特別篇
『東京新繁昌記』を一読すると、左振仮名が少なからず施されていることに気づく。左振仮名は江戸期からみられ、明治期の出版物にもひろくみられるので、左振仮名を「この本の言語的特徴」(山田忠雄『近代国語辞書の歩み』1981年、三省堂:1302頁)とすることはできないが、目をひくことは疑いない。
左振仮名は、基本的に、それが施されている漢字列があらわしている語の語義を補足的に説明しているので、時として説明的になっている。この場合の「説明的」は1語として安定的に使われていたのではなく、説明のために臨時につくられた語(句)である場合が含まれているだろうということの謂いである。
例えば、『東京新繁昌記』初編の「学校」には「譬ヘバ俳優家(左振仮名ユウゲイニン)ノ其技ヲ争フガ如シ。一人ハ管絃家(左振仮名ヒキカタ)也。一人ハ浄瑠理家(左振仮名ウタヘカタ)也。一人ハ舞蹈家(左振仮名オトリカタ)也」(7丁裏9-10行目)というくだりがある。
『日本国語大辞典』の見出し「ひきかた(弾方)」の語釈には「三味線などの演奏にあたる役など。また、その人。弾き手」とあり、「東京新繁昌記」の上記の箇所を「譬へば俳優家(〈注〉ゆうげいにん)の其技を争ふが如し。一人は管絃家(〈注〉ヒキカタ)也、一人は浄瑠理家(〈注〉うたへかた)也」というかたちで「用例」として示している。『日本国語大辞典』の〈注〉は左振仮名をあらわしていることがわかる。見出し「ひきかた」の「用例」であるので、「管絃家」の左振仮名が該当する。この場合は、左振仮名「ひきかた」を「説明のために臨時につくられた語句」とはみなしていないことになる。
「東京新繁昌記」の「ウタヘカタ」は「ウタイカタ」に相当する語であると思われるが、『日本国語大辞典』は「ウタエカタ」「ウタイカタ」いずれも見出しにしていない。では「オドリカタ」はどうかといえば、「オドリカタ」も見出しになっていない。左振仮名「オトリカタ」が施されている漢字列「舞蹈家」が対応していると推測できる「ブトウカ」は見出しになっている。下に示した「用例」には「管弦家」「舞踏家」とあるがこれは「管絃家」「舞蹈家」とあるべきであろう。
ぶとうか【舞踏家】
〔名〕
踊りを踊ることを業とする人。
*東京新繁昌記〔1874~76〕〈服部誠一〉初・学校「一人は管弦家(〈注〉ひきかた)也、一人は浄瑠理家(〈注〉うたへかた)也、一人は舞踏家(〈注〉オトリカタ)也」
*水族館の踊子〔1930〕〈川端康成〉一「彼女は決して名高い舞踏家(ブタフカ)といふわけではなかったのです」
見出し「ぶとうか(舞踏家)」には「東京新繁昌記」の他に川端康成「水族館の踊子」が「用例」としてあげられている。「ブトウカ」は現代日本語でも使う語で、そうしたことが「反照」して、「ブトウカ」という語を臨時的なものではないと「判断」させるかもしれない。「俳優家」「管絃家」「浄瑠理家」「舞蹈家」と続く表現の中で、「ブトウカ」だけが現代日本語でも使われている。そして「東京新繁昌記」の「舞踏家」が「用例」としてあげられている。
しかし、『東京新繁昌記』が刊行された明治7(1874)~9(1876)年の時点では臨時的な語であった、という可能性はないのか、というのが筆者の「妄想」だ。また「臨時的な語」と思われるものは見出しにしない、ということであると、そこには「判断」があることになる。
左振仮名ではあっても、そこに「ユウゲイニン」「ヒキカタ」「ウタヘカタ」「オトリカタ」とあることをもって、それらの語が使われたとみることはできなくはない。そう考えると、『東京新繁昌記』の左振仮名になっている語を見出しとして採用するというやりかたもあることになる。『日本国語大辞典』の見出し「ゆうげいにん」には次のようにある。
ゆうげいにん【遊芸人】
〔名〕
遊芸(2)を職とする人。遊芸師匠、技芸士など。
*朝野新聞‐明治一九年〔1886〕一〇月一三日「毎席の出方即ち遊芸人を周旋するには、五リン屋といふものあり」
*鶯〔1938〕〈伊藤永之介〉「身についた芸を地で行って〈略〉骨太な野郎の遊芸人などにくらべて実入りがいいにもかかはらず」
「遊芸(2)」は見出し「ゆうげい」の「遊びごとに関した芸能。謡、歌舞、茶の湯、生け花、琴、三味線、落語、俗謡などの類」のことを指す。「遊芸人」の「用例」として「朝野新聞」の明治19(1886)年10月13日の記事がまずあげられている。この記事よりも先の見出し「ひきかた(弾方)」の「用例」中の「東京新繁昌記」の例がだいぶ早いことになる。
これもまた前回シリーズの「『十善法語』の場合」と同様に『日本国語大辞典』のあら探しをしようとしているのではないことを断っておきたい。こうしてあれこれと考えると、『東京新繁昌記』が左振仮名にしている語は、左振仮名になっていることをもって「使われた」とみて、すべて見出しあるいは「用例」の候補とするというようなことも考えられるのではないだろうか。「判断」はつねに大事ではあるが、「判断」をしないことが有効であることも場合によってはありそうに思う。などというと、山田忠雄に「そういう粗っぽいことを言っていてはいかん」と言われそうではあるが、なるべくわかりやすい「原理」によって統一することには一定の意義があると思いたい。
▷「来たるべき辞書のために」は月2回(今月は第2、4水曜日)の更新です。次回は5月24日(水)、新シリーズが始まります。清泉女子大学教授今野真二さんの担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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