用例について
Series21-2
前回は小型の国語辞書が用例についてどのようにとらえ、どのように辞書の中に採り入れているかについて整理した。その結果、辞書における用例には、①語句の「使い方」を示すための「用例」と②当該語句が実際に使われた例という意味合いでの「用例」とがあることがわかってきた。
①は使い方を示すためのものであるので、辞書編集者が内省に基づいて作った例=作例であってもよく、②は「実際に使われた例」=実例であるから、典拠を示すことによって、辞書編集者以外の第三者も、その例を確認できる。①が②に基づいていても不都合はないので、そう考えると①と②とは(内実において)近づく。以下、本稿内では、「実例」という語を、「実際に使われた例」という意味合いで限定的に使うことにする。辞書編集者が内省に基づいて作った例は「作例」と呼ぶことにするが、それが適切であれば、「実例」として確認ができる可能性がたかい。つまり、辞書が見出しにしている語句を、辞書使用者が使うということを考えた場合には、示されている「用例」が「作例」であるか「実例」かはあまり違いがないともいえよう。
しかし、辞書が見出しにしている語句を、辞書使用者が使おうとしているということを離れた場合、例えば、それが現代日本語ではない場合には、「用例」の意味合いは変わってくる。例えば「ガンクウ(頑空)」という漢語を辞書で調べる場合、そもそも「ガンクウ(頑空)」という語に遭遇したのは、おそらく「はなしことば」においてではなく「かきことば」においてであるはずで、まずは語義を調べるために辞書を使うことになるだろう。この語を『日本国語大辞典』で調べてみると次のように記されている。
がんくう【頑空】
〔名〕(形動)
実体とか本体とかいえるものがまったくなく、むなしいこと。
*十善法語〔1775〕三「この虚空も頑空無記にあらず」
*偽悪醜日本人〔1891〕〈三宅雪嶺〉序「凶は以て吉を進むるの力たることあれば、頑空にして物なからんよりは、寧ろ其れ凶あれ」
用例として「十善法語」と三宅雪嶺の「偽悪醜日本人」とがあげられている。これらが作例でないことはいうまでもない。これらは、使い方を示すためではなく、「実際に使われた例」としてあげられていることはあきらかである。
先に「典拠を示すことによって、辞書編集者以外の第三者も、その例を確認できる」と述べた。自身が文章を書くにあたって、『広辞苑』にはこのように記されています、と述べる場合、「このように」が『広辞苑』の記述と一致していればそれでいいことになる。つまり、「『広辞苑』に責任をとってもらう」ということだ。「『日本国語大辞典』で調べてみると次のように記されている」と述べた場合は、それが『日本国語大辞典』の記述と一致していればよい。「次のように記されている」と述べたことに嘘偽りはなく、『日本国語大辞典』にあたれば、第三者がそのことを確認できる。これは『広辞苑』や『日本国語大辞典』をスタートとするという考え方といってよい。「スタート」なのだから、それ以上前の地点にはふみこまない。「それ以上前の地点」は『日本国語大辞典』が責任を負う地点ということになる。
しかし、『広辞苑』や『日本国語大辞典』の記述は適切なのか、という疑問または問いをたてた場合には、スタート地点よりも前の地点を検証する必要がでてくる。あるいは『日本国語大辞典』を過去の日本語の「アーカイブ」としたいと思えば、「スタート地点よりも前の地点」に至る「道筋」だけは確保できるようになっていなければならないことになる。その「道筋」が確保されていれば、必要になった時に、「スタート地点よりも前の地点」を探ることができる。
紙版の『日本国語大辞典』には「別冊」が附録にされており、その「別冊」に「主要出典一覧」が掲げられている。「別冊」の見返しには「この冊子の使い方」が示されており、「主要出典一覧」に関しては「「日本国語大辞典 第二版」は、三万余の文献から用例文を収録していますが、それらの文献のうち頻出するものを掲げました。これによって、その文献の成立年または刊行年、作者または編者、あるいは、この辞典で用いたテキストなどがわかるようになっています。引用文献の作者や編者を知りたい場合、原文についてもっと知りたい場合などにご利用ください」とある。
「主要出典一覧」で「十善法語」と「偽悪醜日本人」とを調べてみると次のように記されている。①は「作者または編者名」、②は「成立年・刊行年」、③は「底本名」、④は「補助注記」にあたる。オンライン版で「範囲」を「用例(出典情報)」に設定して、「十善法語」で検索すると728件、「偽悪醜日本人」で検索すると180件のヒットがある。
十善法語①慈雲②一七七五③慈雲尊者全集④仏教
偽悪醜日本人①三宅雪嶺②一八九一刊③明治文学全集④文明評論。なお、三宅雪嶺が引いた論文については明治文化全集によった。
大学の授業において日本語についての情報を得ようとした場合、『日本国語大辞典』にあたることが求められることは多いだろう。筆者も、自身が担当している日本語学の科目では、必ずあたるように指示をしている。オンライン版の使い方を説明した短い説明動画も作ってあり、それを視聴して学生に使い方に慣れてもらうようにしている。学部の1年生、2年生であれば、まずは『日本国語大辞典』が自由自在に使えるようになってほしい。3年生や4年生、卒業論文を書くということになれば、『日本国語大辞典』にこうあります、を超えて、出典にあたって確認をするということもしてほしい。次回はこの「超えて」ということについて述べたい。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は11月2日(水)、今野教授担当です。
ジャパンナレッジの「日国」の使い方を今野ゼミの学生たちが【動画】で配信中!
“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
『日国』に未収録の用例・新項目を募集中!
会員登録をしてぜひ投稿してみてください。
辞書・日本語のすぐれた著書を刊行する著者が、日本最大の国語辞典『日本国語大辞典第二版』全13巻を巻頭から巻末まで精読。この巨大辞典の解剖学的な分析、辞書や日本語の様々な話題や批評を展開。