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【日比谷カレッジ】第14回ジャパンナレッジ講演会

辞書編集者を悩ませる、日本語⑦
辞書編集者の平成ことば考

ジャパンナレッジの連載記事「日本語、どうでしょう?」の執筆者、神永曉さんを講師に迎えておくる日比谷カレッジ「辞書編集者を悩ませる、日本語」第7弾。今年4月にピリオドを打った「平成」の日本語事情を辞書編集者の立場から解説してもらうというコンセプト。テーマに対し関心が高く、満員御礼の講演会となりました。

文と写真・ジャパンナレッジ編集部

講師: 神永曉(国語辞典編集者)
開催日: 2019年7月24日(水)19:00~20:30
場 所: 日比谷図書文化館 スタジオプラス(千代田区日比谷公園)

まずはじめに、神永さんはご自身のプロフィールを紹介。

昭和55年(1980)、教科書や辞書を作っている出版社、尚学図書という会社に入社。ここから、神永さんの辞書編集ひとすじの社会人生活がスタートします。

昭和55年といえば任天堂からゲームウォッチが発売、自動車の生産台数で日本が世界1位となり、12月8日にはジョン・レノンが暗殺されました。流行語は「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」「カラスの勝手でしょ」「ぶりっ子」「それなりに」「ナウい」「竹の子族」(懐かしいですねーーーっていやいや、当然、知らない方もいらっしゃいますよね)。

さて神永さんが初めに携わられた辞書が昭和56年に刊行された項目数25万項目の『小学館国語大辞典』。なんと新人なのにいきなり「ソーラーハウス」「環境アセスメント」など新語の語釈の執筆を任されたんだとか。神永さんはほどなくして小学館に移籍。あの国語辞典の権威である『日国』こと『日本国語大辞典 第二版』をはじめ、『現代国語例解辞典』『言泉』『日本方言大辞典』など多くの辞書編集を担当されました。そして2年前の平成29年(2017)に会社を退職、現在に至ります。

平成生まれの国語辞典とは

講演は本題に入る前に、「平成の国語辞典事情」について3つのポイントを軸に解説。

事情① 横組みの国語辞典の出現
事情② 「国語」辞典ではなく「日本語」辞典が刊行
事情③ 平成に生まれた代表的な国語辞典

事情①。ワープロやパソコンなどの出現で、縦書きではなく横書きがスタンダードに。時流に合わせ、辞書も横組みのほうが便利だろうと、三省堂、集英社、岩波書店から縦組み版と同時に横組み版の小型国語辞典が発売されました。横組み版は当初、縦組み版より項目数がたくさん入るだろうと思われていましたが、じつは意外にも入らなかった。結局、売り上げも伸び悩み、横組み版の小型辞典は現在、完全に姿を消しているそうです。ちなみに平成24年(2012)に発売された中型の『大辞泉 第二版』は横組み版のみで刊行されています。

事情②「日本語」辞典について。平成元年(1989)、講談社から全ページカラーの『日本語大辞典(The Great Japanese Dictionary)』が発売。グローバル化をにらみ、日本語が英語などほかの言語と肩を並べられるように、また日本語を学ぶ外国人にも手に取りやすいようにと、「国語」辞典とはせず「日本語」辞典という名称にしたのが画期的。平成16年(2004)、小学館も『日国』の編集委員松井栄一(まついしげかず)先生とともに『日本語新辞典』を作ったのですが、結局追随する「日本語」辞典の刊行はありませんでした。

事情③では平成生まれの国語辞典、『明鏡国語辞典』をクローズアップ。平成に入ると次第に電子辞書がスタンダードになり、紙の辞書が苦戦を強いられました。しかし平成14(2002)年に大修館書店から発売された『明鏡国語辞典』は、現在の小型国語辞典を代表する辞書になりました。言葉の意味を非常に細かくくわしく解説している点、そして誤用と言われるものを積極的に紹介しているところが特長。神永さんも言葉の誤用について考えるとき、参考にしているそうです。

辞書編集者が気になる平成のことば

つづいて「レジェンド」、「真逆」、「倍返し」、「忖度」、「ほぼほぼ」、「小泉劇場」、「骨太の方針」など平成を彩った新語・流行語を軸に、辞書編集者ならではの「平成の日本語考」を展開。

平成16年(2004)の新語・流行語大賞にノミネートされた「真逆」の解説。

なかでも印象に残ったのはやはり、ここ数年で一般的となった「忖度」という言葉。もとは国会で使われた言葉。平成29年(2017)、三省堂の「今年の新語2017」で大賞を取りました。

「忖度」はじつはとても古い言葉で、あの『詩経』(「他人、心有り 予(われ)之れを忖度す」)にも用いられているんだとか。本来は「他人の心中やその考えなどを推しはかること。推量。推測。推察」(ジャパンナレッジ『日本国語大辞典』)ですが、現在使われている「忖度」には「配慮する」という意味が加わっています。「そういう意味で使うならば、『斟酌(しんしゃく)』という言葉を用いるべき」と神永さん。そしてこの「斟酌」もじつは「忖度」と似た変化をしている言葉なんだそう。神永さんは二つの文章で、斟酌の意味の移り変わりを解説してくれました。

「どうか其辺を御斟酌になって、なるべく寛大な御取計を願ひたいと思ひます」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「そこは県庁でも余程斟酌して呉れてね、百円足らずの金を納めろと言ふのさ。」(島崎藤村『破戒』)

漱石の時代は「斟酌」は単に「推察すること」でしたが、藤村の時代には「ほどよくとりはからうこと」という意味が加わっています。そう、まさに「忖度」も「斟酌」と同様の道を歩いていて、私たちはなんと「忖度」の意味が変わる瞬間に居合わせた! 毎年更新されている「デジタル大辞泉」でも、「[名](スル)他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。」という語釈に変化したんだとか。

上が「日本国語大辞典」、下が「デジタル大辞泉」の「忖度」の項(ジャパンナレッジより)。「大辞泉」は「忖度」の意味が更新されている。

そしてまたもや政治家から生まれた「忸怩」という言葉をクローズアップ。「自分の行ないなどについて、自分で恥ずかしく思うさま」が本来の意味。一方、国会などで使われる「忸怩たる思い」。「悔しい、残念だ、腹立たしい」という他人に対して使われる言葉に変化していたのです。そしていまだ、多くの国語辞典ではこの使い方を誤用と判断しています。

「誤用といえるものも多くの人が使えばいずれ誤用ではなくなる。また本来なかった意味が一般の人にも広く使われるようになれば、その新しい意味が辞書に載ってしまう可能性もある。これは言葉の特性。そんな言葉を辞書編集者として今後も注目していきたい」と神永さん。

さて、日本は令和時代に突入。これから、いったいどんな言葉が新しく生まれ、どんな言葉が変化を遂げるのでしょうか? 神永さんとともに連載記事「日本語、どうでしょう?」で、これからも日本語の変化を見つめていきたいと思います。