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【ジャパンナレッジ】トークイベント

来たるべき辞書のために
今野真二×佐藤宏クロストーク in 清泉女子大学

2019年4月より始まった新連載「『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 今野真二×佐藤宏 来たるべき辞書のために」を記念し、去る6月1日、「来たるべき辞書のために~今野真二×佐藤宏クロストークin 清泉女子大学」と題したイベントが開催された。清泉女子大学のご厚意で、同大学の大教室で行なわれた当イベントは、学生を中心に200名の聴衆が集まり大盛況だった。その模様をレポートする。

文・角山祥道/写真・ジャパンナレッジ編集部

登壇者: 今野真二(清泉女子大学教授)
佐藤宏(『日本国語大辞典 第二版』元編集長)
開催日: 2019年6月1日(土)14:00~15:30
場 所: 清泉女子大学 2号館 240教室(品川区東五反田)

ステージ横には初版(1972~76年刊行)、縮刷版(79~81年刊行)、第二版(2000~01年刊行)、精選版(05~06年刊行)と『日本国語大辞典』が勢ぞろい。図書館になかった縮刷版はこの日のために購入されたのだという。

佐藤「私はあくまで、『日本国語大辞典 第二版』の“元”編集長ですので、気楽な立場でなんでも言えます。今日は『『日本国語大辞典』をよむ』著者の今野先生と、これからの辞典について議論できればと思います。前回のトークイベント(2月15日「ここでしか話せない楽しくてディープな辞書の世界」)は神保町で開催しましたが、今回は先生が教壇に立たれている清泉女子大学ですので、アウェー感が満載ですが」

今野「私はホームだからこそ、無様な姿を見せられません(笑)」

笑いから幕を開けたイベントの冒頭、佐藤さんからは、『日国』の歴史が年表とともに紹介された。

『日国』の流れ

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佐藤さんによれば、明治20年前後(1880年代)は、世界的にみても「国語の大型辞書をつくる」という潮流があったという。

『オックスフォード英語辞典』(以下、『OED』)の前身にあたる『NED(A New English Dictionary on Historical Principles)』の刊行が始まったのが1884年。日本初の近代的国語辞典とされる、大槻文彦による『言海』の刊行開始が1889年。

佐藤「『言海』を目にした松井簡治――『日国』の編集委員・松井栄一(しげかず)さんの祖父にあたりますが、彼は『言海』について、よくできているが用例が少ないという印象を持ちました。そこで、独自に辞書を作ろうと思い立ち、まずは用例を集めるべく、1892年から文献の収集を開始します。この時、面白いエピソードがあって、松井簡治は帝国大学図書館を使わせてもらえなかったそうなんですね。そこで大学図書館に卸す古書店を狙い撃ちして、大八車で回って資料を買い占めたといいます。松井簡治は資料収集に5、6年、索引作りにさらに5、6年かけ、ようやく1915年から『大日本国語辞典』の刊行が始まります。これが私たち『日国』の原点です。
 この時、松井簡治は「1日33語書く」と書き残しているのですが、これはおそらく『OED』の編集主幹ジェームズ・マレーの影響でしょう。彼も「1日33語」と言っていますから」

今野「そのエピソードには共感します。私は『日国』を作ったのではなく読んだ側ですが、ノートをつけながら読んでいたんですね。そのノートを見ると、片隅にその日に読んだページ数や、このペースで行くとどのくらいの日数がかかるのか、何度も書き込んでいます。『日国』は全部で約2万ページあります。2年間のサバティカル(=特別研究期間※大学などで、研究・旅行などのために与えられる長期有給休暇)を利用して読むことにしていたんですが、つまり1年で1万ページ読まねばならない。『『日本国語大辞典』をよむ』を刊行してから、あんな膨大な辞書を全部読まれてすごいですね、とよく言われるんですが、2年では隅々までは到底読めない。だから用例は全部読んでいないんです」

佐藤「実際読まれてどうでしたか?」

今野「実は、始めた当初は懐疑的だったんです。読んで何が残るのか、自分でもつかめていませんでした。ところが読み進めると、いろいろな発見があった。たとえばある日のノートには、『担負』『坦平』という言葉がメモされています。それぞれ、『負担』『平坦』が逆になっていますが、このような語順が逆の漢語が意外と多いことに気づきました。まったく知らなかった日本語がある、というのが新鮮な驚きでした。また用例の出典についても、知らない文献がたくさん出てくる。それも発見でした。1回目は義務で読んでいるところもあったのですが、もう少し楽しみながら読もうと思い、今、2回目に突入しています。終わりを決めないで、用例も読みながらゆっくり。だからさっぱり進まないんです(笑)」


今野先生の『日国』メモ。ウルトラマンキャラクターのユニークな表紙にも注目!

第二版の改訂はどう行なわれたのか。

連載記事「来たるべき辞書のために」では、『日本国語大辞典 第二版』がテーマとなっている。では初版から第二版にかけて、何が変わったのか。

佐藤「『日国』には、“日本語のアーカイブ”という使命もあります。そこで第二版は、ひとつの大きなテーマとして、できるだけ古い用例を探すようにしました」

佐藤さんが『日国』の初版と第二版の紙面を見ながら、例に挙げたのは「はなし【話】」。

『日国』初版と第二版

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《①はなすこと。語ること。談話すること。会話。おしゃべり》という語釈に対し、初版では浄瑠璃『女殺油地獄』(1721)からの用例がとられていたが、第二版では評判記『野郎虫』(1660)の用例が追加された。これにより、①の語釈の使用例が61年遡ったことになる。さらに初版では省略されていた刊行年も付記し、誰もが、言葉の使われ始めた年代がわかるようにした。また、語誌や同訓異字なども追加し、より多角的に言葉を捉えることができるような工夫がされている。

佐藤「用例は、それが確かに存在したということが大事で、誰もが確認できるような本から探すようにしました。そのため、さすがにページ数こそ入れていませんが、第何章などその言葉が出てきた箇所(小書き)を示すようにしています。これは初版以来そうしています」

今野「実際に文献にあたるときに非常に便利になりましたね。辞書欄があるのもうれしい。とくに明治期の日本語の表記がわかるようになりました」

「はなし【話】」の項目から、今野さんは、紙版とオンライン版の「見た目」にも着目する。

今野「ひとつ押さえておきたいのは、たとえばジャパンナレッジで公開しているオンライン版の『日国』と、紙の『日国』は別物だ、ということです」

紙の『日国』は、縦書きだ。「追い込み」といって、ひとつの項目に対し、改行せずに情報をつなげて書き込んでいく。一方で、オンライン版の『日国』は横書きだ。改行も適宜なされ、「情報が整理されて読みやすい」と今野さんは評価する。

今野「横書きのすっきりと表示されたレイアウトを見ると、用例がこんなにも多くあったり、表記のバリエーションがわかったり……」

佐藤「見やすいし、検索しやすいですよね」

二人の考える“来たるべき辞書”とは

佐藤「辞書編集というのは、ひと言でいうと“削る”作業でした。字数に限りがあるので、語釈や用例の冗長な部分を削るなどして、調整していました」

今野「ネットの辞書だと、理屈としては日々の更新が可能になり、分量にも制限がありません。私は、辞書は完結した状態になっているものが大事だと考えています。日本語の語彙体系が大きな宇宙だとしたら、辞書はそのバランスを取った小さな宇宙です。その制限がなくなるとバランスがとれなくなるのではないか。いろいろな形があっていいと思いますが、“来たるべき辞書”は紙からデジタルへ、という単純な話ではないと思います」

佐藤「一時期、ツイッターの書き込みで『なう』が流行りましたが、インターネットでは日々情報が更新されます。このまま新しい情報が優先されて「上書き」していくと、ネットの辞書には『なう』しかなくなる。その場合、言葉の歴史が考えにくくなることはないか」

今野「『広辞苑』の新しい版が出ると、この語が入った入らない、というのがいつも話題になります。話し言葉はつねに“今”に触れている。でも書き言葉は“今”の情報を“未来”に伝える、“過去”の情報を“今”に伝える役割がある。明治の人がカバーしているものと、2019年の我々がカバーしているものの違いは何なのか? これは日本語アーカイブ的な考えにつながりますが……」

佐藤「辞書が完全にデジタルに移行してしまうと、第何版というものがなくなり、言葉の変化を追究しにくくなるおそれがある。とくに『日本国語大辞典』などのように、記録を旨とする辞典の典拠は、やはり紙を前提に考えざるを得ないのではないかと思います。ウェブの『日国友の会』に寄せられる投稿カードにも、編集部で確認できるように書誌情報と該当ページを必ず入れてもらうようにしています」

松井VS.山田、ふたたび?

佐藤「ちょっと居酒屋でトークしている感じになってきましたね(笑)時間もあまりないようですが、山田先生と松井先生に言及しないわけにはいきません。山田忠雄先生は、『日本国語大辞典』の初版が完結した後に、『近代国語辞書の歩み』という浩瀚な書を著され、その中で、批判をくわえられました」

『日本国語大辞典』の初版に対し、痛烈な批判をした国語学者で『新明解国語辞典』の編集主幹の山田忠雄が、今野先生の伯父にあたるという「因縁」も紹介された。

佐藤「あのなで肩で温和な松井(栄一)先生が珍しく怒られて、徹底的に反論しています。やはり大八車で資料を集めた松井簡治の反骨心を受け継いでるんだなあ、と」

今野先生は学生時代、山田から「和漢朗詠集は覚えていて当然だ」「大字典(上田万年編纂)の部首番号を全部覚えろ」という薫陶を受けたという。

今野「伯父は『日本国語大辞典』の底本になっている『名語記』などの本がダメだと痛烈に批判しましたね。いずれこの山田対松井のエピソードも佐藤さんとの連載で書きたいと思っています」

話は尽きず、「今野先生はことばを『伝達言語』と『詩的言語』に分けていますが、それは吉本隆明の『指示表出』と『自己表出』に対応しているような気がします。詩のことばをシニフィエの側から見ているのが今野先生、シニフィアンの側からが吉本隆明」(佐藤さん)というソシュールの言語学を援用した感想や、「本格的に洋装本を製本できるような技術が確立された明治20年頃に、国語辞典が刊行され始めた」(今野先生)という次に繋がる話題も飛び出し、盛況の内に幕を閉じた。

時間的制約もあり、この日、それぞれの考える“来たるべき辞書”の全貌が開陳されることはなかったが、いずれ連載「来たるべき辞書のために」の中や、2回目のクロストークイベントで明らかにされるであろう。

講演会前に行なわれた大学の本館見学ツアーも盛況だった。

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