JKボイス お客様の声知識の泉へ
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2004年12月

JKボイス-私はこう使っています:ジャパンナレッジ 特別寄稿・百科事典と私

貴志 祐介さん
(きしゆうすけ)
作家。1959年大阪府生まれ。96年に『十三番目の人格(ペルソナ)─ISOLA』で日本ホラー小説大賞の佳作、97年『黒い家』で同賞の大賞を受賞。ほかに『硝子のハンマー』『青の炎』など著書多数。
 「黒い家」や「青の炎」の作品で知られる貴志さんは、知る人ぞ知る百科事典愛好家だ。子どものころから百科事典を“読み物”として接してきた貴志さんに、百科事典との出合いや思いを綴ってもらった。

子どもにこそ見せたい広大無辺な知の地平

 初めて百科事典に触れたのは小学校一年生のとき、1960年代半ばの高度成長期で、百科事典の訪問販売も全盛だった。

 セールスマンが応接間のテーブルに置いた見本から、私は目を離せなくなってしまった。つるつるした上質紙のカラー図版に、すっかり魅せられてしまったのだ。今から思えば、子供向きの分野別百科事典にすぎなかったのだが、人類の巨大な知の世界を覗き込んでいるという身震いするような興奮があった。

 かなり高価な買い物だったらしく、両親はあまり乗り気ではなかったが、私は何としても欲しくなり、一生懸命ねだった。セールスマンは何と利発な子供だろうという満面の笑顔で私を見た。その瞬間成立した我々の共闘は実を結び、私は自分の百科事典を手に入れ、セールスマンはノルマの達成へ前進した。

 分野別ということもあって、私にとっての百科事典は引くものではなく、最初から読むものだった。最も面白かった『生物』の巻はすり切れるほど読み耽り、やがて、それほど興味のなかった『天文・地球』や『熱・音・光・電気』等の巻にも手を伸ばすようになった(巻名はかなり適当である)。私は乾いたスポンジが水を吸うがごとく知識を吸収し、濡れたスポンジから水が蒸発するように片端から忘れていった。少しでも覚えていたら、後に、物理で赤点を取ることもなかったはずなのだが。

 とはいえ、一度かいま見た巨大な世界への思いは、私の中に終生消えない影響を残した。細かい知識など、どうでもいい。子供には、知の地平の広大無辺さを見せてやることが、何より大事なのだ。

 旧文部省の『ゆとり教育』なる世紀の愚策は、(学習)指導要領の範囲を超えるという理由で、教科書から蝶の図版を削らせたという。昔はそこまで馬鹿げたことはなかったが、私の脳が公教育の破壊的影響を免れたのなら、自由に乱読した本と百科事典のおかげだろう。

最初のボーナスで買った「日本大百科全書」

 その後、本格的な百科事典を手にしてからも、引くより読むという意識は変わらなかった。何を隠そう、社会人になって最初のボーナスで買ったのも、「日本大百科全書」だった。

 五十音順には、調べていた以外の項目にも目が留まり、新たな知識を得られるというメリットがある。カワウソならぬ『ウミウソ』という動物がいることを知ったのも、そうした偶然からだった。この知識は、後年小説家になってから、「青の炎」という作品に使わせてもらった。

 『ステラーカイギュウ』という項目を見たときの驚きも記憶に新しい。イラストを見て、何だジュゴンだと思ってはいけない。何と、体長9~11メートル! しかも、『1962年まで散発的には発見の報告があった』という。もしかしたら、私とステラーカイギュウは同時期に地球上に存在していたかもしれないのだ。

 百科事典は、人類の知の集積であるだけではなく、これほど想像力を掻きたててくれる面白い読み物は、まずないのである。

 現在、その百科事典は、ウミウソのごとく絶滅危惧種と言われているが、ステラーカイギュウのように絶滅することはないはずだ。

 すでに百科事典は、DVD-ROM化することで、着実な変化を遂げている。重くかさばる紙の百科事典では、『索引』の巻を使いこなす技量も問われたが、PC版では、いかなる検索も瞬時に行えるようになった。

 さらに、ジャパンナレッジのようなサイトへと進化することで、マルチメディアに対応するだけでなく、インターネットの膨大な知的資源を発掘・活用する司令塔としての役割をも担っていくことだろう。

 百科事典の新たな黄金時代は、もう、すぐそこまで来ているのかもしれない。