解説・用例
仏教説話集。「にほんれいいき」ともいう。三巻。薬師寺の僧、景戒撰。弘仁年間(八一〇〜八二四)頃成立。雄略朝から嵯峨朝に至る因果応報説話一一六篇を、ほぼ年代順に漢文体で記述。日本最古の仏教説話集。正称は日本国現報善悪霊異記。霊異記。
仏教説話集。日本の説話文学集の始祖的作品。〈にほんれいいき〉とも呼び,正式書名は《日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんぽうぜんあくりよういき)》,通称《日本霊異記》,略して《霊異記》ともいう。奈良薬師寺の僧景戒(けいかい)/(きようかい)撰述。成立は最終年紀の822年(弘仁13)以後まもないころ,ただし787年(延暦6)には原撰本が成るか。上中下3巻に116条の話を収める。各巻に序があり撰述目的も記す。人間の善・悪の行為はその現世の身に善・悪の結果をもたらすという〈現報善悪〉の因果の理の実在を確信し,その例話として唐土のものでなく〈自土〉(日本)の奇事を編集して示し,これを規範として善行を勧め,ともに極楽往生しようと呼びかけている。その〈奇(あや)しき記〉=〈霊異の記〉をそのまま書名とした,唱導教化のための実例集である。説話の年代は5世紀後半の雄略天皇の代から嵯峨天皇の代の822年までとなっている。ほぼ年代順に並べ,日本仏教史を説話集という形で試みた面もある。崇仏政策をとった聖武天皇代の話が中巻のほとんどを占め,おおよそ上巻は聖武以前,下巻は聖武以後のことを記す。各巻冒頭部や類似説話の隣接などに,一書として構想した配慮がみえる。説話にとりあげられる地方は上総,信濃から肥後まで約37ヵ国に及ぶが,大和を中心に畿内が約3分の2,次いで紀伊が多い。新宗教の普及における修行僧,郡司,民衆らの動き,各地の氏寺,山寺,辺地から話を運んだルートなども知ることができる。
収められた説話の多くは民衆相手の説教の材料であったと思われる。登場者は200余人,貴賤,職業,男女を問わず,すべての人が因果の理に律せられ,それは僧も,そして景戒自身さえも例外ではない。地獄・極楽も未分化の姿で描かれ,そこに往還する人の話もある。また長屋王の失脚などの話には正史と異なる点もあり,牛,狐,雷,髑髏(どくろ)なども輪廻(りんね)や報恩の話に登場する。法華経の功徳や観音菩薩を信敬する除災招福の善報のほか,民間信仰や神仏融合にかかわる話も収められている。世情,人心の腐敗堕落を嘆く景戒がとりわけ尊崇する人は,聖徳太子,行基,聖武天皇である。しかし乞食同然の人にも〈隠身の聖(ひじり)〉を見いだし,無名の庶民の善行を讃えている。大枠としては律令国家体制側に近い立場に立っているともいえるが,個々の説話をとってみると反体制側に立つ話や発言が目だつ。とくに未公認の私度僧(しどそう)の活躍は官寺の僧の比ではなく,そうした記述のなかから半僧半俗の景戒の経歴も知ることができる。景戒は各説話末に結語を付記し,話題の解説,批評とともに自身の信仰を確かめ厳しく自戒する。その気迫も本書の魅力であり,時流世相を鋭くえぐり描き,強固な信念を説話集という形の中に貫こうとした試みは特筆に値しよう。本書は口承・書承の諸資料を種にしたと思われるが,《冥報記(みようほうき)》などの中国文献や諸経典も引用されている。一方,本書の説話は《本朝法華験記(ほつけげんき)》《三宝絵詞(さんぼうえことば)》《今昔物語集》などの説話集のほか,霊験記,縁起,高僧伝などへと引用され受けつがれていく。仏教や文学はもちろん,歴史,民俗,社会,経済,国語等の諸部門においても重要な古典である。
平安初期の仏教説話集。正しくは『日本国現報善悪霊異記』。「にほんれいいき」とも読む。三巻。薬師寺の僧景戒(きょうかい)著。822年(弘仁13)ごろ成立。雄略(ゆうりゃく)天皇から嵯峨(さが)天皇までの説話116条を上・中・下三巻に分かち、年代順に配列する。各巻冒頭には序文を付す。所収話の多くは、書名に記されたごとく、善悪の応報を説く因果譚(いんがたん)である。
上巻序文には、混迷する世相のなかで、応報の仮借なきありようを示すことで、人心の善導教化を図ろうとする著者の意図が明瞭(めいりょう)に述べられている。唐の唐臨『冥報記(めいほうき)』などの影響を受けて撰述(せんじゅつ)され、話型そのほかにこうした中国渡来の説話集との類縁を示すものも少なくない。しかし、所収話のすべては日本国のできごととして把握され、むしろ仏験の霊異がわが国にも及びえたことの不思議を随喜し、この国を天竺(てんじく)、唐土に比肩すべき土地として、矜持(きょうじ)とともにとらえようとする姿勢が顕著に現れている。これらの所収話の多くは、著者の生きた奈良朝末から平安初期の仏教界の最底辺に語り伝えられた話であり、説話の内部に著者の私度僧(しどそう)時代の布教体験が色濃く影を落としている。当時、私度僧の理想像であった行基(ぎょうき)を「隠身(おんしん)の聖(ひじり)」の顕現として高く評価していることも、そうした私度僧の信仰の実態を反映するものといえよう。一方、本書には、聖武(しょうむ)朝をわが国仏教史の頂点として位置づけ、中巻のすべてをこの時代の説話で埋めようとする姿勢もみいだされ、特異な歴史意識の現れをうかがうことができる。本書の説話には、前代までの神祇(じんぎ)信仰が仏教的な世界に包摂・同化される過程が鮮明に描き出されており、官寺仏教とは異なる民間仏教草創期の信仰の様態を知るうえで興味深い。
現存するわが国最初の仏教説話集として、後の『法華験記(ほっけげんき)』『三宝絵詞(さんぼうえことば)』『今昔(こんじゃく)物語集』などに多大な影響を与えた。伝本には、真福寺本、興福寺本、前田家本、来迎(らいごう)院本などがあるが、その訓釈は、国語史の資料としても貴重である。
[多田一臣]
書名我が国最古の仏教説話集。『日本国現報善悪霊異記』の略で、『霊異記(りょういき)・(れいいき)』とも。弘仁年間(八一〇~八二四)に成立。僧景戒(きょうかい)編。奈良時代を主とする説話百十余編を集め、因果応報の理を漢文体で説いている。
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