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  11. 群書治要

群書治要

ジャパンナレッジで閲覧できる『群書治要』の日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

群書治要
ぐんしょちよう

中国、唐朝の太宗の勅命で魏徴 (ぎちょう)ら学識ある高官たちが編纂 (へんさん)した50巻の書。631年に成る。経書をはじめ正史や諸子の書六十数種から、為政者の参考となる箇条を抜き出してまとめたもの。中国では早く散逸したが、日本に伝わったものが皇室や武家に重宝され、1616年(元和2)駿河 (するが)で徳川家康により古活字版が印行されたのをはじめ、尾張 (おわり)藩の天明 (てんめい)版、紀州藩の弘化 (こうか)版と相次いで刊行され広く普及した。宮内庁書陵部には刊本の原本となった金沢文庫伝来の古写本(巻4、13、20原欠、全47軸)を伝存する。本書には『臧栄緒晋書 (ぞうえいしょしんしょ)』『桓子 (かんし)新論』などの逸書や『論語鄭玄 (じょうげん)注』『漢書蔡謨集解 (かんじょさいばくしっかい)』などの古逸注を含む点で重視される。

[池田 温]



『群書治要』[百科マルチメディア]
『群書治要』[百科マルチメディア]

古活字版(駿河版(するがばん)) 巻1 魏徴(ぎちょう)等撰 1616年(元和2)刊国立国会図書館所蔵


世界大百科事典

群書治要
ぐんしょちよう
Qún shū zhì yào

中国,唐代に作られた政治の参考書。秘書監の魏徴らが太宗の命を受けて編纂した。50巻。先秦から唐代までの,経・史・子三部にわたる67種の書物から,政治の要となる文章を抜粋し,書物ごとにまとめている。中国では早く失われたので《四庫全書》に収められていないが,日本の金沢文庫に伝存し,古活字本,尾州刊本などとして江戸時代に流布した。史料的価値は高い。
[勝村 哲也]

[索引語]
Qún shū zhì yào
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検索コンテンツ
1. 『群書治要』
日本史年表
戊午〉 6・26 助教直道広公、清涼殿で 『群書治要』 を講読(続後)。 898年〈昌泰元(4・26) 戊午⑩〉 2・28 醍醐天皇、紀長谷雄から 『群書治要
2. 群書治要画像
日本大百科全書
中国、唐朝の太宗の勅命で魏徴ぎちょうら学識ある高官たちが編纂へんさんした50巻の書。631年に成る。経書をはじめ正史や諸子の書六十数種から、為政者の参考となる箇
3. 群書治要
世界大百科事典
中国,唐代に作られた政治の参考書。秘書監の魏徴らが太宗の命を受けて編纂した。50巻。先秦から唐代までの,経・史・子三部にわたる67種の書物から,政治の要となる文
4. ぐんしょちよう[グンショチエウ]【群書治要】
日本国語大辞典
中国の書名。五〇巻。唐の貞観五年(六三一)、魏徴(ぎちょう)らが勅によって編した。経、史、子の三部六〇余種の書から、政治上の要項を抜粋して編纂したもの。中国では
5. ぐんしょちよう【群書治要】
国史大辞典
政治の要道を群書から採録した書。唐の太宗の貞観五年(六三一)、勅命によって魏徴が総裁となり、蕭徳言らが編集にあたった。五十巻。経・史・子部の六十八種の典籍から
6. 群書治要(著作ID:4383127)
新日本古典籍データベース
ぐんしょちよう 魏徴(ぎちょう) 等 奉勅撰 
7. 天皇誦習群書治要 (見出し語:群書治要)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 258ページ
8. 群書治要刊行 (見出し語:群書治要)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 1092ページ
9. 讀書始讀群書治要 (見出し語:群書治要)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 247ページ
10. 『群書治要』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
古活字版(駿河版するがばん) 巻1 魏徴ぎちょう等撰 1616年(元和2)刊国立国会図書館所蔵
11. 徳川光貞群書治要献納文写(著作ID:4366149)
新日本古典籍データベース
とくがわみつさだぐんしょちようけんのうぶんうつし 
12. ちょう【魏徴】(Wèi Zhēng)
世界人名大辞典
行ったが,太宗は畏敬の念を抱き,常に姿勢を正し聞いた.学者としては,皇室図書館である秘府の図書を校訂し《群書治要》を編纂.また責任者として,南北各王朝の歴史書を
13. あな に す
日本国語大辞典
穴に埋める。生き埋めにする。*金沢文庫本群書治要文永四年点〔1267〕二四「儒を坑(アナニセ)し」*社会百面相〔1902〕〈内田魯庵〉附録「秦皇を学んで書を焚き
14. あんせい【安政】
日本国語大辞典
の変ののち、三月一八日万延元年となる。将軍は一三代徳川家定、一四代家茂(いえもち)。出典は「群書治要」の「庶人安〓政、然後君子安
15. あんせい【安政】
国史大辞典
嘉永七年十一月二十七日改元。内裏炎上、近畿地震、異国船渡来等の変異による。前権大納言菅原聡長の勘申。出典は『群書治要』三八「庶人安〓政、然後君子安
16. 佚存書画像
日本大百科全書
れて現存せず、かえって日本にのみ伝存している書籍をいう。たとえば唐の魏徴ぎちょうが編集した『群書治要』は本国ではすでに宋そう代に失われたが、鎌倉時代の金沢文庫や
17. えいろく【永祿】
日本国語大辞典
ひで)・義昭(よしあき)の時代。永祿一一年には織田信長が入京、天下統一の端を開いた。出典は「群書治要‐二六」に「能保〓世持
18. えいろく【永禄】
国史大辞典
正親町天皇の時の年号(一五五八―七〇)。弘治四年二月二十八日改元。代始による。権中納言菅原長雅の勘申。出典は『群書治要』二六「保〓世持
19. えんりゃく【延暦】
国史大辞典
桓武・平城両天皇の時の年号(七八二―八〇六)。天応二年八月十九日改元。即位による。勘申者、出典は不明。『群書治要』二六に「民詠〓徳政
20. おかだ‐しんせん【岡田新川】
日本国語大辞典
字は挺之。尾張の人。藩儒松平君山に学ぶ。藩学明倫堂教授に任ぜられ、のち督学となって学政を総理した。「群書治要」中から抄刊した「孝経鄭注」は清朝に伝わって鮑延博の
21. 尾張国
世界大百科事典
編纂し好学の藩風をつくり,尾張独自の考証学風を生み出した。河村秀根の《書紀集解》30巻や岡田新川らによる《群書治要》の校刊と《孝経鄭氏解》の刊行,鈴木朖の《言語
22. 片山兼山
日本大百科全書
つけた『山子点さんしてん』を刊行して世に知られ、その学問は「山子学」とよばれた。晩年、尾張おわり藩の『群書治要』校刻に関与した。『山子垂統』(1775)『山子遺
23. 片山兼山
世界大百科事典
批判して漢宋諸家の説を折衷する一家の見を立て,折衷学の提唱者として井上金峨と並称された。晩年,尾張藩の《群書治要》の校刻に参与し,中途で病没した。四書五経に山子
24. かねさわぶんこ【金沢文庫】神奈川県:横浜市/金沢区/六浦寺前村地図
日本歴史地名大系
に励んだ。「文選集注」一三巻一九軸(金沢文庫保管)は実時が収集したもので、経書・史書の集成「群書治要」五〇巻の書写・校合は、その奥書によれば死の前年まで続けられ
25. 金沢文庫(かねさわぶんこ)
日本大百科全書
政道と学問に関心が深く、早くから儒家清原教隆きよはらののりたかに師事した。その学んだ和漢の書は、『群書治要ぐんしょちよう』『春秋経伝集解しゅんじゅうけいでんしっ
26. 寛平御遺誡
日本大百科全書
紀長谷雄きのはせおらの名をあげて積極的意見を述べ、なかでも道真を信任すべきことを記す。また『群書治要』(唐、魏徴ぎちょう撰せん)を帝王学の必読書としていることは
27. きでん‐どう[‥ダウ]【紀伝道】
日本国語大辞典
じまるが、実質的な学習は奈良時代にも行なわれていた。紀伝。*新儀式〔963頃〕四・御読書事「群書治要或用〓明経記伝各一人
28. 紀長谷雄
世界大百科事典
道真の門に学ぶ。対策に及第し文章博士,大学頭となり,《漢書》《文選》等を進講,右大弁に任じ《群書治要》を進講。遣唐副使に任ぜられたが,遣唐使廃止のため派遣停止。
29. きよはらののりたか【清原教隆】画像
国史大辞典
設とは教隆の刺激と影響とによることが大きい。第二の功績は金沢文庫旧蔵で現在宮内庁書陵部蔵の『群書治要』四十七軸のうちの二十八軸が教隆みずからの訓点であること(他
30. 清原教隆[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『群書治要と清原教隆』武内義雄
31. きんちゅうならびにくげしょはっと【禁中〓公家諸法度】
国史大辞典
主任として準備を始め、参考資料を諸家から提出せしめ、また五山の僧を駿府あるいは京都の南禅寺に集めて『群書治要』などの諸書から抄出せしめ、大坂の陣中もこれを続行し
32. 禁中并公家中諸法度
日本大百科全書
明らかにし、金地院崇伝こんちいんすうでん(以心崇伝)・儒官林道春どうしゅん(羅山らざん)をして『群書治要ぐんしょちよう』『続日本紀しょくにほんぎ』等の記録の書写
33. きんぴしょう【禁秘抄】
国史大辞典
〓群書治要〓」という言葉も示してある。
34. 魏徴画像
日本大百科全書
纂へんさんにも携わって良吏と称せられた。ほかに彼の関係した書物には『類礼るいれい』20巻、『群書治要ぐんしょちよう』50巻(奉勅撰、ほぼ現存)がある。金子修一
35. 魏徴
世界大百科事典
公諫録》にみえ,〈述懐〉と題する詩は《唐詩選》の巻首におかれている。《隋書》を含む五代史や《群書治要》を編纂した。礪波 護 Wèi Zhēng 魏徴玄成 魏鄭公
36. 慊堂日暦 3 42ページ
東洋文庫
偲文韻府四百四十三巻、拾遺一百一十二巻。七経孟子考文補遺二百六巻。群書治要。李嬌雑詠二巻、日本国本。○厳師〔林述斎〕の春初偶述飽暖にして老ゆるを知らず、悠々とし
37. 慊堂日暦 4 286ページ
東洋文庫
野迷庵・狩谷液斎〕が校せるところの群書治要を得たり。福山の塩田屯が写せるところなり。また渋江氏をよぎり、遂に天龍寺の板翁の墓を払い、上香しおわって求古〔狩谷校斎
38. 慊堂日暦 4 289ページ
東洋文庫
砲洲の旧誼は忘るべからず。非糸。長公〔林樫宇〕、南山集序、唐韻。相公〔太田資始〕、唐韻、玉篇影抄本、群書治要校本。〔自筆本では+日の箇条の後に記されている、備忘
39. 慊堂日暦 5 40ページ
東洋文庫
魯輔還って云々と報ず。漢鏡。吾作明寛(止)世無双』尚方作立兄(止)富昌貴且』李氏作寛(止)……不詳』群書治要。四・十三・二十、凡そ三巻は旧闘く。○扶桑一統志・日
40. 慊堂日暦 5 41ページ
東洋文庫
州、丹後、本国美含郡・気多郡)。十六日 雨。殊に寒し。伊沢長安は、求古楼の元板博青図・駿河板群書治要二箱を致す。即ち一書を作って、併せてこれを小田切藤軒に送る。
41. 小梅日記 1 幕末・明治を紀州に生きる 176ページ
東洋文庫
併る処広田杢之右衛門より逢申度儀有之候間、只今可罷出と申来るに付行。願書十五通差出す。扱右逢候処、群書治要へ点付候様にとの事。早速致申と直に廻状廻す。明十一日学
42. 小梅日記 1 幕末・明治を紀州に生きる 177ページ
東洋文庫
残物にて一つ出す。夕方八十一郎来る。酒出す。学校へ行。其余何事もなし。●十二日 お城へ行。一昨日仰出されし群書治要の事に付、人数且入用之品の事申出、昨日広田杢之
43. 小梅日記 1 幕末・明治を紀州に生きる 211ページ
東洋文庫
家中計にて外に人なし。七つ過帰り、灸治して、夕方より両人津田岩吉方へ悦に行。①十六日 学校え群書治要点付に付行。あられ降来る。増吉かさ持行。三浦へも行。七つ過帰
44. 小梅日記 1 幕末・明治を紀州に生きる 213ページ
東洋文庫
快晴。風呂たく。昨日広田杢之右衛門より逢申度儀御座候に付、明日出候へとの事に付、今日登 城。群書治要早くせよとの事。るす中広田より手紙。鈴木甚左衛門え申立等相談
45. 小梅日記 1 幕末・明治を紀州に生きる 217ページ
東洋文庫
九日に高村に能御座候。御覧被成候は父同日私寺へ向御出被下よとの事。るすゆへ返事せず。〇七日 学校え出。群書治要三部御挟箱へ入、石井徳次郎も相したがへ御用部やへ差
46. 小梅日記 1 幕末・明治を紀州に生きる 224ページ
東洋文庫
、石面へ其由来書候様にと被 仰付、右認め。〇二日石の下書差出、品により又清書致す筈。登 城、群書治要点付の事に付色々相談且書物代御下枝下、江川甚蔵へ渡す。広田杢
47. 国文学全史 1 平安朝篇 73ページ
東洋文庫
孟子は尚ばず。延暦十七年、公羊、穀梁の二伝を加えて小経に準ず。大中小の九経の目かくて全く唐に倣えるなり。群書治要、顔氏家訓の如き、また屡々君臣の間に学習せらる。
48. さんじょうにしけじゅうしょこもんじょ【三条西家重書古文書】
国史大辞典
収められている。『史料編纂所図書目録』写本一に主な所収史料の目録が収められているが、著名なものに『群書治要』残簡、前田家本『小右記』断簡などがある。しかし、これ
49. 尸子
世界大百科事典
中国古代の思想書。雑家の書とされる。20編。宋のころ亡失し,今は唐の《群書治要》など諸書に引かれた短文を集めた上下2編の本である。尸子の名は佼,晋の人で秦の商鞅
50. 静岡(県)画像
日本大百科全書
徳川家康の駿府在城時には、駿府は政治、経済、貿易、文化の中心地であり、家康により駿府文庫が設けられ、『群書治要ちよう』などが出版された。江戸時代、県下は上方かみ
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