洋菓子名という「新語」
Series9-3
昭和4(1929)〜5(1930)年に平凡社から「令女文学全集」全15巻が出版されている。全15巻は次のようになっている。
1 加藤武雄 『春のまぼろし』
2 福田正夫 『荊の門』
3 長田幹彦 『嘆きの夜曲』
4 吉屋信子 『白鸚鵡』
5 南部修太郎 『白蘭花』
6 北川千代 『小鳥の家』
7 生田春月 『愛の小鳥』
8 岩下小葉 『秘密の花園』
9 片岡鉄兵 『夜明前の花畑』
10 横山美智子 『処女の道』
11 加藤まさを 『月見草』
12 西條八十 『令女詩集』
13 三上於菟吉、長谷川時雨 『春の鳥』
14 三宅やす子 『ゆめの花』
15 水谷まさる 『海のあなた』
『令女詩集』を読んでいくと、次のような語が使われていることに気づく。振仮名は必要と思われる箇所以外は省いた。1の「螺田」はあるいは「螺鈿」とあるべきか。
1: とめて下さい、後生です、
赤いリボンの手綱して、
二頭の黒い馬が曳く
螺田(あをがひ)いろのあの馬車を。(4頁)
2: 朝の雨より
まだ細く、
豌豆(ゑんど)の蔓より
まだ細く
螽斯(ぎつちよ)の髭より
まだ細く、(24頁)
3: 春の晴衣(はれぎ)も今年から
自分で縫へたうれしさよ、
廊下へ来れば、チリチリリン、
友から掛る初電話(はつでんわ)。(42頁)
4: されどもアントニオが待つ
財貨(たから)を積める巨船(おほぶね)は
嵐に遭ひて、あへなくも、海底(うみぞこ)深く沈みけり。(61頁)
5: 昔おもへば糸の毬、
君ゆゑに編むリリアンを
秘めた袂であつたもの。(132頁)
6: 色うつくしきパラソルも、
男々しき声の合唱(コーラス)も、
松吹く風と消えうせて、
はるかに青し秋の海。(195頁)
7: 大きな禿鷹(はげだか)
沖から飛んできた
波の静かな朝の話(216頁)
8: 私はその石垣の外にギタルラを弾いてさまよふ
若い、雄々しい騎士を想ひます、それから
薔薇の花園の中でそれに耳澄ませてゐる
美しいお城の姫を。(228頁)
1「ラデン(螺鈿)」の材料になるヤコウガイ、オウムガイなどを「アオガイ(青貝)」と総称するが、ここでは「アオガイイロ」という語が使われている。『日本国語大辞典』は「あおがいいろ」を見出しにしていない。
2振仮名「ゑんど」は「エンドー」の短呼形であろう。『日本国語大辞典』は見出しにしていない。ただしことばのリズムを整えるために短呼形を使った可能性はあるとみておいたほうがよいだろう。「螽斯」は「キリギリス」にあてられる漢字列で、「ギッチョ」はキリギリスの異名。『日本国語大辞典』は見出し「ぎっちょ」に『物類称呼』(1775)と『重訂本草綱目啓蒙』(1847)を使用例としてあげている。「令女文学全集」中で「ギッチョ」が使われていることには注目したい。
3「ハツデンワ(初電話)」は臨時的な造語かもしれないが、『日本国語大辞典』は見出しにしていない。
4『日本国語大辞典』は「うみぞこ」を見出しにしている。しかし、そこに示されている使用例は「うみそこ」であるようにみえる。
5『日本国語大辞典』の見出し「リリアン」には次のようにあるので、『令女詩集』の使用のほうが早い。
リリアン
〔名〕
({英}lily yarn )《リリヤーン・リリヤン》手芸用の組糸。人絹糸をメリヤス編みにして細く丸いひもにしたもの。
*プロレタリヤの女〔1932〕〈平林たい子〉二「リリヤン細工の人絹糸を指に搦ましていた」
*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉昔カレー「茶の間の電灯はうす暗かった。傘に緑色のリリアンのカバーがかかっていた」
6『日本国語大辞典』の見出し「パラソル」には次のようにある。
パラソル
〔名〕
({英}parasol )《パラソール》日よけ用の洋傘。日傘。多くは婦人用。《季・夏》
*不如帰〔1898~99〕〈徳富蘆花〉下・八・一「二十計りの淑女は黒綾の洋傘(パラソル)を翳(かざ)し」
大英游記〔1908〕〈杉村楚人冠〉後記・維也納出発「パラソール片手に杖ついてベンチに凭(よ)った女」
*時間〔1953〕〈堀田善衛〉「灰色の日避けパラソルをさして」
杉村楚人冠の「大英游記」も外来語見出しの使用例としてよくあげられている。その1908年、明治41年の次の使用例が堀田善衛の「時間」(1953)であることが少々気になる。『令女詩集』の「パラソル」は両者の間に位置する。
7漢字列「禿鷹」には「はげだか」と振仮名が施されている。当該作品にはもう一箇所「禿鷹」が使われているが、それにも同様に振仮名が施されているので、ひとまずは錯誤はないものとみなす。『日本国語大辞典』は「はげたか」を見出しとしている。
8『日本国語大辞典』の見出し「ギタルラ」には次のようにある。
ギタルラ
〔名〕
({スペイン}guitarra )「ギター」に同じ。
*蓼喰ふ虫〔1928~29〕〈谷崎潤一郎〉一二「バラライカやギタルラを伴奏しながらスラブの唄をうたふ口から、安来節や鴨緑江節を寄席芸人に劣らぬ節回しで聞かせるほど、それほど悪達者であらうとは!」
『令女詩集』の例は「蓼喰う虫」とほぼ同時期の使用例にあたる。上記すべてが「令女」とかかわるということではないが、やはりそうしたこととかかわる語の使用を見出すことができると思われる。今度は「令女文学全集捜索隊」を作ることになるのか、ならないのか。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は10月21日(水)、佐藤宏さんの担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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