翁
演目名。本書では《式三番》(次項)の名称で項目を立てたが、現行各流とも《翁》の名で上演している。正月の催能、各種の祝賀能・記念能など、おもだたしい公演に際し、番組の冒頭に上演される。なお、素謡として上演するときは、流派により〈
神歌〉と称する。
羽田 昶
式三番
能楽の演目。能役者と狂言役者が演ずるが、能でも狂言でもない別の種目で、構成・詞章・謡・囃子・舞・面・装束など、すべての点で能・狂言とは異なる古風な様式をもつ。式三番という名称は、〈例式の三番の演目〉の意味で、《
父尉ちちのじょう》《翁》《
三番猿楽》の三演目を指す。いずれも老体の神が祝言・
祝舞を行うもので、三者の間に直接の関係はないが、能や狂言と違ってこの中から演目を選ぶというのではなく、三番一組にして演ずるものである。老体の神が祝福をもたらすという民俗芸能は各地にある。それが古い時代に猿楽と結びつき、いつからか猿楽の本芸の一つとなった。その経緯は不明だが、遅くとも鎌倉時代中期には、《式三番》の形で定着したと考えられる。もっとも古い例証としては、著作年次について疑問はあるが、『法華五部九巻書』(一一二六成立)にその詞章が引用されている。世阿弥の著書によれば、室町時代初期には、特殊な神事能以外は《父尉》を省くのが常態となっていたことがわかるが、〈式二番〉とは呼ばずに、もとの名称を引き継いでいた。二番のうち《翁》は古くは《
翁面》とも称した。また《三番猿楽》はのちに〈三番サウ〉と略され、文字も〈三番叟〉または〈三番三〉と書かれるようになった。《翁》を能役者が演じ、《三番叟》を狂言役者が演ずるきまりは世阿弥時代にすでに成り立っていた。このことから、能を優位に置く江戸時代以降は、二番を包括する場合も《翁》の名称を用いることが多くなったが、混同を避けて対象を明確に示すという点では、《式三番》の名称を用いるほうが望ましい。
《式三番》では面がそのまま神体とみなされ、役者が舞台でこの面を着けることにより神格を得る。役々の衣類は祭りの礼服であって扮装用の装束ではない。後述のように《式三番》では一人が数役を兼ねるが、役をかわる時にも衣類を替えないのは、単なる礼服だからである。このように面以外の扮装具が存在しないのは、この芸能が古態をとどめているためといえる。なおその面も、能面・狂言面とは異なった古風な特色をそなえている。すなわち、目全体がくり抜かれていて白目・黒目の別がなく、しわや眉毛が様式的に図案化されているなど、非写実的である一方、下あごを切り離して上あごとひもで結び、物を言うとあごが動くことを意図しているといった原始的な写実の面もある。以上の点は三番の面に共通するが、翁(翁面)と三番叟が目じりを下げた笑い顔であるのに対し、父尉は吊り目であり、また翁と父尉が白色ないし肉色の彩色であるのに対し、三番叟は黒色である。
能の謡には拍のある謡(
拍子合)と拍のない謡(
拍子不合)とがあり、一曲の中心部分は有拍の謡となっているが、《式三番》の謡は全部無拍である。囃子は、《翁》は笛一・小鼓三という独特の編成で、リズム型も能とはまったく異なる。《三番叟》ではこれに大鼓が加わるが、能のように小鼓と合奏してひとつのリズムを形づくるのでなく、小鼓のリズムの間を縫うようにして独立した手組を打ち込んでいく。役々の所作にも独特なものがある。たとえば翁は、両腕または右腕を横に広げた構えで立つが、これは能にはないカマエである。
《式三番》の奏演は、そのままが祭りと考えられる。この祭りは別火に始まる。各役は一定の期間、神聖な火を用いて生活を送り、煮たきや暖房の火を家族と別にする。期間は七日、三日といろいろあったが、明治以後はしだいに簡単になり、現在では、当日の朝食から別火を始めるとか、自宅別火はせずに楽屋の火鉢のみ別火にするとか、まったく別火をしないとか、流派や個人で違っている。当日は鏡の間に白木の机を据えて祭壇とし、神体の面を納めた面箱を祭り、神酒、洗米等を供え、切り火で四方を清める。切り火は省く流派もある。開始の時刻が近づくと、司祭役の大夫以下鏡の間に列座する。後見役によって神酒がまわされ、一同杯を受け、洗米を口に含み、清めの塩をする。この幕内の祭儀は、流派によっては特別な晴れの催し以外省くようになった。
役々の出は神体渡御の形をとる。すなわち、
>御輿狩衣・指貫の礼服で歩み、続いて各役が直垂裃がみしもまたは素袍裃の礼服で列進する。大夫が舞台先で正面の貴人に礼をして自席に着くと、その前に面箱が据えられて蓋が開かれる。列進の人々も、それぞれ舞台に入りしなに礼を行って着座するが、この各自の礼は最近は略すことが多い。こうして祭りが開始され、まず司祭役が「どうどうたらり……」(流派により、とうどうたらり、または、とうとうたらり)という総序の呪歌を謡う。ついで白キ翁と黒キ尉(三番叟)が順次出現して祝言・祝舞を奏演するが、それぞれの奏演の前に、若者の清めの前奏舞があるので、これらを表記すると以下のようになる。
(1)総序 (a)笛の前奏(座着キ) (b)司祭役(大夫)の呪歌(どうどうたらり)
(2)白キ翁 (a)若者の前奏舞(露払イの舞) (b)白キ翁の祝言(謡) (c)白キ翁の祝舞(天地人の舞)
(3)黒キ尉 (a)若者の前奏舞(揉ノ段) (b)黒キ尉の祝言(問答) (c)黒キ尉の祝舞(鈴ノ段)
以上が《式三番》の式次第だが、その役の多くは次のように兼役となっている。(1)司祭役の大夫はシテ方から出て、白キ翁の役をも兼ね勤める。(2)黒キ尉すなわち三番叟の役は狂言方から出る。(3)面箱持の役は三番叟と同じく狂言方から出る。(4)白キ翁の前奏舞を舞う若者は千歳と呼ばれ、下掛リ(金春、金剛、喜多)では狂言方から出て面箱持の役を兼ねる。上掛リ(観世、宝生)では、面箱持とは別にシテ方から出る。(5)黒キ尉の前奏舞である揉ノ段は、三番叟役みずからが勤め、これがすんでから面を掛けて黒キ尉となる。(6)白キ翁の祝言は独唱の謡によるが、黒キ尉の祝言は問答の形をとる。そのアド役(応対役)は面箱持が兼ねる。
横道 萬里雄