辞書コレクターであり辞書研究家、また校正者としても名高い境田稔信(としのぶ)さん。そして『日本国語大辞典 第二版』編集長の佐藤宏さん。辞書の裏側まで知り尽くしたお二人による“ディープな辞書の世界”を巡るトークイベントが、去る2月15日、日本出版クラブ(東京都・神保町)のホールにて行なわれた。
文・角山祥道/写真・ジャパンナレッジ編集部
登壇者: | 境田稔信(校正者、辞書研究家) 佐藤宏(『日本国語大辞典 第二版』編集長、元小学館取締役) |
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開催日: | 2019年2月15日(金)19:00~20:30 |
場 所: | 日本出版クラブ 3Fホール(神田神保町) |
佐藤「このイベントの前に、境田さんの自宅兼辞書ルームを訪ねてきたんですが、聞きしに勝るものでした。歩くのもままならない。全部で何冊ぐらいあるんですか?」
境田「6000点以上あります。日々、増えていますので……」
佐藤「入手困難な辞書として知られる時枝誠記編の『例解国語辞典』(注1)や『大漢和辞典』(注2)の戦前の版、中国・清代の字書『康熙字典』(注3)など、辞書に関わってきた者としては垂涎の書が並んでいました。なかでも、特に『言海』(注4)が目立ちましたが、何冊ぐらいあるんですか?」
境田「大形、中形、小形、寸珍本とあって、270冊ですね」
佐藤「正確な数値がさらっと出てくるところが境田さんらしいですね。異なる辞書を集めるならわかりますが、なぜ同じ辞書をそこまで?」
境田「ご存じの通り、『言海』は1891年に完成した日本初の近代的国語辞典です。最初は4分冊の私家版として刊行されました。その後1冊にまとめられ、大形は大正時代まで版を重ねました。これら版違いのものを比べてみますと、微妙に違っている。たとえば初版で直された誤りが、再版で復活していたりする。これは集めてみないと、どうなってるかわからないぞと思いまして。それじゃあコンプリートしようと……」
この日、日本出版クラブのホールに集まったのは約110人。当初は70人の定員で募集をかけたが、あまりの人気に席を増設。それでも全席埋まってしまった。その110人から、境田さんの「コンプリート発言」に笑いが漏れる。
現在の書籍は、何部刷ろうと増刷するごとに、二刷、三刷……と奥付に表記する。ところが、境田さんいわく、この当時は1000部増刷するごとに一版と数えていたという。つまり一度に5000部増刷するとそれだけで版数が五版も飛んでしまう。二版と三版の間に変更はあるのか。それとも同じ版なのか。「だから全部集めてチェックするんです。想定ではあと10冊くらいでコンプリートできる、と思っています」と境田さん。(当時は「版」と「刷」の区別がなく、「版」だけだった)
境田「活版印刷は活字組版の複製を鉛合金で作っていました。その鉛版をつくるために特殊な紙で鋳型(紙型)を取っていたんです。『言海』は最初の誤植のある段階で紙型取りをしていて、訂正した版で紙型取りはしなかった。というのも『言海』は大槻(文彦)の自費で出版していたため、予算がない。そのうえ昔の紙型取りは手作業で手間がかかる。紙型取りをする用紙の品質も低く、何回もそこに鉛を流し込むわけにはいかない。だからなるべく鉛版を使いまわして、ダメになった部分だけを作り直していました。そのため、版を重ねるごとに誤植がどんどん復活していくんです」
話は「日国友の会」に及んだ。
「日国友の会」とはジャパンナレッジにリンクする投稿サイトで、誰でも投稿・閲覧できる。ここでは来るべき『日本国語大辞典 第三版』に向け、用例の追加・更新、新項目の投稿を広く募っているが、発見された用例はすでに、『精選版日本国語大辞典』(注5)に掲載されるなどしている。
佐藤「境田さんは知る人ぞ知る、「日国友の会」のコアメンバーです。境田さんが発掘した初出用例は数多く、たとえば「ださい」や「おたく」もそうですね」
ださい/2003年01月07日
用例: 相談にやって来た石松は、「ほかに適任者がござんせん。そう知ってもこの番、預かるなんて、番格の風上にもおけねえダサイ(格好わるい)奴よと、“武線”に笑われます」と、嘆いた。/『バンカク』1973年7月10日 前原大輔
境田「仕事ではなく、趣味だからできることですね。気になった言葉は、すぐに調べたくなるんです」
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二人のディープな辞書トークもハイライトを迎え、佐藤さんから近代の国語辞書の流れ(上図を参照)を説明。近代的国語辞典の先駆けとなった大槻文彦の『言海』の流れ、『日国』のもとになった松井簡治の『大日本国語辞典』の流れ、そして『言海』を意識してつくられた山田美妙(びみょう)の『日本大辞書』の流れなど、年表を使って紹介。
「たまたまツイッターを見ていたときに、こういう路線図があったんですよ。じつに絶妙だと思いました」と佐藤さんは言いながら、「国語辞書路線図ができた。」(https://twitter.com/kaichosanex/status/1041979347236573185?s=21)という図を紹介。明治時代以降の国語辞書を言海線、日国線、辞林線、新村線といった路線に分け、どれがどれにつながっているのかがよくわかる秀作である。会場には作成者も来られていたようだ。
そして質問コーナー。「いろんな辞書を比較するのに決まって引くワードは?」という質問に、境田さんは「難しいですね」と言いながらも、「新しい辞書ではなくて古い辞書、とくに外国語の対訳、和英や和仏を買うときに気にしているのは、「らち」。もともとこの言葉は「羅致」といって、広く集めるという意味だったんです。それからだんだん「拉致」に変わるのですが、表記が先に変わるのか、意味が変わるのか、読み方も「拉致=らっち」があったり……とくに気になるので「らち」を引いてから、購入するかどうか判断しています」
境田「以前新聞に私の記事が掲載されたとき、読者の方から辞書をおゆずりします、という申し出が殺到しました。でもだいたい持っている辞書ですし(笑)、まあ自分で集めたほうが面白いので、結局ほかの方にゆずってあげてください、とすべてお断りしました」
ジャパンナレッジに対する本音も飛び出した。
境田「実は、辞書を持っているからジャパンナレッジには入らなくていいや、とずっと思っていたのですが……。ところが増えすぎて、辞書を出して調べるスペースがない。そこでジャパンナレッジを使ってみたところ、パソコン1台あれば、複数の辞書を串刺し検索できる。検索結果をプリントすれば、校正の際の添付資料としても使える。すっかり手放せなくなりました」
佐藤「ネットからの情報は“ただ(無料)”という認識が広まっています。そのなかで、ジャパンナレッジが有料であっても多くの人に利用されているのは、知識の信頼性、しっかり裏取りされた情報があるからではないでしょうか。いざとなれば、最後の拠りどころ、物(紙の辞書)に当たれる。それがジャパンナレッジを支えているんです」
時に脱線したり、時に深掘りしたり、時に笑いが漏れたり、境田さんの部屋の書棚を埋め尽くした辞書類の写真に驚嘆の声が挙がったり……。
いろは順や五十音順といった明治から戦後までの見出し語の配列の移り変わりや、「Hする」を明石家さんまか島田紳助か、誰が最初に使い始めたか(明石家さんまさんのほうが有力だそうです)など……辞書を巡る対談に集まった110人の聴衆は興味深く耳を傾け感心することしきりだった。