特別篇
『日本国語大辞典』の見出し「あんざん」には次のようにある。
あんざん【暗算】〔名〕(「あんさん」とも)
(1)頭の中でする計算。筆算や、そろばんなどの助けなしでする計算。
*小学教則〔1872〕「暗算とは胸算用にて紙筆を用ひず」
*改正増補和英語林集成〔1886〕「Ansan アンサン 暗算」
*最暗黒之東京〔1893〕〈松原岩五郎〉二〇「彼は常に瞑目暗算(アンサン)を以て居り、宿内の客の増減、散財の景况、繁昌、微衰の気運を考へ」
*杜荀鶴‐旅寓詩「暗算郷程隔二数州一、欲レ帰無レ計涙空流」(2)ひそかにあれこれ思うこと。特に、人をおとしいれることをたくらむこと。
*江戸繁昌記〔1832〜36〕五・千住「一人、腹中暗算し道ふ、今日何等の好辰。壮健にして到着、身、劇地に入る。奇観妙遊、明日を初めと為し、又興を撒し、又鬱を暢ぶ」補注(2)については、「唐話纂要」に「暗算 ヒソカニ人ヲツモル」とある。
「ツモル(つもる)」は「見すかしてだます。一杯くわす。見くびってばかにする」(『日本国語大辞典』【二】(3))という語義の語だ。「アンザン(暗算)」は現在も使う語であるが、それは語義(1)で使う。語義(2)「ひそかにあれこれ思うこと。特に、人をおとしいれることをたくらむこと」は現代日本語使用者にとっては「へえー、『アンザン』にそんな語義があるのか」という感じだろう。その語義(2)に対応する記事が『唐話纂要』という書物にある、という情報を示しているのが「補注」だ。『日本国語大辞典』の見出し「とうわさんよう」には次のようにある。
とうわさんよう【唐話纂要】
江戸中期の語学書。六巻六冊(もと五巻五冊)。岡島冠山著。享保元年(一七一六)刊。同三年重刊。唐話(近世中国語)入門書。巻一〜三に二字話(二字の語)〜六字話と常言(格言・諺)の唐音(江南音)と和訳を記し、巻四に長短話(会話文)と和訳、巻五に語彙分類一五項、巻六に「和漢奇談」を付す。長崎、京坂の通詞の教科書として用いられた。
ここでは中国語の歴史を古代と近代に大きく分けて「近代中国語」という用語を使うことにするが、『唐話纂要』は近代中国語の「入門書」的なテキストということだ。『史記』や『漢書』、四書五経で使われている中国語を「古典中国語」と呼ぶことにする。時間軸に注目すれば「古代中国語」ということになる。これは「かきことば」であるが、「文言」と呼ばれることもある。中国語にも当然「はなしことば」はあるが、「かきことば」がいわば「堅固」であるので、「はなしことば」が文献に姿をあらわさない。しかし時々はそうした「はなしことば」が姿をちらっとみせることがある。唐代の詩に姿をみせたりしていることがわかっている。中国においても、明末頃には「はなしことば」をかなり露出させた文学がでてきた。「はなしことば」を「白話」と呼ぶことがあるので、そうした文学作品を「白話小説」と呼んだりする。『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』『紅楼夢』などがそうした「白話小説」にあたる。これらの作品は輸入されて日本でも読まれるようになった。滝沢馬琴などは「白話小説」の影響を受けていることが指摘されている。「古典中国語」を借用して漢語として使ってきたことからすると、これまでにあまり接したことのない「はなしことば」的な中国語が新鮮に感じられたのかもしれない。
『中日大辞典』第三版(2010年、愛知大学中日大辞典編纂所)で「暗算」を調べてみると、「ひそかに人を害する。だまし討ちにする」と語義が説明されている。つまり、『唐話纂要』に記されている語義が現代中国語につながっていることになる。
ジャパンナレッジで検索の範囲を「全文(見出し+本文)」に設定して、文字列「唐話纂要」に起こしの一重鉤括弧(「 )だけをつけて検索すると173件ヒットする。これは「補注」において『唐話纂要』の記事が使われている数にほぼ該当する。例えば見出し「かいこん[悔恨]」には次のようにある。かいこん【悔恨】
〔名〕あやまちを後悔し残念がること。くやみ、うらむこと。前非をくやむこと。
*近世紀聞〔1875〜81〕〈染崎延房〉八・二「以て今日の形勢に至る是余(わ)が菲徳の致す所悔恨(クヮイコン)するとも曷(なん)ぞ及ばん」
*哲学字彙〔1881〕「Compunction 懊悩、悔恨、悲歎」
*別れ霜〔1892〕〈樋口一葉〉一三「他人の底ふかき計略の淵知るべきならねば陥いれられて後の一悔恨(クヮイコン)」
*或る女〔1919〕〈有島武郎〉後・四七「冷かな悔恨が泉のやうに湧き出した」
*神仏伝‐叔卿「于レ是大失望、黙然不レ応、忽然不レ知二所在一、帝甚悔恨」補注「唐話纂要‐一」に「悔恨 クユル」とある。
「カイコン(悔恨)」も現在使う語だ。そして「あやまちを後悔し残念がること。くやみ、うらむこと。前非をくやむこと」という語義で使う。『唐話纂要』においても「悔恨 クユル」とあって、異なる語義が示されているわけではない。こういう場合は、「補注」としなくてもいいのではないか、と感じる。『唐話纂要』に「悔恨 クユル」とある、ということはたしかに事実だから、その点については何も問題はない。しかし「補注」として『唐話纂要』の記事を加えている、その心は?と考えた時に、「その心は、古典中国語にはない近代中国語の語義が『唐話纂要』に記されていますよ、それが語義(X)に対応していますよ」、ということではないかと思うからだ。これは筆者の考えすぎかもしれない。しかし、そう考えたくなる。そこまで考えないにしても、なぜ『唐話纂要』という書物にこういう記事があるということが「補注」で示されているのか、と思う使用者はいるだろう。その「なぜ」に答える説明がどこかにあってもよいかもしれない、と思う。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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