『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 5 「難波の葦は伊勢の浜荻 」目次

  1. 1. 今野真二:「同定」について 2019年11月06日
  2. 2. 今野真二:「ありかた」と「いきかた」 2019年11月20日

難波の葦は伊勢の浜荻
Series5-1

「同定」について

今野真二より

 タイトルについてまず一言述べておこう。『日本国語大辞典』には「なにわの葦は伊勢の浜荻」という見出しがある。そこには「(難波でアシと呼ぶ草を伊勢ではハマオギという意から)物の呼び名や風俗・習慣は所によって違うことのたとえ。難波の鯔(ぼら)は伊勢の名吉(みょうぎち)」という説明が置かれている。

 使用例として「*菟玖波集〔1356〕雑三「草の名も所によりてかはるなり 難波の蘆は伊勢の浜荻〈救済〉」」がまずあげられている。連歌師救済(ぐさい、きゅうせい)の協力を得て二条良基が編んだ准勅撰の連歌撰集が『菟玖波集(つくばしゅう)』である。句はそのまま理解すればよく、難波で「葦」と呼んでいる植物が伊勢で「浜荻」と呼ばれるように、「草の名」は場所場所によって呼び名が変わることがあるということだ。「所によりてかはる」は「同じ植物が」ということであって、異なる植物が異なる名で呼ばれるのは当然ということになる。

 植物や動物は「実体」があるので、これとあれとは「同じモノ」であるかどうか、すなわち「同定」が話題になりやすい。その植物が人間にとって有用なものであればなおさら、中国のこの植物は日本のどの植物と同じか、あるいは同じではないまでもちかいものか、というようなことが話題になる。実際の植物を持ってきて、「これと同じかどうか」ということが検討できるのであればいいが、そうではなくて、語Aが指し示している植物が、語Bが指し示している植物と同じかどうか、ということになると、「判定」そのものも難しくなってくる。

『日本国語大辞典』は多くの植物名を見出しとしている。見出し「あいばそう」は

アブラガヤの一品種。北日本に分布し、小穂が単生する点がアブラガヤと異なる。学名はScirpus wichurai

と説明されている。使用例として「重訂本草綱目啓蒙[1847]九・山草」の「黄茅は あぶらがや あぶらしば めがや あいばさう 勢州」があげられている。『日本国語大辞典』は『重訂本草綱目啓蒙』のテキストとして「日本古典全集」(活字翻刻)を使っているので、筆者が所持している「覆刻 日本古典全集」(1977年、現代思想社)をそれに準じるテキストとして使うことにする。巻之九の見出し「白茅」の条中に「黄茅ハ アブラガヤ アブラシバ メガヤ アイバサウ 勢州」とありそれに続いて「カヤニ似テ葉狭クシテ厚ク光アリ茎ノ末ニ花叢垂シテ蜀黍(振仮名トウキビ)ノ穂ノ如クニシテ黄褐色又穂ニ油ノ香アリ故ニ アブラガヤト云八月ニ花アリ」と記されている。『日本国語大辞典』には見出し「こうぼう(黄茅)」があるが、

枯れて黄色くなった茅(かや)

と説明されているので、これは植物名ではないことがわかる。つまり『重訂本草綱目啓蒙』が「黄茅は」と述べているその「黄茅」がどんな植物であるかは『日本国語大辞典』内では確認することができない。JapanKnowledgeのすべてのコンテンツで「黄茅」で見出し検索をかけても、植物にかかわりそうなものとしては、上記の『日本国語大辞典』の見出ししかヒットしないので、「黄茅」がどのような植物であるかをつかむのは案外と難しそうだ。

 『日本国語大辞典』の見出し「あぶらがや」には

カヤツリグサ科の多年草。日本各地の山地や丘などの湿地に生える。高さ一メートル。葉は長さ四〇~六〇センチメートル、幅一センチメートルぐらいの線形で、秋、茶褐色で油のような匂いをもつ花穂をつける。なき。かにがや。みちくさ。学名はScirpus wichurai

とある。また見出し「あぶらしば(油芝)」は

カヤツリグサ科の多年草、本州中部以西の山地の砂礫(されき)地に生える。高さ一〇~三〇センチメートル。春から夏に花茎を出し、黄褐色で光沢のある花穂をつける。学名はCarex satsumensis

と説明されている。ここまできたら、「めがや」もみておこう。見出し「めがや」は

植物「いぬがや(犬榧)」の異名

と説明されているので、見出し「いぬがや」も調べてみると

イヌガヤ科の常緑低木または小高木。本州以西の山地に生える。大きいものは高さ一〇メートル、直径〇・三メートルほどに達する。樹皮は灰褐色で縦の裂け目をもつ。葉は濃緑色の線形で互生し、横向きの枝では左右に平開して羽状を呈する。雌雄異株で、春、黄色い雄花が球状に集まって下向きに咲き、緑色の雌花は球形または楕円形に集まって咲く。実は倒卵形か楕円形で赤紫色に熟す。胚乳(はいにゅう)から油を採り、塗料などに用いる。材は細工物、枕木、土木用材に用いる。へぼがや。あぶらがや。べべがや。ひょうび。学名はCephalotaxus harringtonia

と説明されている。

 『日本国語大辞典』の「メガヤ」「イヌガヤ」の語釈からすれば、これらは木で、「あぶらがや」「あぶらしば」「あいばそう」とは異なると思われる。ただし、これは現在そう呼ばれている植物を植物学的にみると、ということだ。その「みかた」で、学名を使って整理すると、次のようになる。

 アイバソウ      学名 Scirpus wichurai
 アブラガヤ      学名 Scirpus wichurai
 アブラシバ      学名 Carex satsumensis
 メガヤ=イヌガヤ   学名 Cephalotaxus harringtonia

 学名からすれば、「アイバソウ」と「アブラガヤ」は同じで、「アブラシバ」「メガヤ(=イヌガヤ)」は別ということになる。細かな話になるが、『日本国語大辞典』は「アイバソウ」と「アブラガヤ」に同じ学名を示す一方で、「アイバソウ」の語釈中で「小穂が単生する点がアブラガヤと異なる」と述べている。これは積極的に「アイバソウ」と「アブラガヤ」との「違い」を述べているとみえる。

 さて、『重訂本草綱目啓蒙』側に立って考えてみよう。『重訂本草綱目啓蒙』が編まれた時期までに蓄積された「情報」としては、「勢州」すなわち伊勢あたりでは、同じ植物を「アブラガヤ」「アイバソウ」「アブラシバ」「メガヤ」と呼ぶことがあった。現在の植物学で使われている呼称でいえば、「アブラガヤ」と「アイバソウ」とはほとんど同じ植物、「アブラシバ」と「メガヤ」とは異なる植物である、ということだ。現在の「メガヤ=イヌガヤ」は木ということである。『重訂本草綱目啓蒙』が編まれた時期において、草と木とを同一視するということは考えにくい。とすれば、『重訂本草綱目啓蒙』が示した「メガヤ」は(情報に過誤がなければ)やはり「アイバソウ」や「アブラガヤ」、「アブラシバ」のような類の植物の名称であったはずで、たまたまと言っておくが、現在は木の名称となっている「メガヤ」が使われていたということだろう。

 『日本国語大辞典』が見出し「めがや」においては、『重訂本草綱目啓蒙』の「黄茅は~」という使用例を示していないのは、この見出しの「めがや」は『重訂本草綱目啓蒙』の「黄茅は あぶらがや あぶらしば めがや あいばさう 勢州」の「めがや」とは異なるという「判断」をしているからと推測する。

 過去に使われていた植物名称Xが、現在も使われているからといって同じ植物をさしているとは限らない。また、この植物とこの植物とは「同じか違うか」には「判断」がかかわっている。時期時期においてそうした「判断」が異なることもあろう。いろいろな「難しさ」がありそうだ。次回はそうした「難しさ」について述べてみたい。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回(11/20)も今野真二さんの担当です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『図説日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。最新刊は『日日是日本語』(岩波書店)。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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