『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 2 「振仮名について 」目次

  1. 1. 今野真二:右側の振仮名・左側の振仮名 2019年05月15日
  2. 2. 今野真二:ことばのつながり 2019年05月22日
  3. 3. 今野真二:「juggler」と「ヂヨッグラー」 2019年05月29日
  4. 4. 佐藤宏:左右の振り仮名に「ことばのつながり」を見る 2019年06月05日

振仮名について
Series2-2

ことばのつながり

今野真二より

 前回は『西国立志編』の左振仮名、右振仮名、左右両振仮名について紹介した。そしてその中に、漢字列「市尹」に右振仮名「ロードメーヨア(Load Mayor)」、左振仮名「マチブギヨウ(町奉行)」のような場合があることを述べた。これは右振仮名が「外国語(外来語)」で左振仮名が(この場合は)「和語+字音語」の「混種語」である場合だ。

 『日本国語大辞典』は「ロードメーヨア」を見出しにしていない。それどころか、範囲を「全文(見出し+本文)」に設定して検索をかけてもヒットしないので、『日本国語大辞典』のどこにも「ロードメーヨア」はないことになるが、これはいたしかたないだろう。ヒットしないことも一つの「情報」で、つまりこの語形はあまり使われることがなかったのだろう。

 「マチブギョウ(町奉行)」はもちろん見出しになっているし、「シイン(市尹)」も見出しになっている。後者は次のように記されている。

しいん【市尹】〔名〕(「尹」はおさ・長)市を治める者。市のおさ。市の長。*日本外史〔1827〕一〇・足利氏後記「或走告之市尹」*新令字解〔1868〕〈荻田嘯〉「市尹 シイン 町奉行」*米欧回覧実記〔1877〕〈久米邦武〉二・三七「裁判官の儀飾、及び髢(かつら)と、此にて見たる、市尹の儀仗など、みな古きより伝はる、礼儀のものと見へたり」

 『新令字解』は明治維新後に、販売された最初の辞書であることがわかっている。見出しとしている漢語は904語で必ずしも多くはないが、明治2(1869)年に出版された『漢語字類』とともに、後続の漢語辞書に多大な影響を与えたことが指摘されている。『漢語字類』の見出しは4340語である。その『新令字解』は漢語「シイン(市尹)」を「町奉行」と説明している。さきほどの『西国立志編』の例とつきあわせると、すがすがしい気持ちになる。「すがすがしい」は妙な表現かもしれないが、「この頃はそういう理解だった」ということが二つの文献によっていわば証明されている。ちなみにいえば、『日本国語大辞典』は『新令字解』を288回使用例として掲げている。『漢語字類』は582回なので、『漢語字類』のほうが多く使用例として示されていることがわかる。これは両辞書の見出し数の違いにかかわるかもしれない。

 話を戻せば、明治初期において、漢語「シイン(市尹)」と「マチブギョウ(町奉行)」とは結びつきを形成していた。こういうことが『日本国語大辞典』を使う人すべてによみとれるようになっているといいのだが、よみとるためには少しトレーニングというか、「感覚」というか、そういうことが必要かもしれない。

 さて、『西国立志編』からもう一つ具体例をあげたい。8編の19話は「那比爾(右ナピール)印度(右インヂヤ)ノヂヨッグラー(左テヅマツカヒ)ヲ試ミル事」というタイトルの話だ。「ナピール」はイギリスの将軍でインドの最高司令官であったチャールズ・ジェームズ・ネイピア卿(1782-1853)のこと。この話には「ヂヨッグラー」という語が繰り返し使われているが、そのすべてに、左振仮名「テヅマツカヒ」が施されている。「ヂヨッグラー」は「juggler」のことと思われる。

 『日本国語大辞典』の見出し「てづまつかい」には次のように記されている。

てづまつかい【手妻遣】〔名〕手品師。手品つかい。*滑稽本・東海道中膝栗毛〔1802~09〕五・上「アリャ大津の釜七といふ、ゑらい手づまつかひじゃげな」*風俗画報‐一〇〇号〔1895〕手品「眩人(めくらまし)なれば呪師と云るなるべし。後世の手(テ)づまつかひのごとき者にはあらず」*明暗〔1916〕〈夏目漱石〉二二「一生懸命に手品遣(テヅマツカ)ひの方ばかり注意しだした」

 この見出しでは「てづまつかい」と「ヂヨッグラー」との結びつきは確認できない。「『西国立志編』はかなり使われているのだから」と思って、今度は「ヂヨッグラー」を探してみる。見出しにはなっていないので、「全文(見出し+本文)」で検索をかけてみると、ありました、ありました。見出し「しゅじょう(手上)」の使用例中に、「西国立志編〔1870~71〕〈中村正直訳〉八・一九「橙子を手上に置き、吾腕を固く伸せば、ヂヨッグラー、その身を整へ、剣を閃かす」があげられていました。やはり8編19話です。この例の箇所を所持している版本で確認してみると、「橙子ヲ手上ニ置キ、吾ガ腕ヲ固ク伸セバ、チヨッグラー、ソノ身ヲ整ヘ、劔ヲ閃カスカト見ヘシガ、忽チ橙子ハ両段トナレリ。」(14丁表9-10行)とある。そして2回使われている「橙子」の初めには左振仮名「ダイダイ」、「腕」には(なぜか)左振仮名「ウデ」、「チヨッグラー」には左振仮名「テヅマツカヒ」が施されている。ここですべてでなくてもいいが左振仮名「テヅマツカヒ」を使用例の「情報」として示してくれれば、『日本国語大辞典』内で、ぎりぎり「ヂヨッグラー」と「テヅマツカイ」とのつながりが示されるのに、と思ってしまう。使用例にまで、振仮名を付けることがたいへんであることはわかる。だから、それはきっと実現しにくいことであろう。しかし、前回述べたように、『西国立志編』はいろいろな面で、明治初期の日本語の状態を窺うことができる文献であることはわかっている。せっかくその文献を使っているのだから、その文献が内包している「情報」をできるかぎりとりこんでほしいと思う。「『西国立志編』強化隊」を組織したらどうだろう。検索をかけて3467件をあらいだす。その使用例を一つ一つ版本と付き合わせていく。使用例中に出てくる左振仮名や右振仮名のうち、現在は省略してあるものを改めて加える。これだけでも、『日本国語大辞典』はより強力になるのではないだろうか。ちなみにいえば、この8編19話にはタイトルを含めて8回「チ(ヂ)ヨッグラー」が使われているが、「チヨッグラー」が4回、「ヂヨッグラー」が4回だ。もともとの英語が「juggler」であるとすれば、「ヂヨッグラー」がよさそうだ。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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