「クラススイッチ現象」が起こることがわかっていた。なぜ、こうした現象が起こるのか謎(なぞ)であったが、1978年に本庶は、抗体の遺伝子の一部が欠損して、異なったクラスの抗体ができるというモデルを提唱し、それを実証した。1999年には、このクラススイッチを誘導する酵素を発見し、「AID(Activation Induced Cytidine Deaminase:活性化誘導シチジンデアミナーゼ、脱アミノ化酵素)」と名づけた。分子生物学が進展した1970年代、こうした無数の抗原に対応して抗体が多様に変化する現象は世界的に注目され、多くのグループがしのぎを削るなか、このメカニズムの解明について利根川進(とねがわすすむ)らと熾烈(しれつ)な競争を繰り広げた(結局、1976年利根川が抗体の再構成のメカニズムを発見、その功績により1987年ノーベル医学生理学賞を受賞)。
 もう一つの大きな業績は「免疫抑制を阻害する分子機構の解明」で、これによって新たながん治療法に道を開いた。1980年代ころから免疫細胞の司令塔であるTリンパ球(T細胞)が自己を攻撃したときに、それを停止させるために、プログラムされた細胞死「アポトーシス」がなぜ起こるのか、その解明に世界中の研究者がしのぎを削っていた。その過程で、1992年、本庶と研究室の大学院生であった石田靖雅(やすまさ)(現、奈良先端科学技術大学院大学准教授)らはTリンパ球の細胞死誘導時に増加する遺伝子を発見。「programmed cell death(プログラムされた細胞死)」を起こす遺伝子という意味でPD-1(Programmed cell death 1)と名づけられたが、当初、PD-1の働きはわからなかった。
 PD-1発見からまもなく、当時、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校にいた免疫学者のジェームズ・アリソンらの研究チームは、がんを認識するTリンパ球表面にあるタンパク質「CTLA-4」(細胞傷害性Tリンパ球抗原4)を発見し、Tリンパ球の働きを抑えるブレーキ役であることを突き止めた。アリソンらは、がん治療に応用できると考え、1994年、CTLA-4に対する抗体(抗CTLA-4抗体)を、がんを移植したマウスに投与すると、がん細胞が消失することを確認した。
 本庶らは、PD-1の構造は、CTLA-4に似ていることから、独自の手法でPD-1が免疫反応のブレーキ役であることをつかんだ。しかし、作用機序はCTLA-4と異なっていた。本庶らは、PD-1と結合しPD-1を活性化させる分子(タンパク質)があることをつきとめ、「PD-L1」(PD-1 Ligand)と命名した。PD-L1は、全身のさまざまな細胞表面にあるが、がん細胞表面にもあることを発見。PD-L1はがんの増殖を促すが、PD-1がないとがんの進行が鈍ることをマウスの実験で確かめた。本庶らは、PD-1に対する抗体(抗PD-1抗体)を投与することで、がん治療につなげられると考え、人での臨床試験を模索し、国内の製薬企業に治験をもちかけたが、ことごとく断られた。最終的に小野薬品工業がアメリカで治験を開始、2012年に悪性黒色腫(しゅ)(メラノーマ)で有望な成果が得られた。2014年に抗PD-1抗体は「ニボルマブ」(商品名オプジーボ)として世界に先駆けて日本で発売された。その後も非小細胞肺がん、腎(じん)細胞がんなどに適用が拡大され、現在は胃がん治療などでも保険適用されている。
 オプジーボは、免疫反応の監視役のPD-1を阻害することから「免疫チェックポイント阻害薬」とよばれる。アリソンらの成果をもとに2011年に世界で最初にアメリカで承認された抗CTLA-4抗体の医薬品「イピリムマブ」(商品名ヤーボイYERVOY)も同じ免疫チェックポイント阻害薬である。オプジーボのほうがヤーボイより治療成績がよいことが証明されているが、両者の併用がより効果的との報告もある。
 免疫チェックポイント阻害薬による新たな「免疫療法」は、外科手術、抗がん剤(化学療法)、放射線治療に次ぐがん治療の第四の柱として位置づけられている。
 しかし、オプジーボの効果があるのはがん患者の3割程度と少ない。進行がんが劇的に縮小する一方、まったく効かない人もいて、間質性肺炎などの重篤な副作用もある。また、薬代が高価なことから、事前に効果を予測できないか研究が進められている。
 1981年に野口英世記念医学賞、1985年ベルツ賞、1992年ベーリング北里賞、1996年恩賜賞、日本学士院賞、2012年ロベルト・コッホ賞、2013年文化勲章、2016年京都賞、慶応医学賞などを受賞。2018年には「免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見」で、ジェームズ・アリソンとノーベル医学生理学賞を共同受賞した。
[玉村 治]2019年3月20日